sss 『ビー/マイ/ベイベー』 「最近ちょっと悩みがあるんだよー」 友人は八の字眉毛の困り顔で腕を組んでいる。 この悩める男とは大学時代からの付き合いで、卒業してからも時々こうやって会う事があるのだ。 今回は友人からの誘いで、とあるカフェに来ていた。 「何?女絡みか」 「彼女は募集中〜〜や、ちがくて。何か変な事が良くあるんだよね」 「ふぅん?例えば?」 「うん。物が良く失くなるとか…。初めはボールペンとかハンカチ…小物だし、オレ落としたかなって思ってたんだけど」 友人はまた眉毛を下げて、ふうと息をついた。 落ち着き無く手元でストロー袋をビリビリと破いている。 「そしたら次は、会社で使ってる持ち込みのマグカップも無くなっちゃって。ロッカーのタオルも消えちゃうし」 ……何、いじめ? いや、この友人に限ってそれは考え難い。 純真とは言えないが、素朴、人畜無害あたりがピッタリあてはまるような人柄だ。 かつ天然寄りのアホで、動物や子供にも何故か異様に好かれる特殊体質も持ち合わせている。 「あと、いつの間にかオレのデスクのゴミ箱が就業前に空になってるんだよ」 「ゴミ箱…」 「あ、あと宿直明けの日なんて、宿直室に置いてた携帯歯ブラシも無くなっちゃったし。後で片付けよーって思って、あー先にトイレ行かなきゃよかった」 「歯ブラシ!?いやいやそれはもうお前、分かるだろ」 「何が?」 「何って、ストーカーでしょうよ…」 「えっ?何でそうなるんだよ??」 「貴重品が盗られたりってのは無いんだろ?」 「無いなあ」 「お前にストーカーなんて意外だけど……きっとストーカーさんはお前のマグカップで『きゃ!間接キス☆』ってやってるし、ハンカチやタオルをクンクンしてるし、歯ブラシに至っては頬張りながら『きゃ!間接ディープ☆』ってやってるよ」 「な、何だそれ怖い…!!」 可哀想に友人は真っ青になって固まってしまった。 彼女募集中とはいえ、そんな重苦しく陰湿な女は願い下げなのだろう。 第一こいつのタイプは自分と正反対の『しっかり者のデキル女』…さらに言えば結構な面食いだった。 「犯人は同僚かな。何お前、モテるタイプじゃないだろ?」 「真実は時にオレを傷つけるよ…。まあ心当たりぜんぜん無いけど……」 「残念だったな。酷くなったら警察いけよ」 「はい…………」 友人の悩みは些か手に余る物だったので、ヤバい時は自分か然るべき機関へ連絡するように約束させて、相談は幕を閉じた。 それから気を取り直して他愛のない雑談を始めると、友人の顔色はすぐ元通りになった。 ストローをがじがじと噛みながら屈託ない笑顔を見せている。 こういう所がアホっぽいんだけど、この切り替えの速さは友人の長所でもあると思う。 それに、フリーで転々とやってる自分には、会社という組織に属している友人の近況報告は中々面白い。 聞いているとどうも失敗談が目立つような気がするんだが、上司や先輩には可愛がられているんだろうと想像出来る。 そういう奴なのだ。 「それでさ、その顧客用にオレが昔作ったファイル名が"uuuuuuuuふるいのの最新"でさ、分かりにくいって、部長にすっごい怒られて」 「部長に心底共感するわ」 まあ絶対嫌だけどなこんな部下。 ふと、テーブルに影が落ちた。 見上げると、友人の背後にデカい男が立っている。 ギョッとして固まるが、目の前の友人は話に夢中で気付いていない。 その男は俺には目もくれず、結構な至近距離で友人のつむじをひたすら見つめている。 「えっと、あの〜?」 「ん?」 友人が首を傾げるが俺が話し掛けたのはお前じゃない、後ろのやつだ。 それに気付いたようで、一拍遅れて友人が振り向く。 友人は驚きの声を上げた。 「はぶっ、ぶ、ぶちょう…!」 「偶然ですね」 何とタイムリーだろうか。 部長、と呼ばれた男は背が高くスタイルも良いイケメンだった。 フレームの薄い眼鏡が品の良い顔立ちに良く似合っている。 年齢は三十代半ばくらいだろうか、顔より少し老けたファッションだがこじゃれていた。 イケメン部長さんは友人に微笑みを向けていたが、ちょうど部長に怒られたって話をしていたのだ、聞かれてたのかもしれない。 友人は再び顔を青くして、わたわたと中腰になり出した。 混乱のせいか無駄に良くしゃべる。 「部長、ああ、わあ、ほんと偶然ですね…!あっ私服カッコイイ…!あ、もしかしてデートとかですか?」 「ふふ、ありがとう。残念ながら一人です。…君は、デートかな?」 「いや勘弁して下さい。違いますよ」 デートかな?の所でこっち見た部長さんの顔が、あまりにも真顔だったんで、こちらもつい口を挟んでしまった。 どんなジョークだ。 「あ、部長、こいつ友達なんです」 「そうですか、宜しく」 「どうも。いつもコイツがお世話になってます」 俺とは大して宜しくしたくも無さそうな部長さんに、社交辞令で返答するも、彼は本当に俺なんぞどうでも良いみたいで、再び友人に話し掛けた。 「店に入ったばかりなんですが、急用が出来てしまったので、腰を下ろしてられないんです。良かったらこれも飲んで下さい」 「え?いいんですか?全然減ってないじゃないですか」 部長さんは自分のトレーに乗ったアメリカンを、友人のトレーに強引に置いた。 まだ席に着く前だったんだろう、淹れたての湯気が立っている。 「貰って下さい。勿体無いから」 「わー、ありがとうございます…」 友人は素直に喜んだようで、その様子を見た部長さんも満足そうだ。 ついでに部長さんはコーヒーフレッシュとスティックシュガーを添えると、友人のアイスラテのプラ容器を持ち上げた。 中身は溶け掛けの氷だけ。 「コレは捨てておきますね。それじゃあまた月曜に」 「あっ、スミマセン!ごちそうさまです!」 バイバイ、という風に容器を降り、部長さんは背を向けていった。 「あれがお前の言ってたブチョーサン?気前がいいんだな」 「はあ、ビックリした…。うん、いい人だよ。でも怒ると怖いんだよー」 なんとなく去って行く部長さんの背中を眺める。 階段の手前で部長さんが立ち止まり、セルフのゴミ箱の上にトレーを置いた。 友人から預かったプラ容器を脇に置いて、トレーマットの紙を捨てている。 そしてトレーを返却棚に置き階段を降りていったのだが。 「あーそう言えばさ、この頃良く外で部長に出くわすんだよ。今みたいに。街でも近所でもカンケー無く。変だよなあ」 「ああ、変だ、スゴく」 階段を下る部長さんの手には、友人のアイスラテの容器がしっかり握られたままだったのだ。 友人によって噛み潰されたストローの先端に、男の口がーーーー 「でも、その度なんか奢ってくれたりすんだよな。ラッキー!」 終. ←→ [戻る] |