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ラスト・ラブ/前編

折原臨也は平和島静雄を愛していた。
そしてそれと同じようにまた、平和島静雄も折原臨也を愛していた。

と、思う。





俺が自分の気持ちに疑問を持った頃にはもう、遅かった。臨也は俺のことなんて少しも覚えていなかったし、俺を愛していると言った気持ちも完全に忘れ去っていた。だから俺たちの関係は完全に白紙だ。俺は臨也を愛しているのか、いないのか、もうどちらでも良くなってしまっていた。だって臨也はもう俺のことを覚えていない、愛していない。だったらもうどうでも良かった。俺のことを忘れてしまったなら、それならもう俺だって臨也のことは忘れてしまいたかった。

俺に好きだと言ってきたのは臨也のほうだ。嘘じゃないとすぐに分かってしまう程度には真剣な目で、震える声で、確かに俺に好きだと言った。嬉しかった。臨也のことを愛しいと思ったことなんて一度もなかったが、こんな自分でも本気で愛してくれている人が確かにいるのだということが嬉しかったのだ。だから俺も臨也を愛することに決めた。たとえ誤魔化しや偽りからの始まりでも、最後に愛すことができればこの恋は本物になると思った。

臨也の愛は確かに本物だったように思う。全身で俺のことを愛していた。言葉の全てからそれが伝わった。どうしてこれまで、その純粋すぎる愛に気付けなかったのだろうと思えるほどだった。臨也は毎日だって俺に「愛している」と言った。俺はそれが嬉しかった。確かに嬉しかった。この恋がずっと続けばいいと思った。本気でそう思っていたのだ。

「ねえシズちゃんさ、俺のこと本当に好きなの?」

だから気付かなかった。いつだって受け取るばかりの愛だったから、たとえばたまに臨也がふと目を伏せることも、何か言いたそうにしてすぐ唇を噛むことも、あげかけた腕を下してしまうことも、俺は何一つ気付くことはなかった。

臨也のことを愛していたのか。そんなこと聞かれたって俺はきっと答えられなかっただろう。
誰かに愛されたことなんてなかった。恋愛なんてしたことがなかった。愛されながら誰かを愛したことがない。自分の持っている感情が本当に愛と呼べるのかすら覚束ない。正直を言えば、臨也が俺にぶつけてくる感情が本当に「愛」と呼べるものなのかどうかも分からなかった。だが俺はそれを愛だと思ったし、臨也は俺を愛したし、俺は俺なりに臨也を愛そうと必死だった。
だけどそれは、所詮は紛い物でしかなかったのだろう。

「恋にならない」

臨也が言った。俺に言った。最早俺のことさえ忘れている臨也は覚えてなくても、今でも俺だけはそれをはっきり覚えている。

「君とじゃまともに恋もできない」

だから新羅が臨也の記憶がなくなったという話をしたとき、俺は不誠実なほどに安堵して、理不尽なほどに腹が立った。臨也とは終わった。そう思った。俺の顔を見てまず「初めまして」と言ったあの男のことを、これからも愛せる筈がない。俺のことを愛してくれるから愛していた。だがもう、この臨也が俺を愛すことはない。
記憶が戻るかどうかなんて分からない。新羅がそう言った時から、俺はすでに待つことを諦めていた。口実が欲しかっただけなのかもしれない、それでも、俺ではもう無理だと思った。

俺と臨也は他人になった。自分の意思を働かせたのにもかかわらず、意図せず臨也から「シズちゃん」と呼ばれるのにも虫唾が走った。


それでもかつて、折原臨也は平和島静雄を愛していた。

臨也が忘れても俺だけが忘れられない。愛されることの喜びを知ってしまった、それを今さら手放せなかった。
だから必死に恋を探した。滑稽なほどに必死だったと思う。そうすると案外、こんな俺のことでも好きだと言ってくれる存在はいるものだ。今までが臆病すぎたのかもしれない。色んな女と付き合った。何故か新羅にはすぐ気付かれて、あまり誉められた行為じゃないよ、と説教じみたことまでされてしまう。それでも止められなかった。愛されたかった。ほとんど病気だ。病的なまでに誰かの愛に飢えていた。

「臨也には、俺との関係は絶対に言うな。絶対にだ」

新羅には固く口止めして、俺は臨也とは「他人」としての付き合いをダラダラ続けていた。臨也が記憶を失う原因となった俺のことを、臨也はこちらが不審に思うほど非難しない。それどころか、俺に人との付き合い方の説教までする始末だった。
記憶を失くして臨也は変わった。そしてだからこそ、俺は臨也と一緒にいてイライラばかりになってしまったのだ。

ちゃんと愛すべきだと言った。誠実な態度で、そうすればそれは相手にも伝わるものだから、大切にして愛してあげればいい、それが当たり前だ。臨也はいつもそう言った。
当たり前ってなんだよ、と俺は叫びたかった。そんなものを知る筈がない、他人の愛し方なんて知らない。どうやれば愛していることになるのか、それが分かればこんなことにはならなかった。臨也だってきっとまだ俺を愛していた。俺はお前を愛せていたのか、それがずっと分からなかった。だが分かってしまったのだ。臨也がはっきりと言った。俺みたいな態度じゃ、愛想を尽かす。そういうことだ。俺は折原臨也を愛せていなかった。


――君とじゃまともに恋もできない。


ああそうだ、俺では臨也が思い描くような誠実な恋なんてできない。だから付き合う女はすぐに俺から逃げていく。それが当たり前なのだろう。だから俺は臨也に感謝すべきだ。たとえもう忘れてしまったのだとしても、折原臨也は確かに平和島静雄を愛してた。

「ねえ静雄、本当にいいの? 臨也に黙ってて」
「いいんだよ。どうせ忘れてる。だったらそれでいいだろ」
「ねえ、もしもまだ変な意地を張ってるなら、もう臨也を許してあげなよ」
「アイツが言ったんだ。俺とじゃまともな恋にならない」

俺は自分が化け物だと知っている。そして臨也は人間だった。出会った頃から分かっていた。俺は化け物で、臨也は人間だ。それだけだ。まともな恋愛なんてできるわけがない。俺では誰かをまともに愛すことすらできない。
傷付いたような顔をしていた。今にも泣きだしそうだった。いつだって気丈に振舞っていた臨也があんな顔をしていたこと自体が、どうしようもないくらいに俺の落ち度だったのに、あの時俺の頭を占めたのは悲しみや罪悪感より怒りだった。許せないと思った、だってちゃんと愛そうと思っていた。まともな恋なんて知らない。だったら俺に教えろよ、どうしてあの時に教えてくれなかったんだよ。全部が今更だ。もう遅い。

「そういえば静雄、臨也になんで記憶がなくなったか説明してあげたの?」
「…………」
「教えてあげなよ。気まずいならさ、滑って転んで階段の角に頭をぶつけたとでも言えばいいんだから。それなら君も、罪悪感とか感じないだろ」

昔から何故か、新羅には隠し事ができなかった。セルティさえ知らない臨也との関係を知っているのも新羅だけだ。

「だって、それが真実だからね」

そういえば、それでもあの時の臨也は泣いてはいなかったなと思う。いっそ泣いてくれれば良かった。そしたら分かったかもしれないのに。いつか臨也が星に願ったあの言葉の意味が、あの時に。



あきゅろす。
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