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春はまだ来ない/前編
※詐欺師臨也と警官静雄





 寝てたって季節は巡っていく。

「吐け」
「――は?」
「いいから吐け」

 いきなり般若のような顔で押しかけて来た平和島静雄の第一声に、岸谷新羅はポカンと口を開けた。





「……で、いきなり何? 吐けって何を?」

 新羅はとりあえず静雄を家にあげると、呆れかえったように溜息を吐いた。静雄は苛立ちを腹の底に押さえつけながら舌打ちする。

「決まってんだろ、臨也の居場所だよ。どうせ手前は知ってんだろーが、ああ?」
「今日は随分と荒れてるね。アイツまた何かやらかしたの?」
「あんの野郎! よりによって俺に変装しやがったんだよ!」

 堪えきれなかったものが咆哮とともに吐き出された。静雄はギリギリと歯噛みすると、この話を上司のトムから聞かされた時のことを思い出して更に腹の底が沸騰するのを感じる。

「殺す殺す殺す……あの糞野郎は絶対に俺が捕まえてやる……」
「うんうん、見付かるといいねえ」
「だから居場所を吐けっつってんだろうが……あの野郎、チョコマカと逃げ回りやがって……」
「だって逃げないと捕まるからねえ」
「捕まるべきだろうがアイツはよぉ……」

 あの憎たらしい顔を思い出して、静雄は唸るような低い声で言う。それを見た新羅は、「君達も相変わらずだねえ」とまた溜息を吐いた。

 静雄と新羅、そして臨也は高校の同窓生だった。仲は良くなかった。ことに静雄と臨也は犬猿の仲と言ってもよく、顔を合わせて喧嘩にならないことはなかった。
 ただよくつるんだ。変わり種でもあった三人は学校内でも悪目立ちすることが多く、周囲からは遠巻きにされることがほとんどだった。余り者同士が集まってしまっただけだ。それでも静雄は一応のこと新羅を友人だと認識していたし、臨也のことだって、まあ腐れ縁程度には思っていた。だが元々変人の集まりだった3人がいつまでも健全な付き合いができるはずもない。
 まず道を外したのは新羅だった。新羅は大学に行かないまま、父親と同じく医者になった。当然医師免許など持っていない、闇医者だった。
 次に臨也が道を逸れた。臨也は頭も良かったので普通に大学に行ったが、そこで明らかに“ヤバイ”と分かる人間とつるみ始めた。法律すれすれのことを面白いからという理由でやり始めて、自分の所属するサークルを自分で潰すという意味の分からないことして暫くすると大学まで辞めていた。理由を聞いても答えない。この頃にははっきりと法律に触れるようなことまでやっていて、静雄がいくら大人しくさせようとしても無駄だった。何を言っても飄々と薄ら笑うだけだった。
 この頃から静雄と臨也の対立が決定的になったように思う。静雄はバイトをしながら短大に通っていたが、そこを止めて警察学校に入り直した。理由は簡単だ。

「臨也の糞野郎は、絶対に俺が豚箱に放り込んでやる……」

 今や臨也は有名な詐欺師だ。詐欺と名の付くことなら何でもやる。それもただの金目当てならまだ可愛げがあったが、臨也の場合、単に詐欺を通して人間の心の機微や変化を間近で見たいという悪辣極まりない理由だったため救いようがなかった。
 挙げ句変装などというふざけた特技まで身に付けてしまい、捕まえようにもまずどこにいるのかすら分からない始末だ。つい先日は静雄に変装したらしく、身に覚えのない振り込め詐欺で危うく逮捕されるところだった。本当に怒りが収まらない。静雄は臨也を一発ぶん殴りたくて仕方なかった。

「良かったねえ潔白が証明されて。まあ君の方が背が高いしね」
「おい、いいからアイツの居場所を吐け。百回殺す」
「まあまあ、落ち着いて。君の直情径行、猪突猛進は相変わらずだね。だから脳みそまで筋肉なんて言われるんじゃないかな。解剖してみてもいい?」
「手前をしょっぴいてやってもいいんだぞコラ」
「ごめんなさい」

 新羅は深々と頭を下げる。それを見て唐突に、静雄の頭にはある一つの疑念が浮かんだ。

「つーかお前、本当に新羅なんだろうなあ?」
「は? 何言ってるんだいいィィィイイタイイタイイタイタイタイ!」

 静雄は身を乗り出して新羅の両頬を指で摘まむと、思い切り左右に引っ張った。新羅は本当に痛がっているらしく、「イヒャイイヒャイ!」と両手をバタつかせてどうにか抵抗しようともがいた。どうやら変装ではないらしいと判断して、静雄は両手を離した。

「……違ったか」
「何するんだよ静雄! 僕のほっぺたが伸びちゃったらどうするんだ!」
「お前医者だろ?」
「僕は皮膚科も整形外科も専門じゃないんだよ……まだ痛い」

 恨み言を言いながら頬をさする新羅を無視して、静雄は苛立たしく腰のあたりに手を伸ばした。煙草を吸おうとしたのだが、そういえばまだ制服だ。新羅の家にはパトロールついでに寄っただけだった。一応今も勤務中なのだ。

「でもまあ落ち着いた方がいいのは確かだよ。その調子だと君、一般市民にまで怪我させちゃうんじゃない?」
「……うるせえ」
「頼むから怒らないでくれ。家を壊されたら堪らない。何か飲み物でも持ってきてあげるからさ」

 新羅は立ち上がると一旦リビングから消えた。静雄はその背中を黙って見て、また臨也のことを思い出す。何度思い出したって腹が立った。性根の腐れ切ったあの男は、一度痛い目を見ないと目が覚めないらしい。

 出会ったばかりの頃はそうでもなかった。確かに捻くれてこ憎たらしいところはあったが、人を陥れたりするようなことはしなかった筈だ。臨也と最後に会ったのはもう数年も前のことだ。大学を辞めて暫くしてから、臨也が今度は詐欺まがいなことにまで手を出したらしいと聞いた静雄は、なんとかそれを止めさせてやろうと臨也の家まで乗り込んだ。
 胸倉を掴んで、その目を正面から見て、今すぐにでも殴り倒してやりたいのを必死に堪えて言った。
 ――手前、今やらかしてることから全部手を引け。でないと殺す。
 ――なーんで俺が、君にそんなことを指示されないといけないのかなあ。関係ないだろ?
 臨也は少しも悪びれずにそう言い放ち、結果として静雄は臨也を止めるのに失敗した。妙な理屈を捏ね繰り回して言い逃れをしようとする臨也を静雄は殴ることすらできず、臨也は静雄の目の前から消え、気付けばご立派な詐欺師になり果てていた。
 絶対に捕まえる、と静雄は誓っていた。喧嘩しかしてこなかった臨也との、これが静雄にとっての唯一の友情だったのかもしれない。

「お待たせ」
「遅ぇぞ」
「いやあ、いつもはセルティにしてもらってるから手こずっちゃったよ」

 新羅はテーブルに、コーヒーの入ったカップを二つ置いた。ポーションタイプのガムシロップとミルクを袋ごと持って来ている。静雄はいつものようにそれを二つずつ開けてコーヒーに入れた。どちらにしろあまりゆっくりとする時間はない。パトロールを抜け出してしまったのだから余裕はない。

「おい、いいから臨也の居場所を吐け。お前らはまだ連絡取り合ってんだろうが」
「知らないよ。臨也は世界中どこにだっている。俺だっていつでもどこにいるのか把握してるわけじゃない」
「御託はいいからよぉ、さっさと吐けっつってんだろう? お前のことまで殺したくなっちまうだろうが……」
「知ってたって教えられないんだ。俺だってカタギの人間じゃないからね。アイツの居場所をばらしたりしたら、俺のこともアイツにばらされる。セルティもいるのに捕まりたくないんだよ。この家もまだ手放したくないし」

 静雄は短く舌打ちした。
 臨也は世界中のどこだっている、というのは間違いではない。あの男はご自慢の変装術をそこかしこで使って、世界中に架空の人物を作り上げている。数が多すぎて全てを把握することもできない。一つを特定したからと言って、それがそのまま臨也につながるわけでもない。
 あの会社の社長は、あの有名作家は、あの大物投資家は、疑い出すとキリがない。まさに折原臨也は世界中のどこにでもいる。今日擦れ違っただけの知らない人間も、もしかすると臨也だったのかもしれない。だがそれを判断する術はない。臨也はどこにでもいて、いつだって人を騙すことだけに頭をまわしている。人殺しや傷害までに発展しないのが、唯一の救いといえば救いだった。騙した人間が泣き叫ぶのを見てそれを愉快だと笑うのだから、臨也が人間としてクズだということに変わりはないが。

「あの糞野郎、年々変装が上手くなってんだよ。おかげで擦れ違っても気付けねえ」
「前に匂いが云々って言ってなかった?」
「もうしねえんだよ」

 以前は確かに、臨也が近くにいれば臭いで分かった。だが大学に入った頃から段々と臭いがしなくなった。今の臨也を静雄は捕まえられない。

「っていうかさあ、もう臨也のことなんて忘れなよ。アイツは国際指名手配犯だよ? たかが巡査の君にどうこうできるとは思わないなあ」
「関係ねえんだよンなことは……」

 臨也を捕まえるのに地位が必要ならどんな手段を使ったって這い上がるが、そんなものは無用だと静雄は分かっていた。黙っていたって、臨也は静雄の周りを小うるさい蠅よろしく飛び回っている。必要なのはそれを叩き落とすための俊敏さと勘だ。気付いた時にはもういなくなっているのでは話にならない。静雄が警察になったのは、一般人では現行犯でしか捕まえられないと知ったからだ。
 臨也は自分が捕まえると決めていた。逆に言えば、他の人間に捕まえられるとも思わなかった。

「なんでそこまで臨也にこだわるんだい?」コーヒーにシロップを入れながら新羅が聞いた。「嫌いなんだろ? ほっとけばいいのに」掻き混ぜて口をつける。
 静雄は一度口を開いたが、何も言わずにすぐ閉じた。暫くテーブルに目を落として、改めて顔を上げる。

「……アイツは俺が必ず捕まえる」
「どうして? 殴り足りなかった?」
「それもある。お前よお、覚えてるか? 高校卒業してから、俺ら三人で花見行ったことあっただろ」
「何? いきなり」

 新羅は一瞬眉を寄せたが、何か思い当たるものがあったらしく、すぐに頷いて答えた。

「ああ、臨也がいきなり行きたいって言い出したやつ? 適当な公園に行ってさ、そこでも君と臨也は喧嘩してた」
「アイツが俺にポカリをぶっかけるからだ」
「暑かったなあ。よく晴れてたよね。予報では雨だったのに、雲もあんまりなくて」
「俺が捕まえてやったら、アイツ、ゲラゲラ笑いだしやがったんだよ。だから俺もコーラをかけてやって」
「折角の花見日和だったのに、君達はずっと鬼ごっこしてたよね。俺が様子を見に行く頃には、二人とも大の字で寝転んでてさ」

 炎天下の追走劇にさすがにお互い体力を消耗して、大の字になって仰向けに芝生の上に寝転がった。途中で新羅もやって来て、三人で青いばかりの空を見上げた。誰も何も言わなかった。いや、新羅あたりが「いい天気だねえ」くらいのことは言ったかもしれない。ただ重要なのはそんなことではなく、あの時は確かに三人とも同じ空を見上げていたということだった。新羅は闇医者なんてものになると思わなかった。臨也は詐欺なんてものに手を出すと思わなかった。そして静雄自身、そんな友人を捕まえるためだけに警察になるとは思わなかった。 高校を卒業してすぐに進む道は別れたし、それは前々から分かり切っていたことだった。それでもあの時見上げた空は、確かに同じ色でそれぞれの目に焼き付いたと思っていたのだ。同じ空を見たと思っていた。今考えればそれはただの静雄の願望だったかもしれない。だが当時の静雄には疑う必要すらない真実だった。
 ――あーあ、コーラで体中ベッタベタ。シズちゃん責任取ってよねー。
 ――手前からやってきたんだろうが!
 ――まあまあ、二人とも落ち着きなよ。折角いい天気なんだからさあ。
 空は青かった。そう、確かに青かったと思う。文句を言うくせに臨也は何故か楽しそうで、新羅もそんな臨也を見て笑った。静雄の額にはうっすら汗が浮かんで、まだ暑さの残る春のことだった。

「ていうかどうしたの、急にそんな昔話なんかしちゃって。まさか懐かしくなったとか?」
「アイツはな、新羅。俺が最後にアイツをぶん殴りに行ったとき、俺には関係ねえって言いやがったんだよ」

 ただ純粋に裏切られたと思ったのだ。
 だからまた捕まえてやろうと思った。臨也が何を考えているのかなんてこの際どうでもいい。
 ――ねえ、来年もまた、三人でここに来たいねえ。
 あの日他の誰でもない臨也が自分でそう言った。別にそれを楽しみにしていたわけではない。確かな約束をしたわけでもない、信じていたわけでもない。だが臨也が確かにそう言った。あれからもう何回も春は巡ったのに、臨也は最後に「関係ない」という言葉だけ残して静雄の前に姿を現さない。奈倉だの甘楽だのクロムだの、名前や容姿まで変えて臨也は自分以外の自分を作り上げる。そうして人の心をほじくるだけほじくって、最後にはその皮だけ残して中身だけ消えている。
 新羅の言う通り、今の静雄は交番に勤務する一介の巡査でしかない。それでも静雄はいつだってこの世界のどこかに臨也の気配を感じていた。たとえ世界中のどこでどんな悪さをしていたとしても、絶対に臨也は静雄の近くにいる。君には関係ないからと笑いながら姿をくらましたあの日から、静雄は他の誰でもない「折原臨也」を見付けると決めていた。

 残りのコーヒーを全て喉に流し込んで、静雄は立ち上がった。新羅がきょとんとした顔を上げる。

「あれ、もう帰るの?」
「ああ、そろそろ時間がやべえ」

 言いながら、静雄は腕時計で時間を確認する。結局十五分程度ここに居座ってしまった。トムも心配しだす頃かもしれない。

「ああやっぱり、その恰好、パトロール中だったんだ」

 新羅は笑う。静雄はそのまま帰るか悩んだが、帽子を被り直しながら言った。

「言うほど嫌いじゃなかったんだ、多分」
「……何の話?」
「おい新羅、今度臨也に会ったら言っとけ」

 新羅は不思議そうに静雄を見上げた。いつもより黒目が大きい。そんなことを言えば気持ち悪がられるだろう。そういえばあの時、新羅だけが何も被っていなかった。
 寝ている間だって季節は巡る。春は静雄にとって嫌な季節になりつつあった。

「お前は俺が絶対に捕まえてやる。首洗って待ってろ、ってな」













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春はまだ来ない
(聞こえているか、)


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