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世界で一番不幸な男
好きだ、と言われた。臨也は静雄を見る。静雄も臨也を見る。真面目くさった顔で臨也を見ている。どれだけの時間をかけて沈黙を作ってやっても、静雄がそれを冗談だと言うことはなかった。これはどうも本気らしいと気付いた時、臨也は目の前の男のあまりのくだらなさにつくづくと呆れた。

「気持ち悪いか」

っていうか意味が分からないよ、君の頭大丈夫?
そう言おうとした自分の言葉を、臨也は寸でのところで押しとどめた。ああ、そうだ、この男も人並みに人間なのだ。馬鹿みたいに真顔でいる静雄の顔を改めて眺めながら、臨也は自分なりにこの男の不可解な行為を自分なりに分析する。きっと寂しさに堪えかねて、誰かの愛が欲しいのだろう。なんだか本気で哀れに思えてきてしまった。可哀想に、憎悪と恋慕を取り違えてしまうほどに、愛に凍えているのだろう。

「ううん、いいよ」

臨也は頷いていた。目の前の男に対する愛情なんてこれっぽっちもなかったが、上手くいけばこの男を利用してやれるかもしれない。そう考えれば、この茶番に付き合ってやるのも悪くないと思えた。

「いいって何だよ」
「いいよ、付き合おうってこと」

営業用の笑みを顔に貼り付けると、静雄はいかにも胡散臭そうな顔で臨也を見た。その顔は少しも嬉しくなさそうで、とても好きな人間との交際が叶った男の顔とは思えなかった。





――こうして、臨也と静雄の「お付き合い」は始まった。

一時の気の迷いだ。気まぐれだ。そう思っていたのに、意外なほどこの付き合いは長く続いてしまっている。しかし静雄の態度と言えば、臨也が拍子抜けしてしまうほど以前とあまり変わりなかった。相変わらず会えば喧嘩を吹っ掛けてくるし、臨也をノミ蟲と罵倒するし、憎たらしそうな顔で臨也を睨み付ける。あの日の告白は夢だったのかと思うほどだ。
だがそれでも変わったこともほんの少しあって、時たまどちらかの家で何をするでもなく、一緒に過ごす時間を作るようになった。とはいえその時も、静雄は特に恋人らしい態度を見せない。何もしてこない。本当にただ、一緒にいるだけだ。テレビを見たり、ご飯を食べたり、雑談したり、互いに別々のことをしたり。こいつは本当に俺のことが好きなんだろうかと、臨也のほうがむしろ疑心暗鬼になるほどだった。

「……あのさあ、シズちゃん」
「ああ?」
「キスとかしないの?」

あまりに何もしてこないものだから、ある日とうとう臨也の方から話を振ってしまった。雑誌に目を落としていた静雄は顔を上げて、ほんの少し驚いたように目を丸くしている。

「……したいのか?」
「え、いや、したいっていうか、だって」
「……しねえよ」

最後は、子供をあやすような優しい声だった。意味が分からない。臨也を好きだというから頷いて、恋人という関係におさまっているはずなのに、静雄はまるで臨也に手を出そうとはしてこない。
本当に何を考えているのか分からなかった。本当に臨也のことが好きなのかと疑ったのは一度や二度ではないが、それでもやっぱり、静雄は臨也のことが好きなのだと言う。

「シズちゃんさあ、本当に俺のこと好きなの?」
「好きだよ」

だからますます意味が分からなかった。静雄の真意が全く理解できず、これでは利用してやるどころの話ではない。場合によっては体の関係を持つことも覚悟していたのに、それどころかキスさえ求めてこないのだ。静雄は臨也に触れることすら滅多にしない。好きだとはいくらでも繰り返すのに、わざとそういう雰囲気を作っても全く無駄だった。分かっていてわざと無視しているような素振りを見せることもあった。

初めの一、二ヶ月の間は、もしや臨也が騙されているのではないかとも思ったが、半年もすればその考えも段々と薄れていった。一緒にいる時間が増えただけでなく、僅かながら少しずつ目に見える変化が出てくるようになったからだ。
喧嘩の時は手加減するようになった。無視できない怪我をすれば担いで新羅の所までつれて行った。気絶すれば目を開けるまでそばにいた。そして臨也と目が合うと、安心したようにほんの少しだけ肩の力を抜くのだ。

「……悪い」
「……本当だよ。死ぬかと思ったよ」
「悪い」
「…………」

素直に謝られるのなんて初めてで、どう返せばいいのかも分からない。臨也が目を覚ましたと気付くその直前まで、静雄は臨也の手を握っていた。臨也が目を開けたのと同時に放してしまったが、その温かさだけはいつまでも手の平に残っている。愛されているんだ。何を考えているのか分からない男のことをぼんやり見ながら、臨也は確かにそう思った。
両手で手を包み込みながら、祈るように見つめていた。そんな静雄の顔を、臨也はおぼろげな視界の中でまだ覚えている。



そんな風だったから、静雄のほうからデートがしたいと言ってきた時、臨也はただ驚くしかなかった。この男にも一応そういう願望はあったのかと感動すらした。臨也は断らなかった。あの静雄が臨也に一体何を求めているのかを知る、いい機会だと思った。
どこがいい、と訊ねると、どこでもいいからどこか遠くの公園がいいと言う。ちっともデートらしくないその要求に呆れはしたが、それでも臨也は了承した。確かに、自分達にはそのくらいが良いのかもしれない。

それはデートというよりも、ただの散歩といった方が正しかったかもしれない。静雄が知り合いのいない所がいいと言うので、そして臨也もそちらのほうが都合が良かったので、適当な電車に乗って適当な所で降りた。遠くの公園とはそういう意味だったらしい。
駅の改札を出るとまた適当に歩いて、ふらふらと公園を探して彷徨っている。静雄は相変わらず何を考えているのか分からない顔で、煙草を吸ったり、喉が渇いたと言ったり、道に落ちていた小石を蹴ったりで、少しも臨也の方を見ようとしなかった。時たま臨也に話しかけることもあったが、そのどれもが他愛のないことばかりで、大体二、三言で終わってしまった。

小さな公園を見つけると、二人並んでベンチに座った。鉄棒と砂場くらいしか遊具のない小さな公園だ。時刻は3時に迫っている。子供はいなかった。その代わり、脇の小道を時たま車が通って行く。

「シズちゃん、こんな所でいいの?」
「ああ、ここでいい」
「なんで公園だったの?」
「別に、どこでも良かった。お前がいれば」

それは、笑い飛ばそうと思えばいくらでもできる気障な台詞だったが、なぜだかその時の臨也はそういう気持ちになれなかった。静雄はどこか遠くを見ながら、ただ淡々と煙草をふかしていた。臨也の視線に気づくと今日初めて振り向いて、多分微笑んだ。そんな顔をするのは反則だ。

「俺はお前が好きだよ」
「……うん。俺も」

静雄はそれ以上何も言わなかった。ただ穏やかに、ベンチに座っているばかりだった。口もほとんど開かず、また臨也の方を見なくなってしまう。
デートとしては不合格だよ、シズちゃん。臨也は内心で一人ごちていたが、それでも不思議と不愉快な気持ちにはならなかった。2人で誰もいない公園にいるだけの、デートとも呼べないようなデートだった。





そんな風に、二人の関係は穏やかに続いていった。静雄は相変わらず臨也に手を出そうとしなかったが、思い出したように「好きだ」と言った。臨也も、段々そんな静雄を利用という気にはなれないでいった。多分無理だろうなと思ったし、変な情が湧いていたのかもしれない。
利用する予定はなくなってしまったのに、関係だけがダラダラと続いた。そうしている内に1年が経とうしていた。

そんなある夜、臨也の部屋に突然静雄がやって来た。連絡も何もなく、本当に突然、押し掛けるようにやって来た。これまでは会う前には必ず連絡があったから、扉を開けて静雄が経っていた時はガラにもなくかなり驚いてしまった。
それでも臨也は静雄を部屋にあげた。波江がもう帰っていて良かったとも思った。

「どうしたの、シズちゃん」

椅子を勧めたが、静雄は座ろうとしなかった。お茶でも淹れて来ようかとキッチンに立とうとすると、その腕を掴まれる。今までにない行動に、臨也もどう対応すればいいのか分からなかった。
戸惑う臨也の腕を掴んだまま、静雄は言った。

「別れよう」
「……は?」
「もう、別れよう」

何を言われているのか、初めよく分からなかった。掴まれた腕がじんわりと熱い。臨也はただ、何を考えているのか分からない静雄の顔をじっと見た。いつもかけているサングラスはしていない。裸眼がそのまま臨也の視線をとらえていた。

「何……どうしたの、急に……他に好きな子でも、できた?」
「分かってたから」
「分かってたって、何を?」
「お前が俺を好きじゃないってことは、分かってたから」

だから別れようと、静雄は確かにもう一度繰り返した。臨也はただ、それを呆然と聞くしかできなかった。

分かってた? 何を。
好きじゃない? 誰が。

静雄の言ったことが、臨也にとっては予想外に衝撃的だった。どうして静雄がいきなりそんなことを言いだしたのかも、どうして臨也が静雄を好きじゃないと思ったのかも、臨也にはまるで分からなかった。静雄の恋人として上手くやっているつもりだった。上手くこなしているつもりだった。だからこそ静雄も臨也に好きだと言い続けていたのだろうし、今の今まで恋人という関係でいたのだろう。
最近になって何か妙な行動をとったわけでもない。むしろ最近になって、臨也は静雄を利用することを諦めていたのだ。

今更だった。瞠目する臨也の腕を、静雄は静かに放した。静かだった。騙されていたというのに、臨也を見るその目はいたく穏やかだった。

「別れよう、臨也」
「……シズちゃん、俺は」
「もういいから。楽しかったから」

そんなの嘘だ。

だが、静雄の気持ちを利用しようとしていた臨也に返す言葉は存在しない。一体いつから気付いていたのだろう。上手くやっているつもりだった。利用してやろうだなんてそんな考え、絶対に悟られていない自信があった。臨也は静雄の恋人として、きちんと完璧に振る舞えている筈だった。

当たり前だ。どうして今になって気付いたのか分からない。だって臨也は、自分でも気付かない間に。

「臨也、愛してた」

返事も聞かずに行ってしまう背中がただ寂しい。追いかけることも呼び止めることも、どうして今の臨也のできるだろう。

好きだと言われて、頷いた。好きだと言われて、嬉しかった。騙して、利用して、捨ててやろうと思って。だけどいつの間にか、喜ぶ自分は演技ではなくなっていた。一緒にいるだけのことが、何より得がたいものになっていたのだ。
手をのばしたって振り向いてくれる人はもういない。あんなに愛してくれていたのに、あの寂しい背中は臨也がつくってしまったのだ。許されなくていい、ただもう一度だけ笑ってほしかった。













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世界で一番不幸な男(僕の今も君には過去だ)


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