艶事ファシネイト
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由利香が部屋を出たすぐ後、何も無かったように時枝は野々宮を労った。
しりもちをついた彼を抱きしめ、大丈夫と何度も囁くが、それは誰に“大丈夫”と言っているのか…
自分に向けた励ましと気付かずに野々宮を一杯の愛で包み込んだ。
「…かなしい。」
「え、?」
「んっ、さっきのヒト…とちえださんのことちゅきみたい。」
俯く野々宮は全て見透かしたように口を尖らせて唸っていた。
だけど時枝が今、大切にしたいと思っているのは彼だけであって由利香ではない。
確かに悲しくて身勝手な話だが、今自分の目の前に居る彼を一人放って置くわけにはいかないと思った。
「…野々宮、」
「ん、なぁにぃ?」
「…俺と一緒に暮らさないか?」
真剣な時枝の話。
赤くなった胸をぽりぽり掻きながら真面目に聞いていない呑気な野々宮。
お気楽な姿はもちろん時枝の気に障るわけがない。
それが彼のかわいいところなのだから。
「うんっ!いいよぉっ!」
「そうか、ありがとう。嬉しいよ…」
「んぅうっ、とちえださん!ののも嬉ちぃよっ!」
ニコニコ笑う眩しい小さな光を時枝はその時、これから何が起きようと絶対に離さないと誓った。
・・・・・・・・・・・♂
時枝が一週間ぶりにドーフへ向かうと、自分の席は消えていた。
後任に鬼形が、部下にいろいろ指示を出して張り切って仕事を熟している。
その姿を安心して見届けた時枝が帰ろうとした時、姿を確認した鬼形が慌てて駆け付けた。
「時枝さんっ!」
「お疲れ、鬼形。いろいろすまなかったな。」
「そんな…謝らないでくださいよ、時枝さん居なくなったら俺達、どうしたらっ…」
あの失態から当たり前にクビにさせられた時枝は自分の場所がここにはない事を予期していた。
そうしたら案の定、自分の席は無く後任には可愛がっていた部下がついていたので少し安心していたのだ。
鬼形の才能は昔から認めていたため、自分が居なくなっても十分やっていけるだろうと時枝は笑顔でエールを送った。
「輩の処理は大変だったろう。本当にすまなかった。」
「時枝さん、そんなこと無いですよ…俺らは時枝さんが居なくなるってだけで大変なんですからっ!」
「…鬼形、ありがとな。ところで最終金額はいくらだ?」
「はい?」
「野々宮昴の最終金額は何億だ?」
時枝はバッグから小切手を取り出し、鬼形に差し出した。
差し出された彼は一瞬きょとんとした顔で受け取ったが、野々宮昴と聞いて慌てて小切手を時枝に返した。
「何してるんですか!いいんですよ、金なんて!出品者には上手いこと言えば安値でも済む話なんですか
「何を言っている、鬼形。出品者が誰であれ相当の額を渡さなければいけないルールだろう。だから書きなさい。これは騒動を起こしてしまった弁償代だと思えば良いんだ。」
「わ、分かりました…」
ため息をつきながらペンを走らせた鬼形は丸をたくさんかいて時枝に渡した。
その金額にヒヤリとした時枝だが、裏面にまで及ぶ数字に呆れてしまう。
「鬼形…なんだコレは。」
「時枝さんが居なくなって困った俺達の迷惑料です。貴方に払えますか?」
「ったく…バカか、お前は。」
呆れた時枝の目の前でその小切手を破いた鬼形は握手を求め、その場を去った。
金の問題、妻の問題、ドーフの問題も全て解決したと思った時枝に悪魔がやって来るのはまた少しあとのことである。
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