10日で愛を、育もう
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数日前、燦々と降っていた雪の気配はどこにもない。晴天と曇天の中間くらい、微妙な空模様から差し込む太陽の陽差しで目覚めた。
「おはよう」
「おはよ」
最後の10日目は目覚めた。
昨日の夜のことが嘘のように午前中は穏やかな時間が流れた。
助の用意した朝食を二人で食べ、洗濯ものを二人で干し、外の木々に水をやり、ハクが眉を潜めた部屋の棚の中も整理して片づけた。
綺麗になった部屋はまるで新居のようで、これから終わりを迎える契約とは対照的だった。
お互い、契約のことは何も口にしなかった。
意識しすぎて逆に正面に出さなかった。今は口にしたくない、そんな気持ちがどこかであった。
「ちょっと電話かけてくるから、先食べてて」
昼ご飯を前に、助は携帯を出してハクの聞こえないところでコールをした。
最初はイトウへかけたのだが、数回鳴らしても出なかったので二人目の番号を起こした。
そちらはすぐに繋がった。
『もしもし、こんにちは』
「こんにちは」
『何かありましたか』
「何かって、わけではないんですけど」
特別な用事などないのに、気分を害してしまうのではと助は懸念したが、イノウエの口調からそのような様子は滲んでない。
『ああそうか、今日で最終日ですね』
「はい」
『どうですか』
「…やっぱり、諦められません」
『…まあ、予想通りですね。実は貴方以外にも、同じようなことを聞いてきた人はいるんですよ』
「えっ」
『過去に何人か、ね。考えることはみな同じです。でも誰も、私の与えたヒントは役立てられなかった』
「……そう、ですか」
つまり誰も、契約を破ることは出来なかった。
『貴方はどうしてパソコンドールを人間にしたいのですか?』
「…彼を、幸せにしたい」
『本当に? 貴方のエゴでなく?』
「イノウエさん」
助はあくまで真面目だがどこか面白がっているようなイノウエの声を制した。
「もう、いいんです。試すような真似は。本当に、心から望んでいるんです。だから、いいんです」
エゴな部分があっても。
それでも、やはり願うことが彼にとっての幸せに繋がる。
それくらいの自信はある。
電話の奥でイノウエが笑う気配がした。
『やはり貴方に期待して間違いでなかった』
どこまで本気なのかは分からない。
『私の残したヒントの意味、分かりましたか?』
「……残念ながら、全く」
『更なるヒント、は無しですよ』
「わかってます。それは俺が見つけることですから。今の気持ちだけ伝えたかったんです。5日目に会ってくれて、ありがとうございました」
『律義ですね』
「それ、多分向こうにも思われいるんじゃないかな」
助は小さく見えるハクの背中に目をやった。
『随分と余裕そうに聞こえますが、本当に手掛かりなしですか?』
「なしです。どんなに考えても、分からない。実は、かなり焦ってるんです。なんか、通り越して逆に普通になってるというか」
『じゃあ少しだけアドバイスを』
「ヒントは無し、じゃ?」
『個人的なアドバイスです』
変わらない気がする、という言葉は飲み込んだ方がいいのだろう。
『伝えないで終わるより、伝えた方がいい。以上です』
「終わるの前提ですか」
『はは。バレてしまいましたか。まあ、頑張って下さい』
「はい。ありがとうございました」
心からの礼の言葉を。会うことは出来ないから、せめて電話越しで。
イノウエとの電話を切った途端、さきほどは繋がらなかったイトウからの着信が入った。
『ふわぁ〜あ。ごめんごめん、寝てたよ』
「君は寝るのか?」
『僕を何だと思ってるんだい』
「少なくとも発明家とは思ってないな」
『失礼な。僕は常に生み出している』
「分かった分かった」
イトウが自称発明家である理由は自分には恐らく永遠に理解できないだろう。
『思ったんだけどさ、君に貸し一つ作ったって、それ自体忘れるんじゃないかな』
「そんなこと……ある、かも、しれないな」
『心外だ。今の内に返してもらおうか』
「何で?」
『……やっぱいいや。今はない』
気を遣ってくれたのだなと、イトウにはバレないように頬を緩めた。
「あのさ、イトウ」
『ああうん、君からの要件ね、なに』
「ありがとう、今までパソコンドールのことで」
『言ったじゃないか。僕の自己満足だ。君は気にしなくていい』
「うん、それでも、ありがとう」
伝えたいことは伝える。
今言われたばかりだった。
『お節介じゃなかったかい? 最初は大分ご立腹だったけど』
「ご立腹っていうか、戸惑っていただけだ。お節介なんかじゃないさ。…出会えて、良かった」
イトウがメモを渡してくれなかったら、何も始まらなかったのだ。
『今世紀最後の別れみたいだ』
「もしかしたら」
『受け入れられるかい?』
「そんなわけないだろ」
『だよね』
イトウには何もかもお見通しなのだろう。全くもって、この友人には頭が上がらない。
『ま、頑張りなさ』
話の切りどころも、分かっている。イトウとはこれ以上話していても無駄だっただろう。最小限を好むイトウらしかった。
「あとは……」
それから助は服と車を貸してくれた友人の元へ電話し、同様に礼を述べた。友人は何だいきなりと怪訝がっていたが、笑って言葉を聞いてくれた。
携帯を閉まってハクの元へ戻ると、大分時間が経っていた。ハクはまだ食べ続けている。
「全部、食べれそうか?」
「わかんない、けど」
「けど?」
「……頑張ってみる」
最後だから。
そう言いたげに、ひたむきだった。
「無理はしなくていい」
「…うん」
「むしろしないでくれ」
「…わかった」
最後三口ほどになったところで、ハクは動きを止めた。
「もうむり」
「後は俺が食べるよ」
助は残りをかき集め、一気に口の中へ流し込む。
「……なんか」
「ん?」
「くやしい」
「なんだそれ」
不機嫌そうなハクの顔が面白かった。
「……あなたが、嫌い」
「……そっか」
「あなたみたいな律義で、お人好しは、嫌い」
ほらやっぱり思われていたと、助は眉を伏せた。
「うん、だから忘れないから」
「嫌なんだよ、あなたみたいなお人好し」
「でも、俺は」
好きだ。
違う、言えない。言っては、よくない。
ハクが続きを促すことはなかった。
「……あ、雨」
ポツリ、と。
ベランダの奥の色が、変わっていた。
曇り空が晴天を支配し、風が高い音を鳴らす。
助とハクが二人でぼんやりと眺めているうち、その中に白が混ざる。
降るより舞うといったほうが正しい、雪が混じる。
空は白い。ハクの肌も、存在も白い。
色づいても、白いまま。
自分はこの白を、どこまで守り切れ、どこまで染められるのだろう。
「…洗濯物」
景色ばかりに気を取られて気付くのが遅れた。助が呟くとハクも目を見開く。顔を見合わせ、すぐに取り込みにかかった。
「少し、ぬれてる」
「しょうがないな。すっかり忘れてた」
ハクが一枚の服に顔を埋めるのを見て、助も顔に服を寄せてみた。
(雨の匂いが……)
「これ」
思ったと同時に、ハクの声が届いた。
「雨の、匂いがする」
「……ああ、うん」
同じ仕草に、同じ感情。
同じ気持ちを抱けたら。
10日後も一緒にいれて、それで幸せを抱けたら──。
「あのさ、ハク」
「なに」
「もしも、契約なんて無くてさ」
言っていいことか、悪いことか。
胸で反芻し、閉じ込めるのはなしにした。
伝えることを伝える。
「10日を超えても、一緒にいられるなら──そしたら、お前は、幸せか?」
ハクは服を一枚一枚カーペットへ降ろした。
助から顔が見えないよう、体を半分回転させた。
「僕が幸せでも、あなたは幸せじゃないよ」
この後に及んで、まだそんなことを。
「ハク、違う。俺は……」
言って、どうなる?
今まで散々、行動で示してきたはずなのに。
何も伝わってない。ハクの不安を取り除くことすら出来ていない。
こんな自分が、果たしてイノウエのように未来を掴めるのか。
「……大丈夫。安心して、忘れて」
こんなことを言わせたいわけではない。
「そろそろ、怒るぞ」
「…なんで? もしもの話でしょ」
「…ハク、頼むから……」
諦めた流し目は、こちらにやって来ない。
「ちゃんと目を見てくれ」
「だから、いいって」
「ハク」
「……あと、少しだね」
もう半日も残されていない。
「チャーハン、作って」
「……夕飯に?」
「うん。最初のと、同じやつ」
ハクがこの家に来てから、一番初めに口にしたチャーハン。あのときはその料理名さえ知らなかったが。
「…分かった」
思えばあのときから、惹かれていた。
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