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騙されやすい僕の恋人/前編

太陽を直視すると目がやられる、と小学生の時の理科の先生が言っていたことを俺はまだ覚えている。変てこな眼鏡を渡されて、でもこれ越しに見れば安心だ、とよく分からない笑顔で言ったあの顔をどうしても覚えている。カラスがカァカァ鳴くのはどうしてだろう。空が色を変えるのはどうしてだろう。生きている時間の長さだけ色んな疑問がわいてきて、でもその答えを知るたびに現実のつまらなさにがっかりする。
駅の近くに新しいカフェができた。さっそく一緒に行こうというお誘いのメールが入って、俺は自分のスケジュールを思い出しながら軽い気持ちでいいよと返信する。女の子は何故ああもふわふわとかわいらしい匂いを常に身に纏っているんだろう。俺は知ってる。それは整髪料の匂いであり、化学物質でできた香水の匂いであり、そして女の子の健気な努力の上に成り立つ結果だ。現実なんてそんなもんだ。だからやたらな好奇心は夢見る子供心をちょっとずつ叩き潰していく。

「臨也君ってたまに変なこと言うよねー」

顔の上に塗り重ねられたファンデーションの分だけ女の子は嘘を吐くのだとしたら、果たしてそのピンク色の唇は生涯にどれだけの真実を伝えてくれるんだろう。女の子って怖い。怖くて可愛い。俺が適当な誤魔化し笑いをしただけで、そうやってすぐはぐらかすー、とあまりに痛いところを突いてくる。これが女の本能ってやつなら、女の子は俺たち男と比べてどれだけの苦労を背負わされてるんだろう。
それじゃあまたね、と軽く手を振る時が、女の子は一番怖い。今度はいつ会えるのー? 甘ったるいチョコレートみたいな声の裏には、俺なんかじゃ測れないくらいの打算がいっぱいに散りばめられてる。分かんないなあ、と駆け引きもへったくれもないことを言ってみる。あたし、臨也が何してても文句は言わないけどさ。女の子ってのは、どうしてこうも男を困らす天才なんだろう。俺はこうやってまた「またね」という別れの挨拶を言わされる。

心穏やかでいたいっていつも思ってる。俺は携帯を開くと脇目も振らずシズちゃんのアドレスを呼び出して、でも少し考えた後やっぱり番号にかけることにした。俺の電話は3コール以内で出てね。付き合うことになった直後に言った俺の冗談をシズちゃんは今でも真に受けていて、仕事中だろうがお休み中だろうがいつも俺の呼び出しにすぐ気付いてくれる。
ねえシズちゃん寂しいよー、と俺は思ってもいないことを言ってみた。シズちゃんは不思議そうに変な声を漏らして、それから何かあったのかとテンプレート過ぎる台詞で俺を心配し始める。恋の駆け引きってやつを分かってないんだね。それだからいっつもイイ人で終わっちゃうんだよ。俺は電話越しに散々わがままを言って、心ゆくまでシズちゃんに心配をかけさせた。大丈夫、がシズちゃんの口癖だ。語彙のないシズちゃんにはピッタリ。電話を切ると深呼吸する。すると今度は、違う女の子からまたメールがくる。


女の子の体のほうが柔らかい、といつだったか俺が当たり前のことを漏らすと、シズちゃんはいかにも傷付いたような顔をした。そういえばいつだって馬鹿正直で嘘の理解できない男だった。シズちゃんが俺に告白してきたのは天気のいい春の公園だ。晴れていて、風が心地よくて、時たま子供の笑い声が響いて、全てが完璧な風景の中での拙い告白だった。
俺には勿論、そんなつもりは毛頭なかった。だってそもそもシズちゃんって男だし、可愛くないし、女の子みたいにおっぱいもないし、そして何より、俺はシズちゃんのことが嫌いだった。どうせなら一番傷付くような振り方をしてやろうと思っていたのに、少し頭を悩ませている間にちょうどよくシズちゃんの頭に紋白蝶が乗って、それが不似合なリボンのように見えて俺は思わず吹き出してしまった。

「アハハッ、シズちゃん、女の子みたい!」

腹を抱えて笑う俺にシズちゃんは目を丸くして、それから照れ笑いをしながら「どうせならそのほうが良かったな」と言った。俺はどうもそのとき頭のネジが一本ほど緩んでいたらしく、そう言うシズちゃんがいじらしく見えて少しだけ感動して、感動したまま「男でもいいよ」と言ってしまった。あの時のシズちゃんの間抜けヅラは忘れられそうもない。





恋愛に夢を見るのってくだらない。街中の居酒屋でビールを仰いで、腕時計で時間を確認して、そんな擦れた中学生みたいなことを思ってみる。安っぽい雰囲気がいい、と今日の女の子は物珍しそうに店内を見渡す。でも料理はちゃんと美味しいね、と串から取った焼き鳥を頬張りながらお高い台詞を安い笑顔で言う。
女というのはそもそもおしゃべりな生き物なのだ、と俺は思っている。俺が何も言わなくても、これが美味しいだの、あれが美味しいだの、キンキン響くような声でひっきりなしに口を動かす。この前のあの子だったらもう少し声のトーンを落とせるんだろうな、と俺はビールジョッキの淵を意味もなくなぞりながらぼんやり思った。この世の中には全く色んな種類の女の子がいる。店を出る瞬間まで女はずっとしゃべりっぱなしで、多分きっと俺が話を聞いていてもいなくてもどっちでもいいんだろうなと虚しいことを思った。

「ねえ、ねえ、ホテル行こうよ」
「えー」
「いいじゃん、臨也どうせ一人暮らしなんだしさあ」

ぐいぐい腕を引っ張られて、俺はどちらともつかないような曖昧な態度でどうしようかなあと間の抜けた返事をした。女の子の強引さって見習いたいものがある。そういうのはどこで身につけてくるんだろうって俺は思う。酔ったふりなんて平気でするんだ。バレても全然悪びれないでさ、許されること前提なんだよね。
ねえねえ、と今度は腕に胸を押し当ててくる。もっと自分の体を大事にしなよ、と俺は言いたくなる。もっと上品な誘い方はできないのかな。でも男って所詮は下半身でできてる肉欲の塊だから、それが結局は一番合理的なのかもしれない。そう考えると女の子って少しだけ可哀相だ。なんだか俺もセックスしたくなってきた。

久しぶりに触る女の子の体は柔らかい。そんなことを考えてたって仕方ない。所有本能なのか、捕食本能なのか、翌朝ベッドの上で目覚めると首筋から鎖骨にかけてポツポツと赤い鬱血痕が残っていた。やられたなあとのんびり考えながら、ベッド脇に「先に出てます」というメモとお金を残して部屋を出る。
ああ眩しいなあ。日光が俺の全身に吸い込まれて、体中で呼吸している。顔を上げたら太陽が見えるだろうか。雲は浮いているだろうか。道の脇で猫がニャアオと鳴く。俺はそれを真似るように、心の中でニャーンと言ってみた。動物になってみるのもいいかもしれない。恋の駆け引きとか、生きることの打算とか、利益を得るための嘘とか、そういうの、ぜんぶ関係ない世界に生きてみたいなんて、お伽噺みたいなことを夢見たりして。子供の純心はいつ奪われるのか、夢はいつから見なくなるのか、そういうこと必死に考えたってちっとも生きるたしにはならないから、とりあえず大人ぶってそれらしい現実を語ってみたりして。大丈夫が口癖のシズちゃんは何を考えながら生きてるのかな。まだ子供みたいなことを本気で信じながら夢の国に住んでるのかもしれない。それってすっごい笑えることなのに、なんだか妬ましくって羨ましくって、俺は時々本気でシズちゃんの首を絞めてやりたくなる。

シズちゃん来てよ。自分の家に辿り着いてすぐにそうメールすると、1分と経たずにシズちゃんからは返事が来る。なんとも穏やかな日曜の昼下がり。俺がシズちゃんの来訪を待っていると、今朝俺がホテルにおいてきた子から恨みっぽいメールが届いた。なんで置いてくのよ、待っててくれてもいいのに。私は臨也のこと信じてるから、臨也が何してたって気にならないけど、置いてくのは酷いよ。なんだかなあと思いながら俺は文面を追っていって、お金は置いてったんだからいいじゃんとか、あのままだったら今日も付き合わされたかもしれないしとか、本人には言えないような言い訳をつらつらと思いついていく。
ピンポン、とチャイムが鳴るのはシズちゃんが来たからだ。来てと言ってすぐに来てくれるシズちゃんの律儀さにはいつも感心と尊敬と呆れが湧き上がってくる。そんなんだかモテないんだろうな。恋愛は駆け引きだよ。ただダラダラ一緒にいるだけじゃあ、いつか飽きられたって文句は言えない。

「どうした?」
「うん、なんか、最近疲れちゃってて」

俺はシズちゃんに嘘は言わない。あの春の公園で見せた間抜けた顔と、自分の笑い声と、飛んでった紋白蝶と、本当に何もかもが完璧で、欠点なんて一つも見当たらなくて、俺はこの思い出をシズちゃんのそばにいる間だけでも守り抜くと決めたのだ。
俺はシズちゃんとセックスをしたことはない。しないって決めていた。直接口に出したことはなくてもシズちゃんもそれをなんとなく察しているらしく、俺に何かしてこようという気配も見せない。そもそも俺って、ゲイじゃないんだよね。男同士で抱き合ったりするのって気持ち悪いじゃん。キスだけはなんとなくしたことはあるけど、舌を入れたりとかは無理だって思う。



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