ある退魔屋の話
ある退魔屋の話 1/5
とある製薬会社からの依頼で、現場である研究施設を訪れていた。
依頼主である社長によれば、この研究施設では妖に有効な駆除剤の研究をしており、その試薬の実験台として数体の妖を飼っていたのだが、その試験中に不測の事態が起こり、それらが逃げ出してしまったという。
研究施設からの報告によると、ある檻に駆除剤を散布して間もなく、中の被験体が突如暴れ出し収容していた檻を破壊。
檻から脱け出した被験体はその場から逃げ遅れた研究員を次々と殺害すると、他の妖達を収容していた檻を破壊しつつ逃走してしまったそうだ。
また、その場をモニター越しに見ていた研究員によれば、被験体だった妖の姿に劇的な変化が見られ、その変化は駆除剤によるダメージによるものというよりは恐ろしい事に“強化”或いは“変化”しているように見えたという。
現在、施設は妖共が外部へ逃げ出さないように完全封鎖されているそうだが、施設内にはまだ多数の研究員が残されており、内部の緊急シェルターに避難しているらしい。
だが、いつ其処を突破されるか分からない為、早急に研究員の救出と全ての妖の駆除をして欲しいとの事だった。
「面倒な依頼だな」
施設内部の図面を睨みながら私はそう独りごちた。
救出と駆除の両方を一挙にする事は人員も必要であるし手間も掛かる。
しかも駆除の対象は複数居る上に、内一体は実験の影響か厄介な事に凶暴化している。
これを面倒だと云わずに居られようか。
だが、こうしてぼやいている間にも刻一刻と状況が良くない方へ進んでいるのだ。
気を取り直すと、今回の作戦を相棒と同行させた後輩二人に告げる。
まず、私と相棒、後輩二人にの二手に分かれ、それぞれ駆除と救出を同時に行う。
施設は地下三階と地上二階の造りになっており、研究員が避難しているシェルターが二階にある事から、後輩二人が救出向かっている間は私と相棒が一階を中心に妖の駆除と、地下からの流入を抑える。
そして一階を制圧後、安全を確認し研究員達を施設外まで誘導して救出は完了とする。
その後、妖が外部へ逃走しないように施設を再び封鎖し、一気に地下を制圧するというものだ。
事前の調査で使用した探知機によれば二階には妖の反応は無く、一階には二体居るらしい。
地下階は外部からでは探知機の電波が届かず反応が無かったが、どうやら大半の数はまだ地下を彷徨いているようだ。
「作戦開始」
手動操作により一時的に開放された入り口から研究施設内部に入ると、駆除班と救出班に分かれる。
階段を駆け上る救出班を見送ると相棒と別れ、慎重に廊下を進んでいく。
白を基調とした施設内は自分の出す足音や呼吸音が耳障りに感じる程に静まり返り、無機質な清潔感と相俟って薄気味悪い。
普段ならこの廊下を多くの研究員が忙しなく行き交い、多少は賑やかなのだろう。
暫くすると何処かで相棒が妖と鉢合わせたのか、静けさを打ち破るようにして退魔銃の発砲音と不気味な悲鳴が廊下一杯に響いた。
それは発砲音が一方的になるまで続くと、やがて再び静まり返った。と、同時に無線機が呼び出し音を鳴らす。
『…一体目。駆除完了』
「了解。続けて警戒しろ」
相棒からの駆除完了の報告。
これでこの階に居る妖は残り一体だ。
―――パァァァァアン
乾いた音が鼓膜を揺さぶった。
無線に気を取られている間に背後から近付いてきたそれに振り向きざまに鉛玉をくれてやると、断末魔を上げる暇を与えずに二発、三発と続けて気前良く馳走してやる。
そして、マガジンの弾を使い切ると床に倒れ伏している妖の、幾つもの風穴が開いて脆くなったその頭部を勢いを付けブーツで踏み抜いた。
止めを刺すと使い切ったマガジンを二本目のマガジンと交換し、次いで探知機で同階の化け物の反応の有無を確認すると、相棒の無線へ繋ぐ。
「二体目、駆除完了だ」
『了解』
「今のところ、この階には妖は居ないようだ。これから救出班に避難誘導を指示する。念の為、私は避難ルートの周囲を警戒するが、お前はどうする?」
『…俺はそっちに新手が行かないように地下の階段を見張る事にするよ』
「そうか。いつ被験体が飛び出してくるか分からん。十分に気を付けろ」
続けて救出班に無線を繋いだ。
「こちら駆除班。一階の安全を確保した。準備が出来次第、速やかに避難誘導を行え」
『了解しました』
短いやり取りを済ませると二階へと繋がる階段へと向かう。
『…準備が出来ました。今から避難開始します』
無線に耳を傾けつつ辺りを警戒する。
暫くすると複数の足音がし、白衣姿の集団が後輩に伴われて階段から降りてきた。
彼らの顔には一様に疲労の色が浮かんでおり、精神的に消耗しているのが見てとれる。
目の前で同僚が殺され、自分達もシェルターに避難していたとはいえ、いつか襲い掛かってくるであろう驚異に命が脅かされていたのだから無理もない。
五分程で特に問題なく全員が脱出し、その場に駆け付けていた依頼主にあとを任せると施設内に戻り、再び入り口を封鎖した。
「これからが本番だ。今から三組に分かれて駆除を行う」
地下への階段前に集まると、手始めに探知機を使い地下の妖の反応を確認する。
探知機によれば地下一階には二体。地下二階には三体。地下三階には一体居るようだ。
これを考慮し、少ないメンバーの配置を考える。
まず地下一階を、まだ経験の浅い後輩達に任せる。この階は地上に近いので何かあれば幾分かは退避しやすいだろう。
次に妖の数が最も多い地下二階を私が担当する。この階は妖の数は多いものの、いざとなれば上下階に居るメンバーへ応援を要請しやすい為、一人でも何とかなる筈だ。そして、残る地下三階を相棒に任せた。
「今回は凶暴化した被験体が地下の何処かに潜んでいる。恐らく並みの妖よりも厄介な筈だ。奴が何処へ居るかは分からないが、それらしき化け物と鉢合わせてしまったら無理をせず退避する事。万が一相手が逃走した場合、深追いは厳禁だ。これだけは守れ。私から云う事は以上だ。心の準備が出来たら各自出発しろ」
私の言葉に後輩達が階段を駆け降りていく。
その後ろ姿を見送り、続けて相棒と二人で地下へと進む。
「すぐに片付けて君の所に行くから無理はしないでくれよ。危なくなったらすぐに退避して、それから…」
「お前に云われるまでもなく分かってる。それよりもお前だ。どうにもお前は無鉄砲なところがあるからな。もし件の化け物が居たとしても深追いだけはするなよ」
「…分かってるよ」
それぞれ担当階に向かうその別れ際にウィンクをして相棒はそう云うと、階下へと進んでいった。
その背中を見送ると先へ急ぐ。
此処から先は完全に一人だ。いつでも銃を撃てるように安全装置を外し、身体中の感覚を研ぎ澄ましながら進む。
地下も地上階と同様に全てが白で統一されているが、唯一違うのは逃げ遅れ、妖に襲われたと見られる人間の死体や残骸が所々に染みを作っている事だろう。
深紅に染め上げられた彼らの虚ろな目は最期に何を映したのか。
「・・・・・・!」
手にした退魔銃の引き金を弾く。
乾いた音と共に放たれた鉛玉は、不意に廊下の曲がり角から現れたそれに命中すると、次いで鋭い悲鳴が耳を劈いた。
…イタイ…イタイ…イタイヨ。
たった一発の銃弾に倒れたソイツは、そう呻きながらもズルズルとその身を引き摺るようにして此方へと近付いてきた。
元々は人型の妖だったであろう体躯をしたソイツは、額に短いながらも二本の角を生やしている。この国に数多く存在する妖の中でも“鬼”と呼ばれている種族だ。
だが、本来屈強な姿をしている筈のそれはミイラのように痩せ細り、更に所々が爛れている皮膚は腐っているかのようにどす黒く変色している。
その身体には途中で引きちぎられた何本ものチューブやコードが刺さっており、ソイツが何かの被験体として使われていたのは一目瞭然だった。
故に件の被験体だと思ったのだが、“強化されていた”“成長していた”という証言に当てはまらない程に弱々しいその姿に、これは“逃げ出したその他大勢の中の一体”という判断をした。
だからと云って相手が妖である以上、気を抜く事は出来ないが。
弱っているとはいえ出来るだけ少ない弾数で確実に仕留める為、周囲に警戒しつつも這い迫ってくるソイツの急所に照準を合わせる。
人型や獣型の妖の殆どは我々と身体の構造が似ている為、急所を狙って仕留めるのは比較的容易い。目の前の化け物も例には漏れず…といったところだろう。
ドウシテ…?
私が引き金に指を掛けたのとほぼ同時にソイツがぽつりとそう云った。
「何の事だ」
私のその問いに答えるかのようにソイツが顔を上げる。
種族的に人間と似たような目鼻口がある筈の顔の部分には凹凸といえるようなものは無く、それぞれの位置に合わせて五つの穴が空いているのみだった。
その口にあたる部分の穴をパクパクと動かし、所々不明瞭ながらもソイツは私に向けて言葉を発する。
どうして人間はこんな酷い事をするの?
静かに暮らしていただけなのに。
悪い事なんかしていないのにどうして?
無理矢理連れてこられて、
身体もこんなになってしまって。
痛いよ。苦しいよ。悲しいよ。
見えているのかも分からない目の穴から涙が滴り落ち、痩けた両の頬をしとどに濡らす。
可哀想な事にコイツは人間と同じような知性や感情を持っているらしい。
「…人間は酷い生き物だというなら否定はしない」
静かに生きていたのに無理矢理連れてこられ挙句、実験体として今日まで散々痛め付けられてきた事には同情する。
「でもな…私も、お前を痛め付けてきた連中も生きる為にしている事なんだ。悪く思わないでくれ」
引き金を弾く。
眉間に銃弾を受けたソイツは衝撃で後ろに仰け反るようにして倒れると一瞬、全身を激しく震わせ、それからすぐに動かなくなった。
屈強かつ頑丈で知られる種族ではあるが、度重なる実験で弱りきったその身体には耐えられなかったのだろう。実に呆気ない終わりだった。
偖、これで一体目が片付いた。
残りは二体だ。
上下どちらのフロアから聞こえてきているのかは分からないが、銃声が響いている。
建物の造りがそうなっているのか、その音は酷くくぐもって聞こえ、よく耳を澄まさなければ聞こえない程だ。
そんな音が意識しなくとも耳に届くほどに此処は静かだった。
再び感覚を研ぎ澄ませると残りの妖を片付けるべく先へと進む。
長く入り組んだ廊下が何処までも続いているが遮蔽物が少ないからか、一体目を駆除してすぐにフラフラと彷徨く二体目の妖を発見した。
こちらも先の妖と同様に痩せこけた身体から伸びるチューブやコードを引き摺るようにしており、その動きは鈍かったが妙にしぶとく先程のようにすんなりとはいかなかった。
何せ、何発撃っても相手は倒れる事なく、こちらへ這い寄ってくるのだ。
弾は全て命中し、身体に無数の穴を開けていたが実験の影響なのか、それとも元々が頑丈な個体だったのか、弱々しくもあるその見た目とは裏腹にソレはなかなか死ななかった。
幸い、動きが酷く鈍重だったので突然飛び掛かってくる事はなかったが、相手が漸く動きを止めた頃には三本目のマガジンを使いきる寸前だった。
辺りに注意を向けつつ、幾つかの装備品が入ったウエストポーチから新たなマガジンを取り出すと使用済みのものと交換する。
連続して撃ったからか、触れた銃身は酷く熱を持っていた。故障を避ける為に暫くクールダウンさせる必要があるだろう。
退魔銃をホルスターにしまうと絶縁グローブを手に嵌め、ウエストポーチのベルトに固定していたケースから一振りのブレードを取り出し持ち変えた。
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