10日で愛を、育もう 3 「何言ってんだ! こんな酷い怪我…そんなんじゃダメだ!」 「……!」 助は口調を荒げ眉を吊り上げたが、目を見開いたハクに、慌ててすぐさま元の表情へ戻す。 「ごめん、つい……。びっくりしたな。でも放置はよくない。ほら、寒いだろ。服着て」 未だ驚いたままのハクへ服を指し、助は朝食の用意をしに台所へ入っていってしまった。 「……変な人」 今度は思わず声に出していた。その行為も、怒りどころも、どこかズレている。自分の顔色を窺い、腫れものを扱っているつもりなのだろうか。それとも──。 湿布は冷たく、気持ちが悪い。 気持ち悪いけれど、勝手に外してしまおうという気にはその時はならなかった。 「悪い、もう時間だ。朝食はここに置いておくから」 昨日よりは幾分簡易化された、それでも充分な量の朝食をテーブルの上に用意し、やがて助は慌ただしく出て行ってしまった。昨日と同じスーツで、ネクタイを巻きながら。 ハクはベッドから降りてテーブルの上の朝食に手をつけ始める。しっかりと温かみを持ったそれは、それでもまだ胃が上手く受け付けない。食べていると、逆に中から痰とも付かぬ何か不快なものが込み上げて来て、すぐに喉を通らなくなる。 「……かはっ、」 咳込むと、ハクはフォークから手を離した。口内の米が少しだけ飛び散る。 半開きにされたカーテンから朝日が入り込んできた。昨日この部屋にいたときは外は曇っていて部屋の内部も暗かったのに、今はもう晴天だった。暖房のスイッチは入れられたまま、そうして明るくなる室内。 助が焼いたベーコンから上がる湯気に、ハクの頭へ映像が浮かび上がった。こことはまた違う、光のある部屋──。 ぞくりと鳥肌が立つ。今までされてきたどんな惨たらしい仕打ちよりも強く刻みつけられた恐怖。その断片が、ここにいると姿を表す。 思いだしては、いけない。 湿布は患部を冷やし、身体を動かさなければ痛みは再発しない。さきほどとは一転し、ハクは急にそれを捨てたくなった。はがしたら、帰宅した助はどんな顔をするだろうか。また本気で怒られるだろうか。それとも悲しまれるだろうか。 ハクは自ら暖房を切った。やがて下がっていくであろう温度が、自分には丁度合っていると思った。 * * * 服を脱いでくれといったときの、ハクの一瞬ひるんだ顔は、目にしたのはほんの僅かな時間だったというのに助の中へ強く残された。 (あれほど酷いなんて……) 二コマ目の補習を終えた後、職員室で鞄に荷物をつめながら助はハクの身体を想起する。 腕に付けられていた数々の痕はほんの一部で、若干の予想通り全身に痕はあったが、予想よりも酷い症状がそこにはあった。 いくら「パソコンドール」といえども、ハクが自分と同じ人間から残忍に扱われていたと思うと、やり切れないものが込み上げてきた。 そして何より、ハクがその状況を受け入れてしまっていることが。 詳しい年齢は聞いていないが、成人していないのは確かだ。それなのに、あれほどの傷を「放っておけば治る」なんて甘受していた。 (つい怒鳴ったけど……あー、それがまた怖がらせているのか。失敗したなあ……) でもあそこで強く言わなければハクはずっとあのままだ。この10日間、自分に出来ることは出来る限りしてやろうと助は決心していた。 (悪い癖なのは分かっているんだけどな) 昔から、人に同情しすぎだとはよく言われてきた。その「同情」で過去に相手を傷つけてしまったことも何度かあった。 (いやでも、あれはそういうレベルじゃない。躊躇うな……) ハクの身体に彫りつけられていた傷は、生半可なものではなかった。 もしかしたら、自分のような人間は不必要だと思われているのかもしれない。 だが、助の元へやって来た。たったの10日。不必要だと、目ざわりだと思われても、傷むモノをどうにか緩和してやれるのなら。 それに、ハクの閉鎖的で攻撃的な性格も気になっていた。 元々児童心理学を学んでいた助は、そういった分野の職が狭いこともあり、紆余曲折の末に学校の非常勤講師の道を歩んでいた。誰かに何かを教えるのは好きだったし、子供の面倒を見るという点では助はそれなりの適正を持っていた。 「先生、ちょっとききてえんだけど」 「あっ、何だ?」 気付けば、受験間近の生徒が参考書を持って目の前に来ている。助は慌てて生徒に向き直る。 一つのことを考えると他のことに注意散漫になってしまう、これも助の昔からの悪い癖であった。 (いけない、今はこっちに集中だ) 「どこの問題だ?」 「この地形の読みとり」 「んん、これはまず──」 生徒の指導をしながら、しかりやはり助の頭の中の一部では、ハクの姿が常に浮かんでいた。 約一年間受け持っていた生徒たちが、もうすぐ人生で最初の振り落としを経験することになる。高校入試の倍率はそれほど高くないが、本来なら自分も頭をそれで一杯にしなければならないはずだ。現に三年生担当の教師たちはみなどこかピリピリしている。だが今の自分は──。 「こういうこと。分かったか?」 「ああなるほど。バッチリバッチリ。サンキューな、先生」 「頑張れよ」 「社会で一番いい点取ってやるぜ」 白い歯を見せた生徒に対して、助は少しだけ申し訳なくなった。と同時に、ハクの硬い表情もまた、フラッシュバックする。それで余計に助は笑顔が上手く返せなくなってしまった。 その後昼食を挟み、もう50分の補習を終えてから、ようやく帰宅出来ることになった。土曜日に出勤するのはこの時期だから仕方がない。電車内で、助は明日の予定について考えた。 (そうだ、買い物行かなくちゃ) 食料や、ハクの衣服も買わなければならない。ずっとあのままの服というわけにもいかないだろう。パソコンも、なくなって早くも不便を強いられているし、一台増えて困るものではない。明日、全てまとめて購入するのが吉だ。 そう思うと、今必要なものはほとんどハクに関連していた。 (買ったら、九日後にはパソコン、二台になるだよな) 二台に“なってしまう”という気持ちがあることに、胸がざわめいた。 (待て待て。あんまり踏み入るな。10日だけなんだ) 10日間、ハクのために動こうと決めた助だったが、それはあくまでハクが自分の元にいる限られた時間の話だ。陶酔してしまったら同情心も度が過ぎる。自分勝手な考えだが、己がダメージを受けることになりかねない。 だが。 (あいつを見ると……誰かが必要な気がしてならない……) いけないとは分かっていても、助は無自覚の内にハクへ充分心を奪われていた。 *←→# [戻る] |