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10日で愛を、育もう


 誰にも愛されたことはなかった。
 誰にも想われたことはなかった。
 所詮自分はドール。深いページの中に眠る、都合のいいドール。


 いずれ打破する人が訪れる。

 そんな風には、到底思えない。

 人間になれる可能性。機会。チャンス。

 そんなものは不要だと思った。
 だって彼は、忘れてしまったから。

 思った通りに、彼以外の人間たちは手酷くドールを扱った。

 好きなように扱われるのがパソコンドールの役目。
 自分はそれを、果たしているだけ。

 けれど彼を思い返すと、精神は乱れる。彼との10日間の記憶は、どんなきつい暴力よりも心を深く抉る。

 だから封じ込めていたというのに。

(……忘れる)

 結局人間は、彼と同じように自分を忘れてしまう。

 性欲処理の人形である自分を本気で愛する人間など、永遠に訪れない。




 夢に出てきたコトハの顔が、浮かぶ。
 目を覚ましたハクは一人腕で視界を覆った。
 長い夢だった。長くてなまなかでなく。
 
 身体を起き上がらせようとすると腰に痛みが響く。
 けれど我慢できないほどでない。
 我慢出来ないほどになれば、契約の残り日数関係なしに、元の場所に戻っている。

 恐らく自分は今まで何度も死を経験しているのだろう。

 今回だって、このまま更に10日間契約者に暴力をふるわれたり抱かれたりしていたら、耐えきれず消えていただろうが、それとは反対に身体は回復の兆しを見せていた。
 助は殴ることも蹴ることもせず、怒ってすら、いなかった。

 いっそ、消えてしまいたい。
 消えるほど酷く扱われ、予定より早く忘れられればいい。
 どうせ時間一杯、抱かれるだけ、痛みつけられるだけなのなら。
 いつだってそう思ってきた。治療も何も必要ないと。思って、きたのに。

『仕事に行ってくる』

 台まで歩き、契約者の書き置きを見た。
 彼が医者を呼んだ。
 彼が時間を永らえさせた。

 おかゆはまだ温かかった。
 そう、口に含んでみて分かった。





 * * *


「ただいま」

 夕方、助の声が聞こえきて、ハクはぼんやりとしていた意識を部屋に戻した。

「ハク、体はどうだ」
「……普通」
「腕見せて」

 腕を助に差し出すと、助は透明なジェル状のものを、チューブからハクの肌になすりつけた。

「ッ、」

 咄嗟に腕を引こうとしたが、助は離さない。

「冷たかった?」
「ちがくて、」
「早くよくなるためのだから」
「だから、いらないって」
「首も、ほら」

 ハクの言葉など無視して、助は痣の強く残る首筋を辿った。
 拒まなければと警報が鳴るのに、どこかで歯止めがきいていた。
 
「……そんな顔、しないでくれ」

 自分は今、どんな顔をしている?

 ハクは長い睫毛を震わせた。

 一通りまんべんなく塗り終えたあと、助がハクの手を握ってくる。手袋越しなどでなく、直に。


 視線が交差し、見つめ合い。
 胸が疼く。息が、つまってしまうそうで。
 この気持ちは何なのだろう。
 前、買い物に行った後も感じた。
 捉えどころのない甘美な疼きが全身に広がり。



 どんどんどんどん、引きずりこまれていく。

 外から戻って来たばかりの助の手は、ハクよりも冷えていた。

「昨日よりは調子いいか?」
「…うん」
「良かった」

 もっと。
 もっと、触れていたい。

 触れている。体温が伝わってくる。

 なのに、苦しい。
 そんなふうに微笑まれると、どうしていいか分からない。

「……つらい」
「!? どこか痛むか? 気持ち悪い?」
 
 言えばすぐ身を乗り出してきた助に、ハクはふるふると力なく首を左右する。

「わかんない。なんで、なんで……」

 こんな気持ちに。
 
「なんで、あなたといると……」

 握られた手に力を込めて、反対の手で、自分も相手の手を握った。

 こんな汚れた自分の手でも、何かが出来るのなら。
 彼の冷えた手に、体温を移したかった。




『もし、傍にいたい、共に生きていきたいと思う人が現れたのなら』
 
 契約中、夢の中で、何度も何度も繰り返されてきた誰かの声。

『強く強く、望みなさい。けれど、許されるのは二人まで』

 一人目は、もう自分のことを覚えていない。

『あなたが望む、契約者が望む。そうすればいつかあなたのところにも、幸は来る』

 コトハが現れたとき、声の意味が分かった。

 それに続く自分の思いは、コトハとの契約を終えてからずっと同じ。

 有り得ない。
 こんな自分を本気で愛してくれる人など、いるわけがない。
 絶対に、皆忘れる。彼も忘れた。
 そして、きっと。

 彼も、忘れる。

 助の手を、柔らかに振り解いた。



「あなたは、忘れるよ」

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