10日で愛を、育もう
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* * *
助が作ったチャーハンは、当然の如く当初の味を再現するに叶わなかったが、それでも大分近いものを味わったような気がした。
助は決して少なく盛るようなことはしなかった。あのときと同じくらいの量を同じ皿へ乗せられたのをハクは食べた。
全部食べることは出来なかった。胃がどうしても受け付けない。
最後になっても、助の望むこと何一つしてやれない。
所詮そんなものだった。
「風呂入ってくるな」
部屋に一人残され、水の音を遠くで聞いていた。
後もう少しで契約は終わる。
結局助は抱かないままだった。自分がどれだけ頼んだところで、特別なままでいた。
これでいい。口にしたところできっと忘れられる。
でも、もしかしたら。
この人だったら、望む答をくれるかもしれない。
期待は確かに認めなければならない、けれど。
こんな自分の命を、彼に背負わせてしまっていいのか。
コトハのときにはまったく過ぎりもしなかった思いが、ハクの胸中を支配していた。
「むりだよ……」
幸せになんか、なれるはずがない。
こんな自分を本気で愛するなど、あるわけない。幾人もの人間に回され、そのために生まれてきた自分が。
優しい人だから。
同情をしてくれている。
彼の未来を、奪ってはいけない。
「……? これ……」
パソコンの横、机上に放置してある一冊の黒いノートが目に着いた。表紙には「学級日誌」とある。
今日部屋を片しているときには見かけなかったそれを、ハクは開いていた。
書きおきで見慣れた、契約者の文字がずらりと並んでいる。
「──なに……これ…」
『パソコンドールというものが家に来て四日がたった────』
そこには、自分も知るここ数日の出来事が、助の文字で事細かに記されていた。
四日目という見出しから、昨晩の九日目まで、何十頁にも及ぶ助の文章。
『パソコンドールというものが家に来て四日がたった。名前はハク。NO.25と名乗ったが、一緒に生活をするにはあまりにもおかしいから、自分が名付けた。髪の毛は黒色で、肌は真っ白──』
自分のこと、彼がしてきた一つ一つの行動の想い。
『どうやら契約が終わると、俺は記憶を失ってしまうらしい』
彼が知るはずのない情報まで。
『ハクが人間になれるらしい!』
5日目の欄でその文章を見つけたとき、ハクは驚愕した。
『けれど、人間に戻せたところでハクが幸せになれるのか、自信がない』
知らなかった契約者の不安や葛藤。
一文字一文字に魂が宿っているようで、それは紛れもなく助の心自身だった。
『6日目、ハクが一日消えた。一日契約に呼び出されたらしい』
自分が勝手にいなくなったときには、不安の丈を叫び。
『ハクが戻って来た! けど、喜んでばかりはいられない』
怪我を見つけたその日は、読んでいてこちらが痛くなるような胸の不安を垣間見せ。
『ハクを、幸せにしたい。人間にしたい』
こんな自分を、想ってくれる優しさ。
『この10日を忘れたくない。笑ってほしい。傍にいてほしい』
彼の願い。
こんな自分が、叶えられる願い。
「あ……」
もう枯れたと思っていたそれが、流れていた。
たった一部の文章を流し見ただけで、今までずっとなくなっていたと思っていたものが、頬に一筋の軌跡を描く。
「な、…え、あ、」
紙に染み込み、字が滲んだ。
字も、視界も。
全部滲み、見えない。
「…に、こ、れ…」
目をこすっても、液体は止まらない。
『ハクが好きだ』
よくもそんなことを、恥ずかしげもなく。
『好きで、好きで、たまらない』
自分がここで読んでいることも、知らないで。
助が浴室から出る音が聞こえた。
ハクは瞬時に冊子を閉じて、元の場所に戻そうとし、そして──。
「あれ、ハク、何してるんだ」
部屋に戻った助はすぐハクを気にかけた。
(話かけないで……)
ベッドの端、助に背を向けて体育座りしているハクに、助は近づいてくる。
「どこか具合悪いか?」
「わるくない……」
「うそはつかないでくれ」
「うそじゃ、ないから」
自分がどんな顔になっているか分からない。もう溢れるものは消え去ったが、顔がずっと熱かった。
「こっち見ないで」
「…分かった」
助が遠ざかる気配がして、安心したのも束の間。
気付けば、後ろから助の腕が回ってきていた。
「!?」
「……ごめん、やっぱり放っておけない」
心臓が急加速する。頭に重く、響いていた。
「…放っておけるわけないんだ。どうしたんだ? ハク、こっち向いて」
「…いや」
「向くまでこうしてるぞ」
(…だめ、また)
また、溢れそうになる。
「……あなたは、幸せ?」
「?」
「もしも、もしもの話で、このあとも一緒にいられるなら、あなたは幸せ?」
大嫌いだった人間界。
「当たり前だ」
この人と一緒なら、悪くない。
未来が見える能力なんて、どこにもないが。
残された一回を使ってもいいのなら、彼以上はこの先ずっと見つからない。
「幸せなんだよ、ハク。出会えて、良かったんだ」
「っ……だって、僕はなにもしてない…」
「何もって」
「なにも、あなたにあげられない。何もあなたに出来ない」
「……何言ってるんだ?」
助がハクの顔を覗き込む。ハクはもう逸らすことをしなかった。
「いるだけで、いいんだよ。俺は“ばかな人”だから、もし10日を超えて一緒にいられるなら、傍にいてくれるなら、それだけで嬉しいんだ」
こういう人だった。
「ハク、泣いてるのか?」
「泣いてない」
「……そうか」
前と同じことを言われ、同じように返した。
助が頭を撫でてきた。ずっと重ねていたコトハの顔が崩れていく。
もう、出て来ることはないだろう。
助の温もりを感じたまま、少しだけ意識を飛ばしてしまっていたらしい。
はと顔を上げれば、助はハクの背中を一定のリズムで叩いていた。
部屋の電気はついたまま。時刻はもう。
「…離して、いいよ」
「……いや、最後まで、こうしていたい」
コトハのときと同じ言葉を言う勇気は、まだないけれど。
だから、少しだけ軽くさせてもらった。
時計の針が一周する。
一時を回った。
後もう二周。
「最後だから、言うけど。あ、でもやっぱ、傷つけるのかな」
「言って」
「……」
「言ってよ」
「…好きに、なってた」
一定の、リズムで。
時間は過ぎる。存在は消える。
「……ぼくも、かもしれない」
「え……」
残り半周。
「それは」
「…もう、無理みたい」
「ハク!」
「…さよなら」
「ハク、ハク、」
笑い顔を見たいというのなら。
それは自分も同じだ。
その微笑みに、どれだけ救われたことか。
きっと彼は、知らないだろう。
針は回りきる。
助はより強く、ハクを抱きしめた。
痛みを感じ、その心地よさを胸にたずさえたまま。
ハクは今にも泣きそうな声で、最後の頼みごとをする。
「ノート……」
「ノート?」
「忘れないんでしょっ!? 日誌の最後、覚えてたら、み──」
光の中、声を残したまま、ドールは呆気なく助の腕から消えてしまった。
10日が、終わった。
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