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アンチ・アンチテアトル

「それでねー、その時セルティが私の頭を撫でてくれてね。もう、その時の私と言ったら天にも昇る気持だったよ! この世には多種多様な男性が存在しているけれど、セルティのように宇宙と比較して遜色ない広大な包容力を持った男性は他にいないんじゃないかな!」

新羅の話を聞くのは嫌いじゃない、と静雄は思う。甲高い声で喚くように話すのでうるさいのだが、その言葉の端々は恋人への愛に満ち溢れている。セルティのことについて語る時の新羅の丸い目はキラキラ輝いて、ムカつく奴だけど確かに可愛いと認めざるを得ない。

「えー、そうかなあ、私は嫌だけどあんな人外。あの影なんだか靄なんだかよく分からないもので触れられるなんて、想像しただけで悪寒がする。どうせ愛するなら人間がいいよ。悪徳も美徳も平等に持っているのが好ましい。私は人間を愛してる!」

臨也の話は嫌いだ。その言葉は一見愛に満ちているようで、よくよく聞けば壮大な憎悪が感じ取れた。キーキー騒がれるとすぐに殺してやりたくなる。確かに顔だけ見れば十二分過ぎるほどに可愛かったが、静雄は臨也をどうしても可愛いとは認めたくなかった。

高校の同窓生である静雄と新羅と臨也は、成人してそれぞれの道を歩くようになっても、たまにこうやって三人集まることが少なくなかった。そもそも、他の友人と言う友人もいない三人だ。会ってすぐ喧嘩になるにしても、会わないでいるならそれはそれで寂しいものがあった。

集まるとすれば、それはいつも新羅の家だ。静雄の家だと臨也が文句を言うし、その臨也の家は池袋にない。そもそも、新羅があまり自宅から出たがらない。だからこれは全員の利害が一致した結果だ。
もう冷めてしまった琥珀色の紅茶を見下ろす。「淹れ直そうか?」という申し出は、勿体ないからと断った。

「ちょっと臨也、セルティの悪口言うのは許さないよ」
「悪口じゃないじゃん事実じゃん。私は人間が好きなの。だから人外のセルティは射程圏外、そうでしょ?」
「君は愛を分かってない。人間が好きなんてさ……愛する人は一人でいい。私はセルティしかいらない」
「私も?」
「そうだね。セルティのためなら、私は臨也も殺すかもよ?」

物騒を言いながらも、愛らしい顔でにこりと笑う。暗に、あまりセルティを面倒事に巻き込むなと言っているのだろう。臨也の顔が少し引きつった。
静雄はあまり、喋らない。他の二人がお喋りだし、元来口数の多い方ではない。

「ああやだやだ。あんな首無しに骨抜きにされちゃってさあ」
「臨也は恋を知らないから」
「ふん、そんなの私だけじゃないもんね。……ねーシズちゃん」
「……あ?」

ゆらゆら揺れる紅茶の液面を見ているところだったので、意図せずおざなりな声が出た。それを気にせず静雄に微笑む臨也は、確かに一般的にはかなり可愛いのかもしれない。こんなことを思うのは癪だ。

「シズちゃんは恋、してないよね?」
「は? 何言って……馬鹿?」
「ひっどぉーい。そんなんじゃ彼氏できないよ?」
「お前には関係ないだろ」
「あるよ、大アリ」

なんでだよ、と静雄は息を吐いた。新羅は自分のカップを両手で包みながら、「やっぱりぬるくなっちゃなあ」などとぼやいている。相変わらずだ。臨也の関心が静雄に向いたのを、幸いくらいに思っているに違いない。

「ね、ね、シズちゃんって処女だよね?」
「……お前、もっと言葉を選べないのか?」
「えっ、まさか違うの!?」

なんでそうなる、と思ったものの、面倒臭かったので弁明も何もしなかった。そもそも、臨也に静雄の性事情まで詮索される筋合いはないし、相手にしてやる義務だってない。

「まさか、あのヴァローナとかいうロシア人に食べられちゃったの!?」
「……なんでそこでヴァローナが出てくるんだ?」
「だって、アイツ絶対にシズちゃんのこと性的な目で見てるもん!」
「臨也……お前は本当に可哀想な奴だな……」

その頭はもっとまともなことを考えられないのかと呆れたが、暴走した臨也は勿論止まらない。

「だって、シズちゃんったらこーんなイイモノ持ってるし!」
「ひぅ……!」

いきなり容赦なく胸を両手で鷲掴みされて、思わず変な声を出してしまった。咄嗟に反応できず固まると、調子に乗った臨也はそのまま静雄の胸を揉み始める。ぞわぞわと背中が粟立った。

「や……やめろ!」
「やだー、やわらかーい!」
「手前、止めろッつってんだろうが!」
「やだね。シズちゃんのおっぱいは俺のもの!」

阿呆なことを言って、臨也はますます調子に乗る。跳ね除けてやろうとしたのだが、どういうわけかそれができずにそのまま押し倒された。

「シズちゃんの処女は私が守る!」
「馬鹿! どけ!」
「ってことで、シズちゃんの貞操は私のもの!」

ソファの上で圧し掛かられる。隣に座っていたのが運の尽きだ。静雄は臨也を押し返そうと何度も試みたが、何故だかどうしてもできなかった。いくら臨也が普通より軽いとはいえ人一人分の重みがかかっているのだから、女の腕力としてそれは当然のことかもしれない。
だが、静雄はこの状況がどこかおかしいことを分かっていた。たとえ全体重をかけられたとしても、静雄が臨也を跳ね除けられない訳がない。そんな気がした。だから、この状況は絶対におかしいのだ。なのに、静雄がいくら力を込めてみても無駄で、臨也は妖しく微笑みながら静雄の耳に口を寄せた。
主導権は完全に臨也が握っていた。

「シズちゃんは、誰にも渡さないから」
「い、臨也……」

これは、ちょっと、本気で怖い。
静雄は救いを求めて新羅を見たが、新羅は自分の分の紅茶を飲みながら「うーん、やっぱりさめてるなぁ」などと完全にこちらの状況は無視だった。

臨也の手が、静雄の太股にそっと触れる。

「ヒイッ……!」
「かーわいい、もしかして怖がってる? 大丈夫だよ、ちゃーんと優しくしてあげるから。……ね?」
「いや、臨也……や、やめ……」














「――やッ、やめろぉぉおおおおおお!」
「――はぁあ!? 何事!?」

静雄が大絶叫して勢いよく身体を起こすと、朝の冷たい空気と澄んだ朝日が目に飛び込んだ。混乱する頭で何度もパチパチ瞬きを繰り返し、両手の平をじっと見つめる。すると段々と心が落ち着いて、迫り来る臨也の残像とその時のどうしようない恐怖心を退け、そこで静雄はようやく深い息を吐いた。

「ゆ、夢か……」
「……ちょっと、ねえ、なんなの? 君のおかげで俺の目覚めは最悪なんだけど」

隣で寝ていたが静雄の絶叫で起こされたらしい臨也が、不平をたれながら身体を起こした。スカイブルーに近い、長袖の青のパジャマを着ている。対照をなすような赤い目が不快そうに細められて、それを見ていると静雄は自分でも如何ともしがたい不安に焦燥した。

とんでもない夢を見た。自分達が女になって、あまつ静雄は臨也に襲われて抵抗すらできなかった。こんな恐怖体験は二度としたくないし、はっきり言って屈辱だ。

「臨也」
「何? ……って、ちょ、わッ!」

起こした身体を押し倒す。その身体に乗って、所謂マウントポジションというやつを取った。夢の中とは逆の体勢だ。臨也は顔をさっと青褪めさせたが、しかし今の静雄にそんなことを気にしてやる余裕は一切ない。躊躇せずに服の中に手を突っ込むと、いよいよ臨也は暴れ出した。

「なんだよ、やめろ! 変態! 絶倫!」
「…………」
「なんで無言なんだよ! なんか言えよ! ちょ、待っ、マジで待てって! なに朝から盛ってんだよ、なんで起きぬけに……ちょッ、胸をまさぐるな!」

大して痛くはない臨也の拳が静雄の頭に繰り出される。静雄にとってはどうついうこともない攻撃なので、無視して行為に没頭した。確認したいことを十分に確かめたところで、漸く手の動きも止める。

「よし。胸は……ねえな」
「当たり前だ!」

臨也は涙目になりながら静雄のことを睨んだ。すると安心したのも束の間、静雄は再び猜疑心にも似た不安に駆られる。夢の中の、迫る来る女の臨也。それに怯える自分。呆気なく動きを封じられて、圧し掛かられて、そして――。

「今度は何だよ!?」

静雄は臨也の足首をガチリと掴むと、そのまま左右に大きく開かせた。それから、そうか下もきちんと履いているのかということに今更気が付いて、右足首だけ掴んだまま、左手のみでズボンを引き裂く。臨也は思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげ、そうして無残にも切り裂かれたズボンと、無傷のトランクスだけが残った。
今度は両手で膝のあたりを掴む。力ずくで更に足を開かせて、内腿の辺りにぐっと顔を近付けた。

「……ねえ、本当になんなの……? シズちゃん、俺君になんかした? してないよねえ、なのにこの仕打ちなんなの?」
「うるせえ、ちょっと黙ってろ」
「こんな屈辱ないよ……俺の穏やかな眠りを返せよ……ううっ、なんで俺、起きぬけにこんな化け物に股開かされてんの? マジありえない……」
「だから黙れって……あった」

両手で顔を覆ってさめざめと泣く臨也ににべもなく返して、静雄は探していたものを漸く見つけた。最悪トランクスまで脱がしてやろうかと思っていたのだが、どうやらその必要性はないらしい。
右の腿に一つ、静雄が昨晩つけたキスマークを発見した。それを見つけた瞬間、静雄の張っていた緊張が漸く解けた。そうだ、やっぱり、主導権を握っているのはこの俺だ。

「オイ」

臨也はもはや抵抗する気力もなく涙ぐんでいる。そのある意味痛々しい姿を視界に収めながら、静雄は労るように笑ってやった。その珍しい表情に、臨也の目が驚愕に見開かれる。それを確かに確認しながら静雄は両手を広げ、そして多分この世で最も有り得ない台詞を大声で叫んだ。


「臨也、“俺”は“お前”が大好きだ!」













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アンチ・アンチテアトル
(僕が僕で、君が君であらんことを!)


あきゅろす。
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