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8

おかえり、と新羅はいつも通りの笑顔で俺を出迎えた。なんだか妙な気持ちだ。なんだかすごく、嫌な気持ちだ。

「久し振りの外はどうだった? 少しは記憶は戻りそうかい?」
「……別に」
「あれ、むしろなんかちょっと落ち込んでるね。まさか静雄を怒らせた?」

怒らせたといえば、怒らせた。だがこの妙な気持ちは、そんなことが原因ではない。

「あのさ新羅、ちょっと質問なんだけど。俺って記憶なくなる前に恋人とかいた?」
「……んー、いなかったかな。俺に答えられる範囲では、だけど」
「そう」
「どうしたの、急に。そんなこと聞くなんてさ」

そういえばセルティがいないな、とふと気付いた。仕事で出ているのだろうか。
セルティは新羅の恋人だ。人外と恋愛しようとするなんて、初めは新羅が何を考えているのか全く分からなかったが、二人が本気で互いを思い合っているということは端から見ていれば俺にでもすぐ分かった。

「静雄君てさ、恋人いるらしいね」
「……それ、本人から聞いたの?」
「そうだよ。自分で言った」
「へえ、自分から言ったんだ」
「俺さ、シズちゃんには恋人なんていないと思ってた」

静かに話を聞いていた新羅が、何故かここで少し瞠目した。怪訝に思い「何?」と訊ねると、「なんでもない」と首を振る。

「まあ、あれで静雄はモテるんだよ。ショックだった?」
「ショックっていうか、なんかこう、静雄君は硬派っていうか、恋愛は奥手だと思ってたっていうか。……まあ、俺の勝手な想像なんだけどさ」
「そうだねえ。それじゃ、臨也はこれからもっとその期待を裏切られることになるかもね」
「……どういうこと?」

俺の問いに新羅は曖昧に笑んだだけで、決してその先は言おうとはしなかった。
どいつもこいつも説明が足りない。俺の記憶喪失を舐めすぎじゃないか。

何も覚えてないんだぞ、何も。
生活には困らない。そのレベルの記憶なら忘れていない。
だが分からないのだ。誰が誰なのか、自分は何なのか、自分は誰とつながっていたのか。自分の感情さえ覚えていない。
そうだ、確かに哀しくはなかった。ただたまに、堪らなく不安になるのだ。俺はこんな所でこんなことをしていいのか、不安で不安で仕方なくなる。それなのに、俺は自分の記憶を取り戻したいと本気で願っているのかどうかも怪しい。
ほら、さっそく自分のことが分かっていない。これじゃあ俺は一生記憶を失ったままだろう。惰性だけで生きてるようなもんだ。

だが新羅の言葉の真意は、存外に早く知れることになる。





「――また別れたの?」

ベッドに寝そべりながら訊くと、静雄君はうざったそうに舌打ちする。それはつまり肯定ということだった。
またか。思わず溜息を吐いてしまうと、静雄君にギロリと睨まれる。怖くないね。他の人は知らないけどさ。

俺が新羅の家に居候して三ヶ月が経った。俺の記憶は相変わらず戻らず、静雄君は相変わらず俺に会いに来る。

大変申し訳ないことに、俺はもう自分の記憶が戻ってくるとはとても思えなかった。これ以上の「治療」もほとんど無意味だろう。
あともう少し時期を見て、俺はこの家を出る気でいた。幸い記憶を失くす前の貯金が大分あるようなのだ。派手な暮らしさえしなければ、当分はそれで食べていけるだろうという額だ。ますます俺は自分が何の仕事をしていたのか気になって仕方ないのだが、それに関しては新羅もセルティも絶対に口を割らない。

「静雄君さあ、もうちょっと女性を大切にできないわけ?」
「うるせえ」
「可哀想だよ。どうせそんな感じでいつも無愛想に接してるんだろ。女の人にはもっとデリカシーを持って接しなきゃ」
「お前には関係ねえだろ」

静雄君は煩わしそうに俺に一瞥をくれると、煙草を咥えて火を点けた。俺は黙って窓を開ける。本当は止めてもらいたいのだが、言っても無駄な気がして何も言わない。携帯用灰皿は一応持っているから、ギリギリ合格だろう。マナー的な意味でね。

「だってさ、もって二週間ってどういうこと? 君はもうちょっと女性との付き合い方を考えるべきだよ」
「うぜえ」

俺が初めて静雄君の彼女の存在を知ってから、静雄君はじつに四回も相手を変えている。長くて二週間、短くて五日だ。
どういうことだよ。俺が静雄君に対して抱いていた「なんとなく硬派」なイメージは、とっくの昔に崩壊している。
すぐに相手が変わるのだ。コロコロコロコロ、目まぐるしく変わっていく。せめてもの救いは、どうやら浮気はしていないらしいということだろうか。まあどっちにしろ、俺はどうかと思うけどね。

しかも最悪なことに、それを静雄君本人は気にしていない。
別れてもあまり悲しそうではない。付き合っててもあまり幸せそうではない。ほとんど間を空けずにすぐまた新しい恋人をつくる。
一体どうなってんの?
いくら俺でも、お節介な説教の一つや二つはしたくなるってものだ。

新羅が言っていたのは、多分これを指していたのだろう。

「女性の敵って、まさに君のことだよね」

ようするに、静雄君は随分なプレイボーイだったのである。


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