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光と影の階


この階を昇れば、昇ってしまったら、千尋は手の届かないところへ行ってしまう。

露台で詔を宣べれば、眼下の、幾万もの民が、彼女の即位を勲を挙げるように称えるだろう。

その前に何か言わなければ。

光あふれる露台への階まで後少し。


「千尋」


ビクリとその肩が震えた。

「風早…」

振り向いたその顔は、少し緊張していた。
無理もない。
即位式に集まっているのは、幾万もの民。
常世の、異国の使者。
軍を率いた頃の人数とは桁が違う。

「かける言葉は決まっていますか?」

こくり、と細いあごが頷いた。


ああ、顔が真っ青だ。
心配しなくていいと抱き上げてしまえればいいのに。


――もう、それもかなわない。
幼い日は遠く彼方だ。


「足元、気をつけて」
「もう、子供じゃないよ」
「ええ、解っています。ただ、懐かしくて」
「え?」
「小さい頃、王宮で転んで泣いていましたからね」
「そうだったの?」
「ええ」


髪が短くなったせいか、橿原ではすっきり見えていた耳が、葦原に隠れた花のように隠れてしまっていた。
俯いた千尋の頭に合わせて、髪がさらさらと流れていく。垣間見えた耳は、赤く染まっていた。


「裳裾を踏んで転ばないように。恥ずかしいですよ」
「もう、大丈夫だってば」
「そうですね」


その時、狭井君の一瞥が、微笑む風早に寄越された。


もう、終わりの時間だ。


「ああ、そろそろ時間ですね。みな、あなたを待っていますよ」


「――王よ」


「さあ、いってらっしゃい。俺は下で那岐と待っています」
「うん。ちゃんと見ていて」
「ええ」


階を昇り、光の中に溶け込む背中を、風早は眩しく目を細めて見送った。
人の身であれば、側近くにもいれよう。
だが、だからこそ離れなければならない。

解っていたことだ……。

幾度も繰り返す期限付きの関係。
その度に胸が痛むのはなぜなのだろう。
答えは知っている。
しかし、言葉にすることはできない。
名を与えてしまえば、風早も千尋も逃れられない。
それは、言霊の中でも甘美な呪縛の言葉……。
光の中へ消えていった背中を惜しむように、風早はそっと瞼を閉じた。
その様子とは裏腹に、心がいとしさを繰り返し叫んでいる。
こぼれそうになる心を押さえこむように、風早は千尋の消えていった階を強く見据えた。
その先に、千尋の姿はもうない。
代わりに聞こえてきたのは、千尋を寿ぐ幾万もの民の声。



千尋は、今日、王になる……――



それはずっと望んできたことだ。
そのために俺はいた。



風早は、もう一度瞼を閉じた。
そして、光が差し込む階に背を向けて歩き出した。










FIN.


風早一周目。即位前の一時。
2009/09/22
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あきゅろす。
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