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薔薇十字団男子寮A



※三馬鹿ルームシェア中。
※美由益風味で男子寮と益田君の説明。
※上記許せる方はどうぞ。



















『明日、餃子パーティーがあるんだけど、もし良ければ行かない?』

そんなラインが敦子さんから来たのは、金曜日の午後。体育の授業の後にスマホを確認した時だった。
「餃子パーティー‥‥」
私はその文字に何となく、ほんの少しだけ、違和感の様なものを覚えた。
敦子さんが、餃子パーティー、なんて。
言うかな。

敦子さんは年上の友達だ。
歳だけ考えたら大人の女性だ。だけど、何故か放って置けない雰囲気がある。真面目すぎるというか危なっかしいというか。目を離した隙に何処か遠くへ行ってしまいそうな気がする。
そしてそのまま二度と会う事はないような。
そんな感じがする。考えすぎかな。

『いいですね!行きたいです(*^^*)』
とりあえず返信をして急いで着替えをする。
次の授業は現社だ。あの大きな地図を(広島県だ)社会科準備室から持って来なければ。
日直だというだけで、どうしてこんな面倒な役割を押し付けられないといけないのだろう。
時間割によって、日直の仕事なんて差があるのに。不公平だ。
そんな不満をぶつぶつと呟いて社会科準備室へ走った。

「失礼します!」
勢いよく開けたドアの向こうで驚いたように振り向く人影。
「‥‥呉、」
驚いた表情から呆れた表情に変わったその人は、私の副担任であり現社の教師だった。
若くてイケメンで話しやすい。授業も楽しくて教え方も上手い。生徒からの人気は絶大だ。
でも。
「あ、すみません!急いで来たから」
この人は男だ。
私はわざとガチャガチャと騒がしく動きながら広島県の大判の地図を探す。
狭い部屋。薄暗い。出入り口は一つ。
あの部屋と同じ間取り。
息が出来なくなる。

「広島の地図だろ?それならこっちだよ」
横からぬっと伸びた腕。
男の腕。
背中から頭に向けて一瞬にして悪寒が走る。
駄目だ。
吐き気がする。
「‥‥‥っ!」
「どうした?」
「いえ、何でも‥‥あ‥‥‥ありが、とう‥‥ございます」
私は込み上げてきた吐き気を、先生に悟られないように堪えながら広島の地図を受け取り部屋を出た。
廊下に出た途端、息が荒くなる。急激に肺に空気が入り込んだのだ。へたり込みそうになる足を踏ん張って教室へ向かう。
はぁはぁと聞こえる自分の息遣いに、情けなくなる。同時に申し訳無さと自己嫌悪が胸を締め付ける。
先生は違うのに。あの男達とは違うのに。
私なんかをそんな目で見ないのに。あんな事はしないのに。私を。

胸に抱えた地図をぎゅっと抱きしめる。
目の前が滲む。
それすら嫌だ。





‥‥ちゃん、
みゆきちゃん

「美由紀ちゃん」
ハッとする。意識が急激に浮上する。
「‥‥あ、」
「美由紀ちゃ‥‥呉さん」
黒い人影が視界に入り込んだ。
切長の目が私を覗き込んでいる。
「ますだ、さん」
「どうしたんですか?ポヤァっとして。熱でもあるんですか?」
細い眉を八の字にしている。口調こそ戯けた感じだけど、その顔は本当に私の体調を気にしているようだった。
「いえ。何でもないです」
私は大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。
「あ。暑いですか?換気扇、回してるんだけどなぁ。窓も開けようか」
益田さんはそう言って細長い腕を伸ばし、台所の小窓を開けた。
空気が循環するのが分かる。私はもう一度、大きく息を吸い込んだ。肺に新鮮な空気が入ってくる。同時に洗濯洗剤のような石鹸のような匂いが鼻先を掠めた。

ここは益田さんと青木さんと鳥口さんの三人がルームシェアする一軒家だ。
餃子パーティーをするので来ないかと敦子さんから連絡を貰ったのは昨日で。どこで催されるのかを知ったのは今朝の事だった。
私はてっきり敦子さんのアパートか、あのお兄さん夫婦のご自宅だと思い込んでいたので、まさか三人のルームシェア先だとは思いもよらず少し驚いた。餃子パーティー自体は夕方かららしいが、午後からの都合の良い時間帯に向かって欲しいという事だったので、私は少し早めにに寮を出たのだった。

「‥‥皆さん、まだ来ないんですか?」
居間の時計を見ると午後の二時過ぎだった。
「ああ、青木さんは午後休だからもう少ししたら帰ってくると思うけど。鳥口君は夕方過ぎかな。もっと遅いかも」
刻んだニラを挽肉に混ぜている益田さんの手元を見る。長くて、男の人にしてはやや華奢な指がビニール手袋から透けて見える。指の細さは私と同じくらいだろうか。自分の手指と比較してみたけど、よく分からなかった。

私はふと、到着した時から疑問に思っていた事を聞いてみた。
「そうですか。──ところで、益田さん」
「なんですか?」
「どうしてそんなエプロン着けてるんです?」
そう聞くと何故か嬉しそうに顔を輝かせて、バッと私の方を見た。
「よくぞ聞いてくれました!もうこのままスルーされるのかと冷や冷やしていたんですよ実は!」
益田さんは、純白のフリルのついた所謂メイドさんが着ているようなあの形のエプロンを着ていた。出迎えてくれた時からこの格好だった。
到底、無視できるような出立ちではないと思う。
「はあ」
「これはですね、鳥口くんが酔っ払った勢いで購入したものなんですよ。この前、外で飲んだ帰りに激安の殿堂に寄ったんですね。で、」
そこで何故か、混ぜていたニラ入り挽肉の塊をボウルの底に打ち付けた。
というか、外でも一緒に飲むのか。
「色んな食料やら飲み物なんかを買ったんですけど。酔ってますからね、気になったものは見境なくどんどんカゴに入れる。そこでまあ、区切られたお部屋にも入っちゃった」
区切られたお部屋というのは、18才以下は入室をご遠慮しなければいけないお部屋の事だろう。
「そこでも色々物色して気になったのは片っ端から‥‥‥ぅん、んッ」
嬉々として喋っていた益田さんはそこでハッとしたように口をつぐみ、咳払いをした。自分が誰を相手に何を喋っているのか気が付いたように。別に私はあまり気にしないのだけれど。
「‥‥で、これを買いました、と」
ややトーンダウンして挽肉に何かを混ぜながら言った。生憎、私は料理をしないので益田さんが混ぜている調味料の名前を知らない。
‥‥胡椒くらいなら知っている。
「似合いますかね?」
全体を見せる様に身体を捻ると、それに合わせてはらりとレースが動く。細い体を包む純白のレースは綺麗だ。だけど、それがこの人に似合うかと言われたら‥‥。
「分かりません」
「これ、この前、木場さんが来た時にも着てたんですけど。あ、それは罰ゲームだったんですがね。木場さんの前にこれを着て出ていくっていう。そんで怒られて来いっていう」
誰の提案だったのだろう。あの強面の刑事さんがどんな反応をしたのか想像出来ない。
「それ、木場さんの方が罰ゲームですよ」
「あ!うまい事言うなぁ!そうだ、そうですよねぇ。だから何も言ってくれなかったのかなぁ」
どうやら木場さんにはスルーされたようだ。
その場面を想像したらなんだか可笑しかった。
「じゃあ今日もそれは罰ゲームなんですか?」
「今日は違います。純粋にエプロンとして使用しています」
エプロン以外の使い道もあるのだろうか。
「今日は木場さんも来るんですか?私と敦子さん以外にも誰か来ます?」
「木場さんには青木さんが声を掛けたんですけど、断られたみたいで。僕も榎木津さんに声掛けたんですけどね、来るかどうだか」
益田さんは、けけけけと笑ってビニールの手袋を取って手を洗った。この笑い方をする時、決まって目が三日月の形になる事に気が付いた。

私は再度、居間の方を伺う。
庭に面したガラス戸が開け放たれていて、清々しい風と春の陽気を吹き込んでいる。あのソファで昼寝をしたら気持ちが良さそうだ。

「綺麗ですね」
ふと、感じた事をポツリとつぶやく。
居間もそうだけど、玄関も廊下もこの台所も、スッキリしている。片付いているというよりも、必要最低限のものしかないとう感じ。
「ああ、共有スペースに私物はなるべく置かないっていう決まりを作りましたからね」
「へぇ、そうなんですか」
そうか。共同生活だもんな。私達の学生寮と同じだ。そう言うと益田さんは切長の目を突然大きく見開いた。
「じょ、女子寮‥‥!?」
「そう、ですけど?女子校ですから」
「女子校!!」
何なんだろう、この人。目をギラギラさせながら忙しなく左右に動かしている。
「あ、いやすみません。そうでしたね、美‥‥呉さんは女子校に通ってるんだもんなぁ‥‥」
益田さんはそこで何故か、さっき開けた台所の小窓から遠くを眺める目つきで外を見て、やけにしみじみとそう言った。
本当に、なんなの?この人。
「あのう、ところで餃子って何個作るんですか?っていうか手作りなんですね」
無理矢理話を変えたくて、当たり障りのない質問をする。
「百個程作る予定ですよ」
「百個!?そんなに作るんですか?」
「うん、鳥口くんがいるからね。それだけ作っても、あっという間に無くなっちゃう」
「はぁ、何というか途方もない‥‥」
だから、この準備の為に都合の良い時間帯に向かえというわけだったのか。
「でしょ?だから、はい。手を動かして」
にっこりと嘘臭い笑顔を向けて、益田さんは私にビニール手袋を差し出した。

餃子の餡を包む作業は、何故か心を落ち着かせた。たまにハート型を作ったり猫型を作ったりして遊んだ。思っていたよりもずっと楽しい作業だった。
「ハンバーグが出来るな‥‥」
ボソリと呟いて、益田さんは残っていた餡に挽肉を足して卵を割り入れた。玉葱を微塵切りにして手早く挽肉と混ぜ合わせる。その手際の良さに驚いた。
「‥‥すごいですね、こんなにぱぱっと作れるなんて。ほんと、すごいですよ」
私は料理が出来ない。というより、料理を作った事がない。だから本心からの気持ちを伝えると、益田さんは照れたような顔をした。
「いやぁ、それ程でもありますがねぇ‥‥あのおじさん、ハンバーグ好きなんですよ」
「あのおじ‥‥あ!榎木津さん?」
「そうそう。子供味覚なんすよ。ハンバーグとかカレーとかオムライスとか、子供が好きな物は大概好きで」
切長の目が細くなる。呆れた様な口調だけれど、どことなく嬉しそうに聞こえるのは何故なんだろう。

餃子作りを終えた頃には午後3時を過ぎていた。
「敦子さん、もうすぐこっちに着くみたいですよ」
スマホを確認するとラインが来ていた。
「そうですか。あぁ、青木さんももうすぐ着くって」
同じくスマホを確認したらしい益田さんが言う。
「他には、何か作るんですか?」
「あとはまあ、サラダとか」
「益田さんが作るんですか?一人で?大変そう」
「いや、そこは手伝ってよ」
サラダは簡単にできるというので手伝った。
といっても、言われるままにレタスを千切って野菜を切って盛り付けただけなのだが。
それでも出来上がったそれは彩りが綺麗で楽しかった。それをスマホで撮影している間に益田さんは鍋に水を入れて火にかけていた。ジャガイモを茹でるそうだ。
「茹で上がるまでの間、おうちの中、少し探検してみても良いですか?あ、勿論、皆さんのお部屋には入らないので」
失礼は承知で聞いてみる。
「いいけど、面白くないと思いますよ?普通の家だし」
実はルームシェア先で餃子パーティーが開催されると知った今朝から、あの三人でどんな所に住んでいるのか興味が湧いて仕方がなかったのだ。

お許しが出たので私はさっそく居間へ入った。
畳敷の広い居間にはテーブルとテレビモニター、大きなソファしかない。居間から濡れ縁に出る。垣根に囲まれた小さな庭を見渡す。何も干されていない物干し台が春の柔らかな日差しを浴びてる他には何ない。殺風景なものだ。
再び居間に視線を戻す。と、視界の端に黄色い何かが入り込んだ。何だろう、テーブルの下だ。私は膝をついてテーブルの下を覗き込み、腕を伸ばして黄色の物体を引っ張り出した。
「この黄色いの、鳥?‥‥ニワトリ?」
テーブルの下に転がっていたのは、ビニールで出来た細長いニワトリのような形をした物だった。
「おもちゃ?」
白いエプロンで手を拭いながら居間に入ってきた益田さんはあっ、と小さく言って私の隣にしゃがんだ。
「ここにあったのかぁ‥‥それは鳥口君がこのエプロンと一緒に買ったものでしてね。呉さん、そいつのお腹押してみて」
言われた通り、ぐっとお腹を押す。ペコォという音と共にお腹がへこんだ。指を放すと空気を吸い込んでいるような音がして、アァァァァーっというなんとも言えない音が鳴った。
「何これ、気持ち悪い!」
手のひらに微動が伝わる。それに合わせに鳴く鳥の声が不様すぎる。思わず放り投げてしまった。
「これねぇ、こうすると」
私の投げた鳥を笑いながら拾った益田さんは、鳥の腹をきゅっきゅっきゅっ、と押した。すると、アッ、アッ、アッ、アァァァーと悲壮な鳴き声を上げて鳥が震えた。
「‥‥‥っぶ、はっ!!」
私は思わず吹き出した。こんな腰の抜ける音、聞いた事がない。
「これ、酔うと青木さんが馬鹿みたいに鳴らして遊ぶんですよ。もう煩いから没収したのに」 
「え、青木さん?て、あの真面目で優しそうな人ですよね」
「真面目で優しいから酔うと面白いんですよ。酒は弱いから直ぐに潰れちゃうんだけどね」
まだお酒が飲めない私には、その理屈はよく分からなかった。そんなものだろうか。
益田さんは小刻みに鳥のお腹を押し、アッアッアッと言わせて笑っている。それにつられて私もまた笑った。

「ほんと、なんなのこれ。何に使うものなんだろ」
ひとしきり二人で鳥を鳴らして笑った後に呟いた。これ程無駄なものはないと思う。
「その鳥は、無理矢理笑う為のものなんじゃあないですかね」
はい、と言って益田さんが私に鳥を預けて立ち上がる。
「え?」
「だって下らないでしょ。その形といい音といい。二つ合わせて下らなさ倍増ですよ」
私は手に持った鳥を見た。確かに、細長くて目を剥いて口を開けた鳥の形は滑稽だ。それだけでもなんとなく可笑しいのに、あの音だ。
悲壮感漂う音なのに、この間の抜けた鳥の口から発せられると思わず吹き出してしまう。
「何か‥‥ちょっとヤな事あった時、とか、こんなの聞いたら笑っちゃうでしょ。笑った方が体に良いんすよ」
「‥‥‥」
確かに。そうかもしれない。
そういえば、喉元辺りにあったモヤモヤしたものが無くなっているような気がする。そのモヤモヤは昨日のあの社会科準備室での一件が原因だったのだけれど。
それが無くなっていた。
私は益田さんを見上げた。目が合うと八重歯を見せてヘラヘラ笑った。
私は鳥のお腹を押して鳴かせる。やっぱり吹き出してしまう。
「ほら、笑える」
左右に生えた八重歯のせいで若干、鬼の様にも見えるけれど、どことなく優し気な笑顔だった。もしかしたら益田さんは、私を笑わせようとしてくれてたんだろうか。
それは。
それは、なんだか──。

私はなぜか気恥ずかしさのようなものを感じて、顔を逸らして立ち上がった。
「二階も見て良いですか?」
話を逸らすように思い付いて聞いてみる。
「二階は、僕と鳥口君の部屋しかないですよ。あとベランダ」
「ベランダ!見たいです」
私は何故かベランダという場所に惹かれてしまう。屋内にいながら屋外にいるような気がするからかもしれない。あの空中に隔離されたスペースが良い。外から見た感じでは、屋根付きでガラス張りの小屋みたいな雰囲気だった。サンルームのような感じだろうか。
私の勢いに苦笑しながらも許可してくれたので、さっそく二階へ向かった。

階段を登り切るとすぐ横にベランダがあった。
ガラス戸なので二階の廊下はとても明るい。ガラス戸を開けてベランダに出る。内側に廻らされた柵を掴んでベランダのガラス戸も開けた。さぞや眺めが良いのだろうと期待していたのだけど、まず目に飛び込んで来たのは墓だった。
「‥‥‥」
ここへ来る時に、気が付いてはいた。目にもしていたのだけれど。改めて上から見下ろす墓場というのは中々、趣きがあるというか壮観というか。
「がっかりしたでしょ」
階段を登ってきた益田さんが、呆然とする私に向けてニヤニヤしながら言った。
「──絶景ですね」
「でしょう?だからこの家、安かったんですよ。それもあってか、この家だけ周りの民家からちょっと遠いし」
私はそっとガラス戸を閉めてベランダを後にする。
「夜は‥‥」
言いかけてやめた。ニヤニヤと笑う益田さんが恨めしくて睨んだ。なんだか釈然としない。

「益田さんのお部屋は、どっちなんですか?」
「僕の部屋は一番奥ですよ」
「ふぅん‥‥」
私は素早く一番奥の部屋へ向かい、ドアノブに手を掛ける。釈然としない仕返しに、少しふざけてみるだけだ。本当に開けるつもりはない。
止められる事を前提としての行動だった。
「ちょっと覗いて良いですか───」
後を振り返ると直ぐ側に、というか目の前に白いフリルの付いたエプロンの胸元が現れた。現れたと言う表現がぴったりくる程突然に目の前に入り込んだ。
洗剤の匂いがした。石鹸のような匂いだ。
台所で、新鮮な空気ととも私の肺に入り込んできたあの匂い。

「だ、‥‥‥め」
小さく掠れた声だった。恥入るような、心底申し訳ないというような。それでいて、ハッキリとした拒絶の意を叩き付けるような。
「駄目、です」 
伸び過ぎた前髪が下がっていて顔の半分を覆っている。けれど益田さんより背の低い私には、その前髪に覆われた顔を覗き込む事が出来た。

切長の目の睫毛が細くて長い。
白目が白くて綺麗だ。
薄い唇が困ったように結ばれている。
片方の手は、腕をついてドアを押さえ、もう片方の手でドアノブを握った私の手を押さえつけている。指が長くて綺麗な手だった。
その軽い圧迫感には体温が感じられなくて安心した。

ああ。
そうか。
この人からは温度が感じられないんだ。
他人の温度が。生々しい、あの。
男の温度が。
だから怖くないんだ。
この男(ひと)の隣では呼吸が出来る。

小窓を開ける為に伸ばされた腕にも。
二人きりの室内でも。わざとらしく下品に笑っていても。こんなに間近で顔を寄せ合っていても。嫌悪をまるで感じない。
大人だ。 
あの日、あの場所で。
ただ一人、初めて、私の言葉を信じてくれた。
味方になってくれた。この人は、私を守ろうとする大人なんだ。
そうか。
そっか‥‥、


ドアノブから手を離して部屋の前から移動する。
「‥‥ごめん、なさい」
私は素直に謝った。
「い、いやぁ、あの‥‥ほんとに散らかってるから!恥ずかしいくらい散らかってるから見せらんないんだ、ほんと!か、片付けたら、是非‥‥お、お招きしたいところではあります‥‥」 
両手をパタパタと動かしているので挙動が不審だ。八の字にした眉とその下の細められた目が情けなくて、本当に困ったという顔をしている。
「‥‥はい。是非、見たいです」

私は歪まないように気を付けて笑顔をつくった。
泣きたくなる程。
洗剤の匂いが機械的で清潔で心地良かった。












end.


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