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5

それから三十分程で、本当に門田はやって来た。そんな義理はない筈が、根がお人好しなのだろう。新羅から臨也を引き取ると、訳も聞かずに自分乗ってきたトラックに乗せる。

「……やあ、ドタチン。久し振りかな? それとも、そうでもなかったかな?」
「……お前が迷うなら、久し振りなんだろうよ」

――なるほど。

臨也は噛み殺し損なった笑いを漏らす。門田は眉を寄せたが、何も言わなかった。そういうところが心底お人好しだ。

「泊めてくれる?」

それからまた三十分ほどの時間をかけて、門田の家に到着した。車から降りてお世辞にも立派とは言えない家を見上げながら、臨也は問う。

「お前がそうしたいなら」
「やっだー、ドタチン超男前ー。臨也惚れちゃうー」
「……はあ。ただし、一日だけだぞ」

門田は鍵を取り出して、玄関の扉を開ける。門田の家に入るのは初めてだった。外から外観を眺める程度のことなら以前もあったが、その時だって中に入るまでの必要はなかった。だが、この程度なら簡単にピッキングできそうだなと思う。
招き入れられると、室内はあまり広くはなかった。年代を感じる二人掛けソファーの近くに、寝心地の良くなさそうなベッドが置いてある。
あとは、これまた古そうなテーブルに、小さな木製の椅子が三つ。箪笥らしきものとテレビが置いてあって、家具はそれだけだ。

なんとはなしに小さなベッドに目を向けながら、今夜はきっとあそこで寝ることになるんだろうなと臨也は思う。自分本位の傲慢ではない、門田はそういう人間だ。出会ったときから、そういう人だった。

「……良い部屋だね」
「思ってもないことは言うな」
「嘘ではないよ。少なくとも俺の部屋よりは、ずっと良い」

狭い室内に光が差し込んでいるのは悪くない。踏み込むごとにギシリと鳴る床も、窓の外に他の建物が見えずだだっ広い畦道が広がっているだけなのも、悪くない。

「つーか、お前、本当に家を空けて良かったのか?」

ぐるりと室内を見渡していると、何でもない風に門田が言った。ピクリ、と自分の体が僅かに反応するのが分かる。

「……どういう意味?」
「だってお前、家にペットがいんだろ? それは良かったのか?」
「――ああ、なんだ」

そんなことか。そういえば、最後に会った時にそんな会話をした気がする。臨也は思わず笑ってしまった。まさか、臨也がその“ペット”から逃げ出して来たなどと、門田は夢にも思っていないのだろう。

「良いんだよアレは……食べ物もまだ、たくさんあるし」
「そういう問題じゃないだろう。お前がいないと、寂しがるんじゃないか?」
「……ハハ。優しいね、ドタチン」

臨也の不在を寂しがる静雄を想像して、臨也はまた笑ってしまった。それを見て、また門田は顔をしかめる。真面目な男だ。臨也や静雄とは、そもそも住む世界が違う。
そして、世界が変われば価値観も変わる。人間はそれぞれに固有の世界を持っている。臨也はそれが愛しくも憎くもあった。愛しくも、憎くも。





「飯にしよう」、と門田が言い出したのは、臨也がこの家に来てから数時間ほど経った頃だった。
外は薄暗くなっている。確かに空腹と言えないでもない。下らないバラエティーを垂れ流しているテレビから顔をあげて、臨也は頷いた。

「手伝おうか?」
「いや、いい。そこまでするほどのもんじゃない。そもそもお前、そんな手で何を手伝う気なんだ」

包帯でぐるぐる巻きになっている臨也の左手を見ながら、門田は素っ気なく言った。確かにこれでは何もできない。折れてはいない、と新羅は言ったが、それでも痛みのせいで碌に動かせないのに変わりはない。
待ってろ、と門田が言うので大人しくそうすることにした。またテレビに顔を向けながら、ただのんびりと食事がくるのをを待つだけ。こんなに気の抜ける時間を過ごすのはいつ振りだろうか。

「……へえ、思ったより器用なんだね」

暫く待って門田が持ってきたのは、豆の入ったスープにサラダ、そして堅パンを一つずつだった。
コトリ、とテーブルにそれらを置きながら、門田は臨也に嫌そうな顔をする。

「皮肉か? それは」
「まさか。缶詰めやレトルトよりは、立派な食事だよ」

確かに、満足な食事ではない。粗末と言っても良かった。ただ、立ち昇る湯気が温かいのが悪くない。メニューだって、片手が使えない臨也を慮ってくれたのだろう。門田はいつも優しい。

「いただきます」

二人で食事を始める。いつも臨也が口にする食事よりは粗末だが、不味いとは思わなかった。

「ねえ、ドタチン。明日の仕事は?」

門田は運び屋をやっている。手紙、小荷物、廃棄物の回収、なんでもやる。ほとんど自由業のようなものだから、仕事のスケジュールは不規則だ。

「ある。朝からだから、そん時に送ってやる」
「そっか」

少ない料理はすぐに無くなる。全てを食べ終えてスプーンを置くと、門田は次にワインを持って来た。臨也の前にグラスを置いて、なみなみと赤い液体を注ぐ。血の色みたいだね、と茶化してみると、不謹慎だと窘められた。

「飲め。安もんだけどな」
「……ありがとう」

赤いグラスを持ち上げて、その色に臨也は目を細める。
奇妙な考えが、ふと頭を掠めた。

「……人にとっての一番の不幸って、なんなんだろうね。ドタチン、考えたことある?」
「さあ、そうだな。……忘れられることじゃないか」
「っていうと?」

臨也はグラスに口をつけた。あまりうまいとは思わない。匂いや味で分かる、確かに安い酒だ。だが、それでも構わなかった。

「自分の存在を忘れられるってのは、多分、きついことだと思うぞ。もの凄く」
「……なるほど」

門田らしい、と臨也は思った。そういうことを思い付くというのは、門田の人間性をそのまま表している気がする。
痛いなあ。思わず呟くと、門田は案じるような視線を臨也に寄越す。この怪我の原因さえ聞かずに臨也に夕食まで用意するのだから、お人好しとしか言いようがない。優しい男だ。


下らないバラエティーが終わって、次にテレビは街のニュースを流し始めた。政治家の横領、放火、強盗、なんでもある。中でも目をひいたのは、酒に酔った男が街中で銃を乱射して六人殺したというものだった。この程度は珍しくない。ただ、警官に引き摺られながら何かを喚き散らす男の姿が、いやに臨也の目にとまった。

「……ねえ、ドタチン。どうして人間は、酒なんてものを呑むんだろうね」
「さあなあ。俺にもよく分からないが……ただ、酔いたいだけなんじゃないか?」

門田の答えに、臨也は堪えきれず笑いを漏らした。くつくつ笑いが漏れていく。

「漂いたい」

可笑しかった。
静雄は今どうしているのだろうか。そんなことを考えてしまった自分が、滑稽で仕方ない。臨也が突然いなくなったからといって、それで寂しがるなんて、そんな男ではない。臨也はそれを知っている。

もし、このまま臨也が帰らなければ静雄はどうするだろうか。とりあえずはあの家にいるだろう。それでも、臨也が帰って来なかったら。
いつか捨てられたと悟って、家を出るだろうか。それとも、それでもなお外の人間を恐れて留まり続けるだろうか。


テレビのニュースが変わる。今度は人権問題だ。よそからの移民にも参政権を渡すべきだと、得意顔の太った男がそう主張している。
臨也はあの男を知っていた。この街の“お偉いさん”だ。常に高級車に乗っていて、周囲の人間から媚び諂われている。飢えを知らず、また貧しさも知らない。

「くっだらない」

思わず漏らした。門田が怪訝な顔をする。この街の人間からの評判もそこそこ良い、臨也はあの男が大嫌いだった。

「平等? 笑わせる。どの口が言ってんだ」
「……別に、言ってる内容はまともだと思うぞ」
「そうだね、“まとも”だ。道徳の教科書でも読んでるみたいだ」

鼻で笑う。

人権擁護、環境保護、動物愛護。平等、自由、民主政。
人間は高らかに宣言する。それが正しくて美しいと信じて疑わない。お笑いだった、本当に。醜くてたまらない。理想を掲げる人間の姿を臨也にそう見せるのは、恐らく臨也自身の心の欠陥それそのものだ。

「俺は駄目だ、本当に。そういうのは虫唾がはしるんだ。ねえドタチン、そんな俺は、人間のクズかな?」
「臨也」

門田は真っ直ぐに臨也を見た。それは、こちらが目を逸らしたくなるほどぶれない眼差しだった。

「お前の人生は、お前だけのものだよ」
「……ハハッ……やだなあ、もう……」

笑うしかなかった。臨也は自由な右手で顔を覆って、なんとか笑いを噛み殺す。
こんな人生なら要らない。そう言ったら、今度は何と言って臨也を慰めるのだろう。

「やだなあ本当、嫌になるよ。優しいだもんね、ドタチンはいつだって」
「そう思うのは、お前の心の優しさだよ」
「だから、そういうとこがさあ――」

もっとまともな人生だったら、と考えたのは、一度や二度ではない。
もっとまともな親から産まれていたら。もっとまともな世界に生れていたら。もっと違う人間に生れていたら。もっと、もっと。

だが、いくら考えていたって仕方がない。臨也は臨也でしかない。人生は振り返れてもやり直せはしない。他人を羨むことはできても、その人生と取り換えることはできないのと同じだ。
何もかもが今更だから、全てに諦めている。今の自分はこの先もずっとこのままで、そして臨也には、それがどうしようもなく低俗で下卑ているように思えるのだ。

「……やっぱり、俺と君じゃ、人間的に違い過ぎるようだ」
「お前はまた、そういうことを……」
「だって考えてもみなよ、ドタチン。個性と平等を同時に称揚するなんて馬鹿げた話だ。それなら俺は“平等”を軽蔑する」
「……理屈じゃないんだよ、そういうのは」

歪む顔で反映する心は“痛み”だろうか。推定だけならいくらでもできる。ただ、臨也は、門田の望み通りの答えは知っていても返せない。

「皆平等なんて嘘だ。努力は報われるなんて嘘だ。人生に勝った奴等が、下の人間を見下して嘯いてるだけなんだよ。影が光を創るように、下があるから上がある。……だから、俺みたいな人間が」

平和島静雄みたいな人間が。

「――生まれるんだ。しょうもない世の中だよ、全くね」

全部ぶっ壊れろ。
人間を「愛して」いながら、そう思うことがたまにある。狂ったこの世界に身を置いて、臨也はいつだって考えていた。

もしかしたら、一番おかしいのは自分なのではないか?

それは誰の知るところでもない。臨也の話を最後まで聞くと、門田は大きく息を吐いた。

「……どうして、そう、何でもかんでも捻くって取るんだ、お前は」
「ハハッ、さすがはドタチン、良い質問だね」

本心からそう思った。それこそが臨也と門田の違いだからだ。

「そりゃあ、勿論――」





俺が、人生に負けてるからさ。













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逃亡者
(迷いながら、)


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