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首筋にじっとりと汗をかいている。額にも汗の粒が浮いてる。だから夏は嫌いなんだ。汗をかくし、暑いの嫌いだし、何より思考が鈍るから。
夏に浮かされる。
でもこの夏も、夏休みが終わる頃には秋に変わる。

「臨也」

浮かされるみたいにシズちゃんが言った。いつもなら俺の家の前について、そこで「じゃあな」って別れるまではずっと黙ってるのに、珍しく俺の名前を呼んだ。
浮かされてるんだ。夏の暑さに浮かされてる。

――実はさ、今日ここに来ようって言い出したのは静雄なんだ。

新羅の言っていたことが思い出されて、俺は何とも言えずにただシズちゃんの言葉を待った。
俺はねシズちゃん、この夏はもう君とは会うことなく終わるって持ってたよ。だって俺は君が嫌いだし、君だって俺のことが嫌いなはずだ。
今君が俺に好きだって言うのは、夏に浮かされてるだけなんだよ。早く正気に戻って。じゃないときっと後悔するよ。俺なんかに好きだなんて言ってたことを、君はいつかきっと後悔する。

そうなる前に、ほら、いつもみたいに俺に「嫌いだ」って言ってみなよ。

「今日は、楽しかった」
「……うん」
「お前は?」
「え?」
「お前は、どうだった? 今日は、楽しかったか?」

……なに、その質問。

俺は思わず言葉を失って、でも馬鹿みたいに真面目な顔をしているシズちゃんを見ているとなんだか笑い出したくなってしまった。
ああそうだ、シズちゃんは夏に浮かされてる。そして俺も、多分ほんの少しだけ馬鹿になってる。

「……うん、楽しかったよ。ありがと」
「……」
「誘ってくれて、ありがと」
「……俺も、嬉しかった。お前が来てくれて」
「はは、変なシズちゃん。だって、君が無理やり連れて来たのに」
「……そうだったな」

なんとなく二人で笑い合って、ああそういえばこんな風にシズちゃんと話すことなんて今までなかったんだって今さらのように思い出す。
喧嘩ばっかりしてきたから実感がなかったけど、怒ってさえなければシズちゃんはどこにでも普通にいる大人しい高校生なんだ。シズちゃんは寂しがり屋なんだよって、俺が初めてシズちゃんに会った日に新羅が言ってた。本当は人とかかわり合いたいんだって、本当はもっと普通の生活をしたいんだって。

初めて聞いた時は鼻で笑った。化け物の癖に何言ってんだ、せいぜい人間のふりをするくらいしかできないくせに、自分を分かっていないにもほどがある。
でも本当に分かってなかったのは俺だったみたいだ。なんか惨めだなあ。ねえシズちゃん、君が好きだって言ってるのは、こんなに小さい男なんだよ。

「でもちょっと、嫉妬してた」
「は?」
「お前が、門田にばっかかまうから」

あ、そういえば、ちゃんと並んで歩くのって初めてだ。

「……ねえシズちゃん、少し涼しくなってきたね」
「そうだな」
「夏が、終わっちゃうね」
「……そうだな」

シズちゃん、さっきから「そうだな」ばっかり言ってる。自分で気付いてるのかな、おっかしいや。
夜道に二人分の薄い影が落ちて、夜空の光がここまでまだ届いていることに俺は僅かながら感動した。星空が一番きれいになるのは確か冬だ。風景が彩られるのは秋。
俺の家の前に着くまでずっと、それからシズちゃんは何も言わなかった。





残りの夏休みは、またいつも通り。とはいっても俺は何か悪さをするでも何かを企むわけでもなく、本当に大人しく慎ましく、一般的な高校生なら誰もが経験するような一般的な夏休みを謳歌した。
……まあ勿論、俺に友達がいないことを除けば、だけど。

「僕は海外旅行に連れてってもらっちゃったよー」

新学期早々に新羅が締まりのない顔で言う。大方また“大好きな同居人”とやらに連れて行ってもらったのだろう。会ったらまた祭りの件で一発ぶん殴ってやろうと思っていたのだが、そのヘラヘラした顔を見ていると何もかもがどうでもよくなってくる。
良かったな新羅、その阿呆面に免じて許してやる。

「あ、それでさ臨也、静雄と二人っきりの花火はどうだった?」

……わざわざ自分で蒸し返すとは良い度胸だな。

「別に、普通だよ。……まあ、綺麗だったとは思うけど」
「あ、ちゃんと見たんだ。そっかそっかー」
「……何が言いたい」
「いや、君のことだから逃げ出すかなあって思ってさ」

新羅の言うことに他意はない。
実際俺も直前までは雲隠れすることを狙ってたわけだし、そもそも俺がシズちゃんなんかと一緒に花火を見てやる義理なんてどこにもない。あの日の行動に敢えて理由をつけるとするなら、それはあの時の俺の頭が正常じゃなかったから。
今考えても不思議だ。なんで俺、シズちゃんと二人っきりで喧嘩もせず呑気に花火なんて見てたんだろ。

「暑いねえ」

夏休みの終わりが夏の終わりじゃない。
新羅はブレザーを脱いで、右手の手のひらでパタパタと自分を扇いでいる。その程度の気休めじゃあ、このねっとりした暑さは凌げないだろう。さっさとクーラーでもつけて欲しい。授業中以外使用禁止とかどうかしてるんじゃないの。
そんなことを考えながら窓からグラウンドを見下ろしていると、嫌でも目立つ金髪が目に入った。シズちゃんだ。

「登校してきたね」

新羅も見付けたらしく、見ていれば誰だって分かる当たり前のことを嬉しそうに言う。

一緒に花火を見たあの日から、シズちゃんから連絡は一切なかった。あの調子だとまたなんだかんだで俺をどこかに引っ張りまわそうとでもするんじゃないかって思ってたのに、意外なほどにあっさりだ。
勿論その方が俺には都合がいいけど、なんだか気味が悪い。いい加減、自分の頭がおかしくなっていたことに気付いたんだろうか。夏はまだ終わりじゃないけど。

「あ、気付いた」

また嬉しそうに言って、新羅がヒラヒラ手を振った。下を見てみれば確かにシズちゃんがこっちを見ている。
シズちゃんって目も良さそうだよね。目が合ったような気がして、俺も新羅の真似で適当に手を振ってやる。正常なシズちゃんならむしろキレるだろう。だがシズちゃんは驚いたように目を丸くすると、頬を赤くして俺から顔を逸らしてしまった。
……何、その反応。ガチっぽいんだけど。

「静雄君はウブだなあ」
「おい、そのセリフもガチっぽいから止めろ」
「ぽいも何も、実際ガチじゃないか」
「……シズちゃんは今、ちょっと頭のネジが緩んでるんだ」

シズちゃんがまた昇降口に向かって歩き出す。新羅は俺の顔を、なんだか意味深な顔でじっと見ている。言いたいことがあるなら言えよ、となぜか俺は言えなかった。言ったらいけない気がした。
だって新羅は空気が読めないから、人の都合の悪いことを簡単に口にしてしまうのだ。

「君の頭のネジも、そろそろ緩んできたんじゃない?」
「……失礼だな。俺とあの筋肉ゴリラを一緒にするな」
「静雄の気持ちを知っててそのままにしてるのは、いつもの君の策略なのかな」
「はあ?」
「だって可哀相だから。案外、一思いにフラれちゃったほうが気持ちは軽かったりするんだよ」
「そんなの、俺はいつも言ってるじゃないか。シズちゃんなんて大嫌いだ」

いつだってどこでだって、今までもそしてこれからも、俺はシズちゃんが大嫌いだ。隠し立てもしない、だって見ているだけでイラつくんだ。理屈じゃないこれだけは本当に、どうやったって俺はシズちゃんに近づけない、それが本当に腹立たしくて仕方ない。この気持ちが消える日が来るなんて思えない。
大嫌い大嫌い大嫌い、早く死んで。

「静雄もなんで臨也なのかなあ、勿体ない」

新羅が言った。これは独り言だ。

「アイツはアイツで、案外モテてたりするんだけどねえ」
「はあっ?」
「ほら、見てみなよ」

新羅に促されて下を見る。指差された先にはシズちゃんがいて、でもさっきまでは一人だったくせに知らない女の子がくっついていた。ここからだと当然会話までは聞こえない。でも女の子は馴れ馴れしい様子でシズちゃんの袖を引っ張ったりして、そしてシズちゃんの方もそれを邪険にしたりはしない。

つーかあれ絶対喜んでるよね。まあ普段はモテるどころかそもそも女の子に近寄られることすらないから仕方ないのかもしれない。なんだよ、化け物の癖に、シズちゃんもやっぱり男だったってことか。
まあそうだよね、女の子かわいいもんね。そりゃあ男の俺よりは女の子の方がいいに決まってる。クッソあの野郎、デレデレしやがって。なに顔赤くしてんだこの野郎。俺が同じ事したら絶対にブチ切れて標識振り回すくらいのことはするくせに。
いやそもそも俺はそんなことしないけどね! 俺のことが好きだとかなんだとか言っといて、やっぱり女の子の方がいいんじゃねえか。死ね静雄!

「ね? モテるよね」
「……たまたま、物好きがいただけだろ」
「だからさ臨也、静雄のことが好きじゃないなら、いっそハッキリ言ってやりなよ。そしたら静雄も君にかまうのは止めて、新しい恋を見つけてくれるかもしれないよ?」
「言ってるつもりなんだよ、何回も」

今までだって、俺は数えきれないくらいシズちゃんに「君が嫌いだ」と主張し続けている。
それでもシズちゃんはお構いなしだった。まるで俺の話なんて全然聞こえてないみたいに、勝手に俺の腕を引いていく。
だから俺も「あーもうなんかどうでもいいや」って、もっぱら諦めモードだったのだ。大体さ、筋肉ゴリラのシズちゃんに人語が通用すると思った時点で俺の負けみたいなもんなんだよね。

「……そうじゃなくてさ、もっと根本的に、好きにもならないし付き合う気もないなら、そのことを一回きちんと伝えた方がいいんじゃない?」
「ふうん」

女の子が少しよろけてこけそうになった。それをシズちゃんが慌てて助けてあげて、なんとなく良い雰囲気になる。「ごめんね」「気にすんな」そんな会話がここからでも聞こえてくるようでムカムカする。
あんなわざとらしい演技でも、女の子慣れしてないシズちゃんならきっと簡単に騙される。そんなもんだよね。

でもシズちゃん、化け物の癖に、自分にまともな恋ができるなんて本気で思ってるの?



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