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cheap endroll(青益)
尾行と張り込みで思わぬところへ来てしまうのはよくある事だがターゲットを見失うのは多くの場合、まあ所謂、巻かれたという奴で。

巻かれたのか、ただ単に見失っただけなのか。
どちらにしろターゲットを調査する方法はまだ幾らでもある。アプローチの方法を変えるだけだ。依頼人との調査報告の約束の期日までにはまだ余裕があるし、焦る事もないだろう。
などと明らかに失敗した事に対する言い訳を並べたてる。失敗した挙句、言い訳を垂れるなんざ、榎木津さんに聞かれたら罵倒されまくるに決まっている。でもまあそもそも、あの人は僕がしている調査になんて一oも興味がないので心配は無用だ。

とりあえず場所を変えよう。
‥‥でも。
はて、ここは一体何処だろう?と辺りをきょろきょろと見回した。所番地の分かるものを探す。電柱でもあれば良いのだけど。
僕はそれらしいものを探して街路樹の影から見知らぬ土地の真っ昼間の風景を眺めた。

急に全ての音が遠のいた。
車と人の往来。秋の風が吹き抜ける晴天の明るい日差し。ショウウィンドウに反射してキラキラ光った。とても健全な日常。
ふと、自分だけが嵌絵のような、異質物であるかのような、健全な日常から外されているような感覚に陥った。
そして先程とは真逆になる。
周りの音が良く聞こえる。視野も広くなり隅々までクリアによく見える。思考が停止する。
非日常。現実感の欠如。時々こうなる。元に戻るには少し時間がかかる。
しばらく、そうしていた。


肩を叩かれた。
思考停止していた僕は飛び上がらんばかりに驚いた。けれど表面上は落ち着いてみえている筈だ。思考停止から戻って暫くは全ての表情が消えるのだ。
「失礼ですが、ここで何をされているんです?私はこういう者ですが、少しお話しても宜しいですか?」
振り返ろうとした背中に聞き覚えのある声が降った。思わずぎくりとしてみるみるうちに表情筋が氷解していくのが分かった。
肩を叩かれた時よりも、痛い程心臓が跳ねた。

こんな、平日の昼間の健全な街中で。
あんまり、会いたくない相手───。

振り返ると、見慣れた手帳を開きこちらに向け、刑事の目つきの青木さんが立っていた。

「青木さん、ヤダなあ僕ですよ僕」
僕は振り向き様に笑顔を作った。我ながら嘘臭い笑顔になっているだろうなと予想しながら振り返る。
「ここではなんなので、あちらでお話伺いましょうか」
青木さんも似たような笑顔を張り付けている。
「え、ちょっと待って下さいよ青木さん!マスクしてるから分からないんですか?ねぇ!」
全くの他人面で青木さんは僕を見て腕を掴んだ。職務質問だ、これ。何でだ。
しかも腕を取って人目のつかない場所に連れて行こうとしている。刑事が怪しい奴をしょっ引く五分前だ。
「ねぇってば‥!」
抵抗するように腕を引くと、青木さんの背後からひとり、男が現れた。
「どうしたんすか、青木さん」
刑事がもう一人増えた。わあ‥‥ヤバい。
どう見たって私服警官に囲まれている怪しい奴に見えているだろう、周りから!
「そちらは?」
僕を見るなり彼は、険しい目付きで青木さんが捕まえている男の頭から爪先までを数回、視線を往復させた。
「ああ、いいんだ。大した事はないから」
掴んだ僕の腕に力を込めて、もう一人の刑事にそう言った。ぎりっと力の込められた腕に顔を顰める。傍目からは力を入れているなんて思われない動作はさすがだなと思う。
「先に戻ってて下さい」
言いながら僕を引き摺るように歩き出す。納得のいってなさそうな顔の刑事は、分かりましたと言って僕たちを気にしつつ人混みに消えて行った。

「‥‥‥」
「さ、行きましょうか」
「何処へです!?」
横並びで真っ直ぐに前を向いた青木さんとは目が合わない。その横顔を眺めて違和感を感じる。この人が、往来で僕を見つけて声を掛けてくるなんてあり得ない。見なかった事にして回れ右をする筈だ。
「あ‥青木さん、僕ですよ?益田です‥‥ってこれ、オカシイでしょ、ねぇ」
「分かってますから大人しくして下さい。本当にしょっ引きますよ?」
「‥‥っ!」
これ以上喋るなという固い表情を滲ませ、横目だけで僕を見た。どきりとする。
青木さんの姿を見た時から、何故かソワソワとしている自分が気持ち悪い。落ち着かない。
二人きりで会う事なんて珍しくもないのに、お互いに仕事中の、それも明るい昼間に会うというあまりないシチュエーションに気持ちが追いつかないだけかもしれないのだが。

大きな建物と建物の間の路地に入った。
上空には青空が細く縦になって見える。喧騒が遠のいて、明るい日差しも半分程カットされたその空間に少しだけ安心した。
そこへ僕を押し込めるように入るなり、腕を突き放して青木さんは距離を取った。

「あぁ痛かった。もう、何なんですよ営業妨害ですよ」
腕を摩りながら大袈裟に言ってみせる。
路地の入り口に背を向けて立つ青木さんは影になって表情が良く見えない。本当に、追い詰められた犯人の気分だ。
「営業中でしたか。それは失礼しました」
「いや、僕こそ、まさか青木さんのシマだとは思いませんでしたよ。あ、別に青木さんのシマぁ荒そうってわけじゃないんで」
いつものように笑ってみるけど、上手くいっているようには思えない。舌打ちをしたい程、自分が落ち着いていないのが分かる。
ジャリと小石を踏んで近づく音に反応して僕は一歩後退する。
「僕も、マスクと帽子の怪しい格好の人物がいるなと職質をかけたら、まさか君だったなんてね。驚きましたよ」
呆れた口調で言い、はぁとため息をついた。
それに、なぜかジワジワとした焦りにも似た感情が湧いてきて青木さんから目を逸らした。
「同僚の手前、声を掛けてしまったら引っ込みが付かなくなってしまった。何処かで解放しようとしたんですがね。こんな所まで来てしまいましたよ」
自嘲気味に笑った気配がした。同時に、痛め付けようとするかのように僕を見る視線を感じた。

くそ。動揺するな。いつものように挑発しろ。
自分に言い聞かせながら青木さんに視線を向ける。
「だ、‥‥だったらもう、いいでしょう?」
顔を見据えようとして、何処に定めていいかわからない視線が泳いでしまう。こんなに動揺するとは自分らしくもない。

「どうしたんですか?」
僕のぎこちない態度に気が付いたのか、僅かに首を傾げて青木さんが不審そうに問う。
「何がです?」
「いつもの君らしくない」
やはりそう見えるのか。
「‥‥んな事ぁ‥」
じっと見詰める目。刑事の目。
こんな時まで刑事のツラかよ。
いや、こんな時だからこそか。つうか、ずっと刑事のツラしてるな、この人。マスクで顔の半分が隠れているのに、よくも表情を観察している。
言葉に詰まった僕を珍しい生き物でも見るかの様な顔つきで、青木さんは片方の口角を上げた。

‥‥ちょっと待って。
笑顔が物凄く鬼畜なのだが。

「──へぇ。緊張してるんですか?」
言って一歩近づく。犯人を追い詰める刑事というよりは、捕食者が獲物をロックオンした時の顔でゆっくりと靴底を踏んで近づいてくる。
「して、ませんけど?は?何ですか」
近づかれた分だけ後ろへ下がる。形勢が有利なのは青木さんの方である事は間違いない。僕はもはや意味のない抵抗を続けるだけだ。
そうだ、いつもの上滑りするばかりの抵抗を。
「君がねぇ‥‥?」
加虐的な色を帯びた声。
こんな昼間じゃなくて、薄汚れた夜中に数回聞いた事のある声だ。
「だから、緊張なんてしてませんて」
嘘だ。
漸く分かった。青木さんの姿を見た時から感じていたこの感情の正体。
どうして緊張するのかといえば、予測もしていなかった所で予測もしていない人物の登場。
加えて、ほんの少しの、顔を見た時に感じた気分の高揚。つまり、あんまり認めたくはないけど、嬉しかったという、なんともお粗末な感情が僕を動揺させ緊張させたのだ。
‥‥多分だけど。

急に目の前が明るくなった。
僅かに日差しが差し込んでいる場所に体が出たのだ。日差しの暖かさにほっとする。
不思議だ。この路地に入った時は暗がりに入って安心してたのに。今は冷えてしまっていた体に温度を感じる事で安心している。
眩しいその光の中から暗がりにいる青木さんを見るが、益々もってよく見えない。

明るい場所から暗い場所は良く見えないが、暗い場所から明るい場所というのは良く見える。
僕は嫌というほど知っている。
だから、今、青木さんがどんな気分で僕を見ているのかも僕は知っている。

───お前の無様なツラが良くみえる。

それは暗い優越感だ。


暗がりから手が伸びた。
びくりと身体が硬直する。暗がりと日差しの境界に立つ青木さんの顔が半分だけ見えた。相変わらず捕食者然とした顔つきのまま、腕を真っ直ぐに伸ばしている。
その指先がマスクに伸びた。
人差し指で引っ掛けてずり下げられる。
「なん、ですか‥‥」
「こんなマスクや帽子なんかを被っているから、怪しく見えるんですよ」
ニッと上げた口元が近づく。
唇を押し付けられる。
「‥‥っ」
驚きで見開いた僕の目は、反対に、目を閉じながら近づく青木さんの顔を映していた。

押し付けた唇で僕の上唇を挟んで離す。
目を見開くばかりの僕を間近で見て鼻だけで笑い、マスクを元に戻した。
「顔が青いですよ、益田君」
とん、とマスクを戻した指で胸元を押され、後へよろける。軽い力だったのに、それだけで足元が覚束ない。足に力が入らない。
「お‥‥驚いた、だけです」
青木さんはまた暗がりの中へ姿をくらます。

「そうですか。では僕は仕事に戻ります。こんな所まで引っ張ってきて申し訳なかったですね」
踵を返す音がする。
「青木さん、」
「君も、どうぞお仕事に戻って下さい」
声が遠くなっていく。気配が遠ざかる。
置いて行かれる気分になる。

日差しの下から暗がりへ入ると、もう青木さんの姿はなかった。僕は慌てて路地を出る。
急激に開けた視界と、喧騒。
映画館から出た時のような、悪夢から覚めた時のような感覚を味わって目が眩んだ。
胸がどきどきと高鳴っていた。
「青木さん」
呟いた声は自分でも驚くほど頼りないものだった。咳払いをして辺りを見回しても、やはり何処にも青木さんの姿は無い。

こんな状態で、こんな情けない状態で一人。
───仕事に戻って下さいって。
戻れるわけないだろ。

せめて、ここが何処なのかを聞いておけば良かったと僕は唇を噛んで拳を握った。






end.

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