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ビューティフルワールド/前編
※シンガー静雄と男娼臨也。





いつかあそこに映ってやる、と男はあの時そう言った。暇つぶし程度の相手でしかない男の常識はずれな野望など毛ほどの興味もない。内心では馬鹿にしていたかもしれない。期待も理想も自分を惨めにするだけだというのに、一体何を馬鹿げた夢を持っているのだと。





普段一見の客を相手にしない臨也が初対面で静雄に声をかけたのは、単純に見た目が好みだったからだった。ただし身なりが良かったわけではない。金をろくに持っていなさそうのは一目で分かった。それで臨也以外の他の仕事仲間は静雄を敬遠したが、臨也にはあまり関係がない。金なら他の金持ちの常連からいくらでも絞り取れる。それよりもむしろ、金くらいしか取り柄のない気持ち悪い親父達の相手をさせられる方に、ほとほと嫌気が差していた。

「いくら持ってるの?」

客とその相手は、店の奥の手前にある、騒がしく薄暗いバーのような場所で決まる。客はバーに入って来てから相手を物色する。こちらも客は選びたいから、いかにも金のありそうな人間が入って来れば擦り寄るし、金にならなそうだったり明らかに関わらない方が無難な人間だったら自然と遠ざかる。常連になれば予約もできる。
そんな制度の店に静雄はやって来た。髪を金に染めた背の高い男は、バーに入って来ると誰を見ることもなくさっさとカウンターに座ってカクテルか何かを注文した。見たことのない顔だったが、彫りが深く美形と言って良かった。だが着ている服が安っぽく隣には誰も座っていなかったので、臨也は何も言わず勝手に隣に座った。そして間髪入れずに先の質問をしたのだが、するとその男は端正な顔を露骨に歪ませた。

「……は?」
「金額によってできることは色々変わってくるんだよ。あ、ちなみに俺はイザヤね。本名だとも偽名だとも思ってくれていいよ。君の名前は?」
「……つーか、誰だお前?」

男は平和島静雄と名乗った。臨也がこの店の説明をしてやると、「そんなことは知らなかった」と平然と言ってのける。普通ならそんな馬鹿なと鼻で笑うところだが、見るからに金も持ってなさそうだったし、そもそもその容姿ならこんな店に世話になる必要もないだろうと、あながち嘘にも見えなかった。
そして実際、静雄はこの店のほとんどに関心を見せなかった。ただ黙ってカクテルのグラスを傾けながら、臨也にさえほとんど視線を寄越さない。臨也はこの男を興味深く思った。

「ねえ、君、俺を抱く気はない?」
「残念だったな、俺は文無しだ」
「見るからにね。いいよ、初回サービスってことで」

特上の作り笑いでにっこり笑う。静雄は黙って臨也を見ると、残りのカクテルを一気に煽った。

「……やっぱ駄目だ。お上品な酒は俺には合わねえ」

それが静雄との出会いだった。





二人は頻繁に会うようになった。静雄がミュージシャン志望だと知ったのは、そうした関係が始まってから一、二週間ほど後のことだった。臨也は静雄を気に入っていた。金で臨也のご機嫌を取ることしか能のない他の客とは全く違う。静雄は臨也に媚びず、また臨也も静雄に媚びる必要はなかった。

「ミュージシャン、ねえ……」

あちこちの店を回って、静雄はそこで歌を歌って少ない金を稼いでいるらしい。静雄は常に金を持っていなかった。その日食うものにも困るという有様だった。静雄は会うたび臨也にキスをした。金を貰うことはなかったが、臨也はそれを拒まなかった。金を要求すれば静雄は臨也に会いには来なくなるだろう。金づるなんて他にいくらでもいる。なにも静雄から無理に絞り取る必要はない。

「また随分と夢のある職業を選んだもんだね。本当になれると思ってんの?」
「さあな。んなことは俺にも分かんねえよ」

バーの奥にある店の、その更に奥にある一室のソファに座りながら、静雄はつまらなさそうに煙草を吸った。この部屋は臨也専用の部屋だ。ある程度人気があれば自分用の部屋を貰える。この店には身体を売る女もいれば男もいたが、男で部屋まで貰えたのは臨也くらいだった。

「博打みたいな生き方だね。ろくな人生じゃないんじゃない? ……まあそれは勿論、俺も同じなわけだけど」
「知らねえよ。どうでもいい」

ふざけて静雄の煙草を横から奪うと、臨也が咥える前に静雄は何も言わず臨也の左手を引っ張った。体勢が崩れるとそのまま唇を奪われる。右手に掴んだ煙草から、カーペットにボトリと灰が落ちた。

「……ちょっと、火事にでもなったらどう責任取ってくれんの」
「知らねえよ、俺は歌が好きなだけだ」

静雄は臨也から煙草を奪い返すと、落ちた灰を踏み潰した。このカーペットは買い替える必要がありそうだ。





「最近、お客さんの一人にご執心らしいね?」

街がますます賑わいを見せる真夜中。客の相手を終えて何をするでもなくベッドに寝そべっていると、白衣の男がノックもせず部屋に入って来た。臨也はチラリと視線をやって、一応相手を確認してまた背を向ける。

「……何の用? ノックくらいしてくれないかな、新羅。不法侵入だよ」
「ここに普通の法律が適用されるならね」

新羅は悪びれずに笑うと、部屋に足を踏み入れて臨也の布団を無断で剥ぎ取った。服は着ていないので裸だ。臨也の体を見ると、新羅はヒュウと口笛を吹いた。

「あまり他人の性癖に興味はないんだけど、あのおじさんは相変わらずやることが過激だね」
「全くだ。手はともかく、まさか足にまで手錠掛けられるとは思わなかったよ、って……いった! 新羅、触るな!」
「そりゃ触るよ。診察できないだろ」

臨也の足を掴み上げると、新羅は血の滲んだ臨也の右足首をマジマジと観察した。先程まで相手をしていた嗜虐趣味の客のせいだ。この店には多様な性癖を持った変態達が集まってくる。何をされるか分かったものではない。まあ勿論、その分の金はぶん取ってはいるのだが。

「あちゃー、これは暫く痕が残るね」
「マジかよ。クソ、あの野郎、もっと追加料金取るべきだったな」
「火遊びもほどほどにしてくれよ。君はこの店の稼ぎ頭の一人なんだからさ」
「おい、俺自身の心配をしろよ」
「あーあ全く、体にも痣があるじゃないか……」

新羅は臨也と同じくこの店に雇われた身だが、臨也のように体を売るのが仕事ではない。こうやって「商品」の「品質」を管理するのが仕事だ。定期的、もしくは“そういう趣味”の客が来た時にこうやって臨也の体を診察に来る。
監視の意味もあるのだろうし有り難いのと同時に気に入らないが、それでも臨也はマシなほうだろう。臨也は大量の金を店に入れるからこうやって目をかけられる。稼ぎがないと悲惨だ。ただでさえ飢えた野良犬同様の生活をしているのに、怪我をしても病気になっても誰も助けない。ただ体を売り続けるしかない。性病をうつされた奴なんて掃いて捨てるほどいる。洗ってない鍋の中と似たような世界だ。

「で、さっき言った、君のご贔屓の客だけどさ――」

新羅は臨也の体を引っ繰り返すと、断りもなく尻の穴に指を突っ込んだ。反射で喉が鳴る。毎度デリカシーがないと思うが、慣れているので文句を言うつもりはないし、今更恥じ入るような性格でもない。

「――中々のイケメン君だね。若いし金もなさそうだけど、君があんなに執心するなんてよっぽど上客なのかな?」
「はっ、全然。ただの金のないミュージシャン崩れだよ。……んっ」
「よし、とりあえず中は傷付いてないね」
「当たり前だ。俺をキズモノなんかにしたらぶっ殺してやる」
「もう既になってるじゃないか」

嗜虐趣味の客の精液で濡れた指を不愉快そうに拭うと、新羅は常に持ってくる救急箱のようなものをそばに引き寄せた。ガーゼに消毒液を浸み込ませると、同時に血を拭いながら臨也の足首を丁寧に消毒していく。
痕を残されたのは確かに厄介だった。中にはそういう他の男の痕跡を嫌がる客もいる。臨也を完全にただのオモチャくらいにしか思っていない奴ならいいのだが、何かを勘違いして“恋人ごっこ”をしたがる奴が面倒くさい。まあそういう奴らは言うことも聞かせ易いのだが、その分弊害もあるということだ。

「金にならないなら、何?」
「面白いから」
「へ?」
「面白いんだよ。それだけさ、他に理由なんて要らないだろ」

ふうん、と気のなさそうな返事をすると、新羅はまた黙々と手当てを続けていく。その間することもないので、臨也はこの部屋に唯一ある小さな窓に目を向けた。景色もへったくれもない、ただコンクリートの建物がズラリと無機質に並ぶばかりだ。息苦しいばかりで少しも愉快じゃない。

「糞ったれだ、こんな世界。そうだろ」

誰に向かって言ったわけでもない。新羅は顔すら上げなかった。













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ビューティフルワールド


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