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後編5

 空港を出て、人気のない場所まで移動する。広い駐車場はほとんど車で埋め尽くされていて、その中には人の姿もチラホラ見えた。ガラガラと重そうなスーツケースを引っ張って歩く臨也の背中について行って、こいつの後ろ姿はどうしてこんなに細いんだろう馬鹿みたいなことを考えた。毎日栄養のあるものをちゃんと食べているのか。野菜も食べろと言ったのに、嫌いだと駄々を捏ねてサプリメントなんかで誤魔化そうとして。社会人なら自己管理もしたらどうだ。その辺の常識が全然ない。全然なってない。そんなに細い体で重たそうな荷物なんて持って、何も言わずに何処に行く気だ。黙ってどこかに行こうとするなよ。

「新羅に聞いたの?」

 空港の外壁沿いに歩いて、大分人が減ったところでいきなり臨也が振り向いた。怒鳴られる覚悟も逃げられることも予想していたのに、臨也は全くそんな様子を見せずに穏やかに笑っている。あの時はあんなに取り乱していたのに、今の臨也はそんな素振りを全く見せなかった。拍子抜けするくらい、臨也は落ち着いていた。

「俺、黙ってろって新羅には釘を刺しておいたんだけどね」
「……俺がアイツから聞いたのは、お前が今日の朝に日本を出るってことだけだ」
「ふうん、そう。それでここまで来ちゃったの。相変わらずだね、シズちゃん」

 臨也はいかにも落ち着いていて冷静で、それが逆に静雄には不安だった。まずは何と言えばいいだろうか。会わなかった期間のこと、その間静雄が考えていたこと、臨也は何をしていたのか、何を考えていたのか。本当に、まだ、静雄のことが好きなのか。

「ごめんね」
「……あ?」
「ごめんね、シズちゃん。俺、ずっと謝りたかったんだ。本当はもっと、早くに言っておくべきだったのに、これがどうしても怖くて」
「お前、何言ってんだ?」

 何かをされた記憶もない。臨也に謝られる理由がない。最後に会ったあの日何かしてしまったのは静雄の方で、だからもしも誰かが謝る必要があるのだとしたら、それはむしろ静雄のほうだ。

「あの時君、俺にキスしようとしたよね。それで俺は君を突き飛ばして、逃げ出したんだ。だって意味わかんないし、同情なら要らなかったし、それに、なんか、これで終わりにしろって言われそうで、それで俺、怖くて、でも」
「臨也、アレはな」
「でも、そうじゃないんだよね。ずっと俺考えてて、だってシズちゃんがそんなことする訳ないから、ずっと考えてた。あの時俺があんな話をしてしまったから、俺がシズちゃんを追い詰めて、俺が悪いのに、でも、シズちゃんは俺に同情したからあんなことをしたわけじゃないよね? 大丈夫だ、分かってるから。でも嫌だったんだ。嫌だった。君だけは俺を可哀相だと思わないで。君だけは俺に同情したりしないで。そんな俺の都合を君に押し付けて、勝手に逃げてたんだ、ごめん」

 ああもう本当に、静雄の知らない間に随分と遠いところに行ってしまったのだと寂しくなった。子供だ餓鬼だと思っていた折原臨也はこんなにもずっと大人になって、そして静雄だけがあの夜に取り残されていつまでも同じ場所で地団太を踏んでいたらしい。
 やっぱり好きだ、と思った。こんなに好きだ。昔あった確執を全て忘れられるわけでもなく、塗りつけられた悪意を許せるわけでもなく、まだ自分のこの思いを正面から受け止められるわけでもないけれど、静雄は臨也のことが好きだった。好きになっていた。

「謝るなよ、手前は悪くねえよ。お前が謝ったら、俺も謝らないといけなくなるだろ」

 言いたいことがたくさんあった。恨み言も自分の決意も、ここに来る前にたくさんのことを考えて、どれを選択すればより正解に近づけるのか、頭の悪い静雄なりに精一杯に考えた。
 ――誰も悪くなかった。
 新羅の言っていたことの意味が、静雄にもやっと分かった気がする。ああ本当に、誰も悪くなんてなかった。誰も悪くないのに静雄も臨也も自分の粗捜しをするのに必死で、互いのことが見えなくなって、やっぱり結局、どっちもどっちで自分勝手になっていた。臨也は静雄を正面から見ると、「きっともう嫌われたと思った」と唇を歪めた。

「今度こそ本当に駄目だと思った。完全に嫌われたと思った。だから会いたくなかったんだ、怖かった。嫌われたくない、君にだけは嫌われたくなかった。おかしな話だよね。もうとっくの昔に、俺は君に嫌われてるってのに、改めてそれを考えるとすごく怖くて、君に会えなくなっちゃったんだ。次に会ったら何か決定的なことを言われる気がして、怖くて」
「だから出て行くのか」
「それは、違うよ。君は関係ない。日本を出てくってのは、もう随分と前から自分で決めてた。だからこそ、あんなに大胆に君に好きだと言えてたのかもね。本当だよ」
「俺はな、臨也。俺の方こそ、お前にもう嫌われたと思った」

 そしてそれは、考えるだけでもすごく怖い。
 誰かを好きになると、同時に嫌われることに臆病になる。それが恋でも、友情でも、憧れでも、親愛でも、自分が好きな人から嫌われるのはとても怖い。臨也に嫌われたくないと思ったのはいつからだろう。いつだって臨也を拒絶できなかった。それは自分の卑小さを隠すためでもあり、そして嫌われたくないという幼稚すぎる願望の表れだったのかもしれない。臨也の居場所を知っていただろう新羅を問い詰められなかったのも、今こうやって目の前にいる臨也をどうしていなくなったんだと詰れないのも、ただ単純に臨也に嫌われたくないからかもしれない。臨也から嫌われた可能性を考えたくなかったからかもしれない。

「嘘だよ。シズちゃん、俺のこと嫌いなくせに」
「昔のお前は大嫌いだ。でも、今のお前は、好きだ」
「……何それ。そういうの全然笑えないんだけど」
「俺はお前の笑った顔好きだけどな」

 臨也の瞳が揺れた。本当のことを言っただけだ。

「同情しないで」
「してない」
「期待させないで」
「なんで」
「だって君は、ゲイでもバイでもない」
「そうだな。でもそれは、俺がお前を好きにならない理由にはならない」

 ゲイじゃないと、バイじゃないと、男が男を好きになったらいけないのか。それこそ偏見ってやつじゃないのか。だって静雄は、ただひたすらに「折原臨也」が好きだ。たとえ臨也が男でも、女でも、外国人でも、たとえ静雄よりずっと年下でも、たとえヨボヨボのお爺ちゃんでも、臨也ならきっと好きになってた。だから今度は。

「期待しろよ。少なくとも俺はしてる」

 同じ所から、世界を見たい。

「俺は、お前を好きになりたいよ」



あきゅろす。
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