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ふと落ち着いた頃、東雲社長に渡されたのは今月の日程表だった。丸がついた日の午前中に来てほしいと言われたボクは散乱した服を拾い上げ、五百雀氏に迎えに来てほしいと連絡をする。
本番無くとも意識が遠退くほどイカされたボクはふらふらと足を引きずりながら長い廊下を歩いていた。
「サキちゃん、大丈夫?」
「は…いっ…」
「五百雀さんに言われた通り、お尻はまだ止めておくから。ちゃんとそれは伝えといてね。新人さんだもんね、」
「はい、」
社長室から下へ向かうエレベーターのボタンを押して笑顔で手を振った東雲社長はゆっくりドアが重なると同時に無表情で姿を消した。
切り返しがとても早く感情の変化が分かりやすい人なのでかえって気を使わなくていいのかもしれない。
「ああ!サキちゃん!大丈夫か?ちゃんと社長にお尻は無しって言うた?」
「は、はいっ…まだ新人なので、っ、」
「それでも悪いことしたな、初っ端あの東雲社長やったのがいけなかったわ…ほんまゴメン!」
よたよた歩きながら車に乗ったボクはこんなことヤラせるなよと思いながら差し出された水を飲み干した。予定では夜にマーガレットで働くはずだったのだが、体調を気遣い五百雀氏はボクに休めと言う。
「それでもな…東雲社長の所は3ヶ月間ちゃんと行って欲しいねん。」
「・・・。」
「分かるやろ?東雲さんは会社社長やし、居なくなったら困るお客さんなんよ。」
確かに経営者としては手放したくない客だと思う。
だけどボクじゃなくたって。ボク以外にもたくさん使えそうな人(アナ)が居るじゃないか。
しかもイヲリやソウも居て欲張り過ぎだ。正直、もう二度と相手をしたくない。
「オーナー、何で俺なんですか?本番が出来ない俺じゃなくても他にいっぱい居るでしょう?」
「いやぁね、何でて…キミが19歳やからよ。」
「はい?」
「20歳になる前の子じゃないと嫌だって東雲社長には変なこだわりがあるんよ。」
とりあえず成人前の若い子が好きらしい東雲社長の相手を三ヶ月やることになったボクは黒薔薇の時のよう痛い思いをしなくていいものだと考えた。
それにあの恐ろしい10日間に何があったか少しずつ思い出そうとする頭はガンガン痛み、記憶がたくさん蘇っては消えていた。
◆
『多分、今日で最後だから。最後に一緒、寝てくれるかな?』
『こうして…キタノクンが居なくなったら俺、どうなるんだろう。最初からこんなことしないでずっといれたら一番良かったのにな。』
『本当に、本当に欲しいものは手に入らない。なんて…最初から分かっていたのにね。』
少し寒い秋の夜にフローリングに敷かれた薄っぺらな布団。そこに横になったボクはぎゅうっと強く抱きしめられて朝を迎えた。ちゅんちゅん聞こえる鳥の囀り、朝から罵声を浴びせ捕まった『黒薔薇』
彼と居た時間、ボク自身無駄では無かった。
そして強く、世界で孤立していたボクを愛してくれた彼にまた逢いたいと心のどこかで訴えているんだ。
「サキちゃんっ!」
「はいっ!」
「初めての御指名が入ったで!早う、着替えて3番ルーム入ったって!」
東雲社長に遊ばれて身体を休ませた翌日、初めてマーガレットで働くボクに初めて指命が入った。
モコモコしたポンチョを羽織り、下着姿になったボクは五百雀氏に誘導されて3番とかかれた桃色の扉の前で立ち止まる。
「お待たせ致しました。新人のサキです、」
「こんばんは、」
「こんばんは。」
僕には何も無い。
もちろん失うものも無い。このまま『黒薔薇』との日々も溶けて消えるなら…
―さよなら『黒薔薇』
特別な感情を心に了い、吸い込まれるようボクは部屋に入った。
[*Ret][Nex#]
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