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16

いつもより早い時間に目が覚めた。空気が何となく冷たいのはそのせいだ。
あくびをかみ殺して、カーテンを開ける。朝の日差しが眩しかった。何度も瞬きしながら光に慣れる。そうして全身で呼吸して、俺は今日という日を受け入れる。

シズちゃんは明日結婚する。

それがなんだか不思議な気持ちだった。
不思議に幸せな気持ちだった。不思議に寂しい気持ちだった。それでいて酷く虚しかった。ずっと前から嵌っていた落とし穴に、今さら気付いたような気持だった。

おめでとう。
本人が聞いているわけでもないのに呟いてみて、その空虚さに自分で傷付いた。
嬉しいよ、本当に。本当に嬉しいんだ。
だって俺は本当に、ずっと長いこと、この時が来るのを待ってたんだ。
君が本当に誰かを愛す時が来るのを待っていた。


寝直そうにも眠れない。
かといって特にすることがある訳でもなく、勉強する気分にもなれなかった。
目的地もなく、ふらりと家を出る。

空気は心地良かった。
擦れ違う人の顔を一人一人見ても誰なんだか分からない。向こうもきっと俺を知らない。
何処へ行こうか。気付いたら駅にいた。池袋に向かっていた。

何か具体的な目的がある訳じゃなかった。
そもそも池袋は、新羅やセルティから理由がない限り近寄るべき場所じゃないと言われている。
来たってすることはない。新羅の家くらいしか知らないのだから。

「シズちゃん」

無意識に呟いてしまって、慌てて口を閉じる。そんな俺に気付くこともなく駅内の人は無機質に流れて行った。
ポケットに入れていた携帯を出して、待ち受け画面を眺めてみる。意味もなくボタンを押して、意味もなく奥歯を噛み締めた。
シズちゃん、と今度は心の中だけで言ってみる。シズちゃん。今会いたいと言ったら、君は会ってくれるだろうか。

一度だけなら。

アドレス帳を開いて、「平和島静雄」を呼び出す。
俺が元々持っていた携帯に入っていたものだ。ほとんどは新羅が勝手に削除してしまったが、シズちゃんのは消さないでおいたらしい。
いつもは向こうから勝手な用件が飛び込んでくるばっかりで、俺からシズちゃんに連絡をしたことはなかった。
だって無駄だったから。俺とシズちゃんなんてその程度の関係だったから。

呼び出したシズちゃんの番号を選んで、少し躊躇った後に発信ボタンを押した。
一度だけだ。
まだ朝は早い。休日だし寝ていてもおかしくない時間だ。だから一度だけ。この一度が駄目だったら、きっともう諦める。

『……もしもし』
「あ、起きてたんだ……」

思いがけず低い声が聞こえてきて、俺は自分から電話をしたくせに狼狽した。
もう起きてたのかとか、それとも起こしてしまったのだろうかとか、色んな考えが頭をよぎって、それでもなんとかそれを一掃する。

「あのさ、今どこにいる?」
『……家だよ』
「一人?」
『一人だ』
「この後何か、用事ある?」
『……何だよ』

いつもより声が不機嫌そうだ。やはり起こしてしまったのかもしれない。
シズちゃんは朝が弱いんだ。“いつも”そうだったよね。

「俺、今池袋にいるんだ。あのさ、いきなりだけど、今から会えないかな」
『…………』
「どこでもいい。準備があるなら待つからさ。この後用事があるなら、少しだけでいいから」

だって君は、明日からはもう会ってくれないだろうから。





会う場所にシズちゃんが指定したのは、意外なことにシズちゃんの家だった。
行くのは初めてなので事細かに位置を聞いて、すぐにでも来ていいと言う。

我ながら非常識なことを頼んでしまった。
だけどそんなの、これまでのことを考えればどっこいだ。
今まではシズちゃんが俺に会いに来るばっかりで、そういえば俺からシズちゃんに会いに行くことはなかった。
どうせ嫌われてる。でも、こんな急なお願いも許してくれるんだから、やっぱり君はいい奴だ。

「何か用かよ」

無事にシズちゃんの家に辿り着いて、俺を迎え入れてくれたシズちゃんの顔はやっぱり不機嫌そうだった。
用なんかない、と言ったら怒るだろうか。でも本当に何でもないんだ。ただ顔を見ておきたかった。

「静雄君、明日に結婚だろ? だからさ、俺からささやかなお祝い」

駅からここまで来る途中に買った、小さめの花束を手渡す。
シズちゃん達は結婚式に身内しか呼ばないから、明日俺が彼に会うことはない。



あきゅろす。
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