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それからしばらくして、俺は新羅の家を出た。

記憶は戻らなくとも、いつまでも世話になり続けるわけにもいかない。
それを告げると新羅は少し考えた後に頷いて「そうかもしれないね」と珍しく寂しそうな顔で言った。

記憶を取り戻すのはもう無理だ。
無理だという気がしたのだ。

俺が記憶を失ってからというもの、もう半年以上の時間が経った。それでもまだ何も分からない。
自分が何者だったのか、何をしていたのか、思い出そうとしたってちっとも分からない。
だったらいっそのこと、自分の人生をもう一度やり直すほうがいい気がした。


新羅が池袋と新宿は駄目だと言うので、住む場所は他の街で適当なマンションを探した。
仕事はまたゆっくりと探す。
まずは一人の生活に慣れていって、それから俺でもやれそうな仕事を見付けていく。

池袋を出てしまうと、新羅とはほとんど会わなくなった。
元々仕方なく俺を部屋に置いていただけのようだったから当たり前だろうが、律儀なセルティは時たま顔を見せてくれる。新羅の彼女にしとくにはつくづく勿体ない。人間じゃないけど。


律儀、といえば。
静雄君も相変わらず俺に会いに来る。さすがに池袋から出てしまったので頻度は減ったが、それでも週に一、二度は必ず俺のところへやって来る。
まだ、俺の記憶を奪った罪悪感というものに囚われているのだろうか。

もういいよ、と言ったが、それでも会いに来る足は途絶えなかった。
俺もなんだかんだで心細いから、結局は強く出れずに静雄君を部屋にあげる。そうして何をするでもなくとりとめのない話をして、1時間くらいで静雄君は帰っていく。

静雄君の女癖も相変わらずだ。
相変わらず相手をコロコロ変える。
だが、新しく分かったこともあった。俺はてっきり静雄君が相手を振っているのだと思っていたのだが、どうやら見切りをつけられているのは静雄君のほうだったようなのだ。

「女なんて分かんねえよ。自分から好きだっつっといて」
「君の態度が悪いんじゃないの。まさか女の子にも俺相手の時みたいな態度なんじゃないだろうね」
「悪いのかよ」
「最悪だよ。そりゃ愛想も尽かされるよ」
「……そうかよ」

いつものように「うるせえ」とでも言われると思っていたので驚いた。
珍しく素直に返事をした静雄君は、いつ見ても吸っている煙草の煙を吐き出した。

体に悪いよ、と言ってみる。するといつものように、うるせえと返ってきた。
それで腹が立たないのは、そうは言いながらも静雄君が煙草を灰皿に押し付けているのが見えたからだろうか。

「じゃあお前は、どういう態度でいればいいと思うんだよ」
「その質問、前にもしなかった? まあいいけど。君が無愛想なのは仕方ないとしてもさ、誠実な態度でいればそれは相手にも伝わるものだと思うよ」

静雄君は黙った。黙って、俺が淹れた紅茶に目を落とした。
そういえばさっきから手をつけない。もしかして嫌いだっただろうか。だったら遠慮せずにそう言いそうなものだが。

「……じゃあお前は、そういう恋をしてんのか」
「は、え?」
「お前は、そういう誠実な恋を、誠実な相手と、してるのか?」
「……いや、俺は恋人いないし……そもそも覚えてないし……」

内心どんな質問だよと思いながら答える。
俺に恋人がいなかったことくらい静雄君も知ってるんじゃないのか。イッチョマエに反抗のつもりだろうか。普段俺が静雄君の女癖に難癖つけるのを根に持っているのかもしれない。どう考えても悪いのはそっちだろ。

だが静雄君は存外にしおらしい顔で大人しかった。

「そうか」

だから俺も思ったのだ。
誰かに恋をするって、一体どんな気持ちなんだろう。



あきゅろす。
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