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ラスト・ラブ/後編

臨也が俺の家に来ることも多かったが、付き合っていた当時は俺の方が臨也の家に行くことの方が多かったという気がする。出先で働く俺と違って臨也は家に籠ることが多かったから、だからそっちのほうが都合が良かったのだ。
ある時臨也の家に行く途中、どういう気紛れかいつか臨也が食べたいと言っていたケーキを土産に買っていったことがあった。完全に思いつきの気紛れだった。だが臨也はこんな顔もするのかというくらいに喜んで、照れて、はにかんで、ああこいつはこんな風に笑うのだと、俺は窓から偶然見えた星に目を細めた。幸福を感じた。

「流れ星だなんて、ロマンティックなものはないけど」

気紛れついでにキスしてやった。なんだか幸せな気分だった、本当に。もしかしたらこういう気持ちを愛しいと呼ぶのだろうか、最近伸びてきた黒髪に手を伸ばして、そのまま頬に触れて。

「このまま、時間が止まればいいのに」

そうだな、と答える代わりにもう一度キスをしたのだ。恋だとか愛だとか、そんなゴチャゴチャした感情はいまだに理解できない。臨也の言葉の意味も、この時はほとんど分かっちゃいなかった。それでも俺はこの時を愛しく思ったし、こんな幸福がいつまでも続くならいくらだって祈りたいと思った。俺一人じゃこんな幸せは得られなかった。俺を愛してくれる臨也がいるから、今こんなにも満ち足りた気持ちでいられる。


だけど、俺を忘れた臨也じゃ意味がなかった。
結局渡すことのなかった指輪を眺めながら、俺を愛さない臨也とダラダラ会い続ける日々を続けている。

恋にならないと臨也が言うから、だから証を見せてやりたかった。俺はこんなに努力してる、俺はお前を愛そうとしてる、お前が俺を幸せにした。そういう気持ちを全部詰め込んで、安っぽくても俺の精一杯で指輪を買った。だからこそ殊更に腹が立ったのかもしれない。臨也は俺のことを少しも分かってくれようとしない、そんなどうしようもない稚拙な傲慢が、あの時の俺に手を伸ばさせなかった。

「俺のことなんて好きじゃないんだろ。男の俺じゃあ君と結婚もできない、子供も産めない、満足にセックスもできない」

何を焦っているのか俺には分からなかった。愛があれば結婚をするのか、子供を作るのか、セックスをするのか。そんなん俺には分からない。だから臨也の憤りがどこから生まれているのかなんて分からなかった。単に駄々を捏ねているだけのようにすら見えてしまって、そんな自分に俺は後から死ぬほど後悔する。
俺を忘れた臨也に謝ったって、伝わることなんて何もない。俺を責めることもしない臨也のそばにいて何の意味があるのか、結局俺は臨也に罪滅ぼしをしたいのかもしれない。俺はお前を愛そうとしてたんだ、愛したかったんだ。俺はちゃんと愛せていたのか、俺なりの俺の愛はお前に伝わっていたのか。俺の愛は本当に愛だったのか。今の臨也に聞いたって仕方がない。

このまま、また恋をしない日が続くかと思った。いくら色んな女と付き合ったって続かない、臨也の時のようにはいってくれない。臨也を許せないと同時に、俺は俺のことまで許せなくなってしまった。

好きな女ができた。

俺のことを愛してくれる女だった、臨也のように、それはまるで「許し」のような愛だった。俺もまたこの女を愛した。今だからはっきりと言える。これは愛だった。もう迷う必要はなかった。それでも臨也のことが忘れられなかったのだ。臨也は俺を忘れたのに、俺は臨也を忘れられない。愛せているかすら分からなかったのに、ないものねだりで地団駄を踏む子供と同じだ。
結婚すると言った時の、臨也の顔。「おめでとう」と言う、その顔が寂しげに見えた。もしかしたら思い出してくれたんじゃないかって、そんな馬鹿げた妄想をしてしうほどに、その顔はあの時見た顔にそっくりだった。どうして俺を責めないんだ。どうしてお前はいつもそうなんだ。俺は化け物だから、教えられなきゃまともに恋もできない。

「もううんざりなんだ!」

仲直りをしたいって、そう思った。買ったばかりの指輪を握りしめて、謝って、そしたらまたいつもみたいに許してくれるんじゃないかって、甘ったれたことを考えていた。だけど、馬鹿にするなと騒ぐ臨也を見てやっと気付いた。俺はどうしようもなく馬鹿だった。大馬鹿だった。それは俺の責任で俺の落ち度で、なのに俺はそれをどうしても認めたくなかった。いつだって臨也は許してくれたのに、なのに俺は許せなかったのだ。
階段の上から臨也を見下ろして、その顔が俺に笑みを向けないのが許せなかった。その口が愛ではなく罵倒を語るのが許せなかった。どうしようもなく頭に血が昇った。俺は馬鹿だから、そんな自分を制御することなんてできなかった。

「静雄君、明日に結婚だろ? だからさ、俺からささやかなお祝い」

俺は本当に馬鹿だった。だって俺は、あの時あれほど酷いことをしておきながら、まだどこか臨也の愛に縋っていたのだ。おめでとうなんて言葉は要らなかった。例えば少しだって泣いてくれたら、止めてくれと言ってくれたら、そんな馬鹿な空想は実現しない。俺は明日結婚する女を愛している。確かに愛している。だからあの指輪だって捨てた。もう忘れようと思った。俺を愛してくれない男のことなんて、いい加減忘れてしまった方が幸せになれると思った。

「落し物だよ」

なのにどうして、それをよりによって臨也に拾われてしまうのだろう。いや、もしかしたらそうなることを望んでいたのかもしれない。分からないそれでも、臨也の手にあるそれは紛れもなく俺自身が他でもない臨也の為に買ったもので、それでも渡すことなくゴミ箱に放り込んだものだった。
本当はあの時渡すはずだった。誤解を解いてもう一度、その笑顔が見られるように。もう一度俺に愛を囁いてくれるように。

――シズちゃん。

階段を踏み外した。言ってしまえばただそれだけ。
臨也の体がぐらついて、呆気なく無防備に体が浮いた。瞠目するその黒い瞳と目があって、落下しながらもその腕は確かに俺に向かって伸ばされてた。俺はちゃんと気付いてた。

「落としたら駄目だよ」

そうだな。あの時のお前は、確かに俺に助けを求めてた。
なのに俺は見捨てたのだ。許せなくて、どうしようもなくて、認めたくなくて、頭の中がグチャグチャで。どうやったらお前を愛せたんだ、どうしてたらお前はそんなに苦しまなかったんだ。笑えよ。愛していると言えよ。お前は俺を愛していないと駄目だろ。まともな恋だなんてそんなもの、言ってくれなきゃ馬鹿な俺には分からない。

「シズちゃん……」

どうしてだろう、それなのに分かってた。臨也がちゃんと俺を愛してくれてたってことは。いつだって、俺のことを一番に考えてくれてたことは。俺はそれが嬉しかったのに、愛しかったのに。たとえ記憶がなくたって、臨也はいつだって俺を愛してくれた臨也そのままだったってことを、俺はちゃんと分かってたのに。

シズちゃん、と俺を忘れた臨也が俺を呼ぶ。俺が止めさせたはずなのに、その呼び名が愛しくて仕方なかった。記憶なんて関係なかった。臨也はいつでも俺を愛していた。今だってそうだ、どうしてそんなに泣きそうな顔なんだ。俺まで泣きたくなってくるだろ。止めろよ、笑えよ。抱き締めたい。今更そんなことをする権利はないのに、俺は臨也がそうされることを望んでいると知っている。なのに腕が動かないんだ。あの時から何も変わってないんだな、お前はいつだって俺の名前を呼んでくれてたのに。
時間が止まればいい。今なら分かるよ。時間が止まればいいんだ。そうしたらきっと、臆病な俺でもこの手を伸ばすことができるのに。

俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎なんだ。今頃こんなことに気付いたって何もできない。あんなにも愛してたのに、どうして、あの時も今この時も、その手を掴むことだけができないんだろう。
なあ、臨也。お前はきっと覚えてないんだろうけど、こんな俺に恋を教えてくれたのはお前だったんだよ。お前がいてくれたから俺は誰かを愛せるんだ。たとえお前が忘れてたって、確かに俺たちは愛し合ってた。













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ラスト・ラブ
(最後は君を愛したかった)


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