[携帯モード] [URL送信]


一人の帰り道というものは不思議である。俺は十余年あまりの人生のほとんどを一人で過ごしてきたようなものだが、帰り道というものは中々に感慨深いものがある。折角久し振りにシズちゃん抜きの帰宅だったというのに、結局昨日は何もせずに直帰してしまったのだ。一人なんて今更だったのに。

「今日も帰れないんだって」

帰りのHRが終わってすぐだ。新羅が真っ直ぐ俺に寄って来たかと思うと、俺に一言そう告げた。ちなみに新羅と一緒に帰ったことはない。理由は単純なもので、帰る方向が違うからだ。

「……へえ。二日続けての用事ってなんなのかな?」
「あ、一応気にはなるんだね」
「一応ね」
「んー、でも口止めされてるんだよね」

言うわりにヘラリと笑っている。多分、少し粘って問い詰めれば簡単にバラすのだろう。だがそこまでするのも気が引ける。
なぜ俺がわざわざシズちゃんのためにそんなことをしなければいけないのだ。そうだ気にする必要なんてない。どうせ大した用事ではないに決まってる。なのになぜ俺はこんなにそわそわしているんだ。沈まれ俺の心。

折角シズちゃん自ら俺のことを放っておいてくれるって言ってるんだから、自分から首を突っ込むことはない。
そうだ気にする必要なんてないんだよ、落ち着け俺。相手はシズちゃんだぞ? 平和島静雄だぞ? クソどうでもいいじゃないか、気にするんじゃない。静雄ごときの事情に心揺さぶられるんじゃない。

……いやでも待てよ。逆に、逆にだよ?

ここまでくると逆に気になるよね。いや本当に逆にだよ?
だってもしかしたらさ、これで何らかの弱みを握れるかもしれないわけじゃん。あの平和島静雄の弱みを握れるとか願ってもないことじゃん。しかもここ最近あれだけ執着してたこの俺を放ったらかしてまで優先するってんだから、さぞかし大事なご用事なんだろう。わざわざ新羅に口止めまでしてさ、それは気になるじゃないか。
いや逆に。シズちゃんのこと嫌いすぎて逆にね。

「静雄の用事、教えてあげよっか?」
「…………」

心を読まれた。そして新羅が親切だ。問い詰めるまでもなく口を割るなんて、常に保身にはしる新羅らしくない。どういうつもりだろう気持ち悪い。

「あ、なにその目。別に何の下心もないよ? ただ、どうせ少し調べれば分かることだからさ」
「なんだそれ」
「ヒントその1。今は学期末です」
「っていうかもう学期終わりだけどね」
「そしてヒントその2。静雄は勉強はからっきしです。そりゃもう、赤点をとりまくるくらいに」
「……あー、分かった。大体分かった」

ははんなるほど、そういうことか。確かにそれは外せない用事だし、できることなら他人には知られたくない事情だろう。なるほどなるほど、種明かしをされると実に拍子抜けだった。なんだ、それだけか。くっだらね。

「臨也、どこに行くの?」
「どこだっていいだろ」
「帰らないの?」

謎は解明された。これ以上ここに残っている必要がない。鞄を肩にかけて教室を出ようとすると、クスクス笑いながら新羅が言った。何を考えているのかは大体わかる。だけど、余計なお世話だ。
まだ笑っている新羅に「からかいに行くだけだよ」とだけ答えて、俺は教室を出た。向かうのは2階にある第2小会議室だ。

「……ここかな?」

しんとした会議室を覗いてみると、まばらに座っている生徒たちの中にひときわ目立つ金髪が一人いた。ビンゴだ。思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、俺は扉の横の壁に寄りかかる。
終業式の後の学校なんて、無法地帯となんら変わりない。教師がいくら声をかけたって、夏休みを目前にした高校生が浮足立つのを落ち着けられるはずがない。人参を目の前にぶら下げられた馬と同じだ。止まるわけがない。突っ走るのみ。

そういう人間を観察するのも面白い。俺はどんな人間のどんな感情も愛している。だから、目の前の窓から見える風景を見ているだけでも十分に暇は潰せる。ちょうど視界に入る中庭の中を、馬鹿騒ぎしながら帰る生徒たちがさっきからひっきりなしに通っている。人間って愛しいよね。シズちゃんは別だけど。そんなことを考えていると、隣の扉が開いた。どうやら終わったらしい。

「やあ、シズちゃん」

出てきたばかりのシズちゃんの肩に手を置くと、シズちゃんは目を見開いて信じられないと言うように俺を見た。

「……おまっ、なんで」
「来ちゃった」
「来ちゃったって、お前っ」

うんうんいいね、その顔はいいね。実にいいよその顔。日頃の俺の鬱憤の、10分の1程度なら晴らせるような気がするよ。

「ねえシズちゃん、賢い俺から君にワンポイントアドバイスをあげよう。日ごろの行いが悪いんだから、せめて試験くらいまともな点が取れるようにしないと駄目だよ」
「なっ」
「だから追試なんて受けるハメになるんだよ。ばっかだなあ君は本当に!」
「わざわざ……おちょくりに来たのか手前はぁぁああ!」

近くに投げられるようなものが何もなかったのは救いだ。地を這うようなシズちゃんの怒声に、他の追試組や監督の教師までもが縮み上がっている。だから君はいつまで経っても怖がられたまんまなんだよって、性格の悪い俺は教えてあげない。君は化け物のままでいい。そして人間が好きな俺は、いつまでだって君のことが嫌いなままだ。それでいい。

「いやあ、おっどろいたよぉ。いきなり俺にかまわなくなったと思ったら、まさかこーんな高尚なご用事があったとはねえ。ぶっふー。うーけーるー」
「殺す殺す殺す……」
「やーんこわぁい!」

止めろ折原、と俺たちの様子をうかがっていた教師が堪えきれなくなったのか口を挟んだ。シズちゃんは基本的に聞く耳持たずのうえ下手すれば自分まで餌食になるから、まだ話の通じる俺に言ったのだろう。
だけど残念、少し遅かったね。本当に俺たちを止める気なら、もっと早い内から止めてくれなきゃ。このシズちゃんはもう止まらないよ。
だけど制止の声をかけたその勇気に免じて、この学校への被害を最小にするくらいのことはしてあげよう。

俺は目の前の窓を開けると、ぴょんとそのサッシの上に飛び乗った。シズちゃんに顔を向けると、ヒラヒラと手を振る。

「じゃあねえ、シズちゃん。また2学期にー」
「あ、手前待ちやがれゴラァ!」

シズちゃんの怒号を背に、地上に向かってそのままジャンプ。勿論この程度であの男を撒けるとは思っていない。俺がわざわざ花壇の土の上という柔らかい個所を目がけて飛んだのとは違い、シズちゃんなら多分コンクリートの上だって躊躇なく飛んでしまえるだろう。本当に化け物だよね。いつ死ぬの? いや、どうやったら死ぬの?
俺がどう頑張ったって人間であるように、シズちゃんはどうやったって人間離れした怪力を持つ化け物である。それに追い回される俺って本当に可哀相。だって人間じゃあ、やっぱり化け物には勝てないんだよ。人間のふりをしたがってるシズちゃんには分からないのかもしれないけどさ。

久し振りの追いかけっこは夕方まで続いた。
明日から俺たちは夏休みを迎える。





いくら俺に友達が少ないとはいえ、夏休みはそこそこ忙しい。といっても余計なことに自分から首を突っ込んでるだけだから、時間を取ろうと思えばそりゃあいくらでも取れる。もちろん夏休みの宿題なんてかったるいものは始めの1週間で全て片付けた。俺はあの筋肉ゴリラとは違う。だから確かに、時間は取れるっちゃあ取れるんだよ。でもさ、だからってさあ、いきなり今日の6時に浴衣を着て来神正門前集合、はないんじゃない? 6時ってあと30分じゃん。なにこれふざけてんの?

『君の大好きな門田君は来てくれるってよ?』
「いやいやそういう問題じゃないから。一体何を企んでるのか知らないけど、君達だけで勝手にやってくれ」
『えー、ノリが悪いなあ。静雄はすぐにいいって言ってくれたのに』

だから、あの筋肉馬鹿と一緒にするなって。
珍しく電話なんて寄越してくるから何事かと思えば、無茶ブリにもほどがある。浴衣なんて俺持ってないし。大体誘うならもっと早い段階から声をかけるべきだよね。せめて2、3時間前には連絡しろよ。そしたら少しは考えてやるのに。そもそも一体何をするつもりなんだ。

『今日は夏祭りがあるだろ?』
「あるね」
『一緒に行こうよ』

はあ、と思わず溜息を吐いてしまった。夏祭り、夏祭りね。男子高校生4人が集まって夏祭り。うすら寒いことこの上ないよ。まあ別に、だからって女の子がいたとしても行きたいとは思わないけど。

「……お前アレだろ。また同居人に『夏休みなんだから友達と一緒に遊ぶくらいしたらどうなんだ』みたいなこと言われただろ」
『あれ、よく分かったね』
「行動パターンが単一すぎるんだ。俺まで巻き込むなよ」
『でも、君には来てもらうことになりそうだ。浴衣は諦めるとして』
「は? だから俺は行かないって」
『今静雄が、張り切って君を迎えに行ったから』
「――なんだって?」

サッと血の気が引いていくのが自分でも分かった。シズちゃんが迎えに来るだって? 誰を? どこまで? ひょっとして俺? 俺の家まで? まさかあの野郎、俺の家まで押しかけるつもりなのか? 冗談じゃない!
今は九瑠璃も舞流も家にいるんだぞ。あんな変人双子を見られでもしたら堪らない。いや待てよ、そもそもシズちゃんって俺の家がどこにあるのか知って……た! 知ってた! そういやアイツとは俺の家の前まで一緒に帰ってたんだった!

「……悪い新羅、ちょっと急用ができたら切る」
『もう遅いと思うなあ』
「うるさい!」

ブチッと無理やり通話を切ってやった。とにかくあまり猶予は残されていない。シズちゃんが来ると言ったら、本当に我が家まで押しかけてくるつもりなのだろう。ということは俺に残された道はただ一つだ。
今すぐここから逃げる。
シズちゃんなんかに捕まって堪るか。携帯と財布と家の鍵。必要最低限のものだけ持って家を飛び出ようとした俺だったが、そこで生まれて初めて頭を抱えてへたれこむというベタな事態を体験した。玄関の扉を開けた途端、なんとちょうどシズちゃんが俺の家の前に立っていたのだ。なんつータイミングだよ。どういう空気の読み方だよ。畜生これじゃあ俺はまるで飛んで火にいる夏の虫じゃないか。

「シ、シシシシズちゃん!?」
「よおノミ蟲ぃ……知らなかったぜ、お前がそんなに俺の迎えを待ち望んでたなんてな」
「いや違うから。これは別にそういうアレじゃなくて」
「御託はいいからさっさと行くぞ」

ぐっと手首を掴まれた。こうなったらもう逃げられないだろう。ちょうどお出かけするのにちょうど良い装備をしていることだし、俺は早々に抵抗するのを諦めた。別に夏祭りに行きたいからとかそういうのでは全くない。シズちゃんなら何と言おうと俺を引きずって行くんだろうし、そもそも基本的に人の話を聞かないからだ。前から聞きたかったんだけどいつ死ぬの? ていうか君やっぱり俺のこと嫌いだろ。握られてる手首が痛いんだよ痣になる。

「シズちゃん、はなして」
「……逃げるだろ」
「逃げないよ」
「…………」
「本当だって。夏祭りだろ? いいよ、付き合っても。人が多いし、俺も興味がないわけじゃない」

俺が諦めモードに入っているのは本当だ。逃げたって後が面倒なだけだし、まだ逃げるつもりでいるなら今の時点で大人しくついて行ってたりしない。シズちゃんは暫く俺に疑いの眼差しを向けていたが、俺の諦めを悟ったのか「逃げんなよ」とだけ言って手をはなした。
いや良かったよ。まるで男二人が仲良く手を繋いでるみたいな図になってたからね。あと結構本気で痛かったから。シズちゃんの背中を見ながら、さっきまで掴まれていた手首をさする。

それにしてもシズちゃん、また無言になっちゃったよ。いつもそうだよね。一緒に帰ってる時も、ずーっとだんまり。無言で俺の後をついて来るばっかでさあ、だからいつか襲い掛かられるんじゃないかってヒヤヒヤするんだよ。大好きな俺のそばにいるんだから、少しは嬉しそうな顔でもしてみろっつーの。
まあどうせ、後ろにいるシズちゃんの表情なんて俺には分からないんだけど。

……そういえば今も含めて、シズちゃんの横を歩いたこと、ないなあ。

基本は俺が前で、シズちゃんが後ろだもんね。追いかけっこしてる時も、ただ一緒に帰ってるだけの時も。
だからシズちゃんの後をついて来るこの状況もかなり新鮮だ。俺が前なら振り向けばシズちゃんの顔は見れるけど、後ろを歩いてるとそうもいかない。案外、面白くないもんなんだなあ。

シズちゃん、君は今どんな顔してんの?


あきゅろす。
無料HPエムペ!