10日で愛を、育もう
4
誰にも愛されたことはなかった。
誰にも想われたことはなかった。
所詮自分はドール。深いページの中に眠る、都合のいいドール。
いずれ打破する人が訪れる。
そんな風には、到底思えない。
人間になれる可能性。機会。チャンス。
そんなものは不要だと思った。
だって彼は、忘れてしまったから。
思った通りに、彼以外の人間たちは手酷くドールを扱った。
好きなように扱われるのがパソコンドールの役目。
自分はそれを、果たしているだけ。
けれど彼を思い返すと、精神は乱れる。彼との10日間の記憶は、どんなきつい暴力よりも心を深く抉る。
だから封じ込めていたというのに。
(……忘れる)
結局人間は、彼と同じように自分を忘れてしまう。
性欲処理の人形である自分を本気で愛する人間など、永遠に訪れない。
夢に出てきたコトハの顔が、浮かぶ。
目を覚ましたハクは一人腕で視界を覆った。
長い夢だった。長くてなまなかでなく。
身体を起き上がらせようとすると腰に痛みが響く。
けれど我慢できないほどでない。
我慢出来ないほどになれば、契約の残り日数関係なしに、元の場所に戻っている。
恐らく自分は今まで何度も死を経験しているのだろう。
今回だって、このまま更に10日間契約者に暴力をふるわれたり抱かれたりしていたら、耐えきれず消えていただろうが、それとは反対に身体は回復の兆しを見せていた。
助は殴ることも蹴ることもせず、怒ってすら、いなかった。
いっそ、消えてしまいたい。
消えるほど酷く扱われ、予定より早く忘れられればいい。
どうせ時間一杯、抱かれるだけ、痛みつけられるだけなのなら。
いつだってそう思ってきた。治療も何も必要ないと。思って、きたのに。
『仕事に行ってくる』
台まで歩き、契約者の書き置きを見た。
彼が医者を呼んだ。
彼が時間を永らえさせた。
おかゆはまだ温かかった。
そう、口に含んでみて分かった。
* * *
「ただいま」
夕方、助の声が聞こえきて、ハクはぼんやりとしていた意識を部屋に戻した。
「ハク、体はどうだ」
「……普通」
「腕見せて」
腕を助に差し出すと、助は透明なジェル状のものを、チューブからハクの肌になすりつけた。
「ッ、」
咄嗟に腕を引こうとしたが、助は離さない。
「冷たかった?」
「ちがくて、」
「早くよくなるためのだから」
「だから、いらないって」
「首も、ほら」
ハクの言葉など無視して、助は痣の強く残る首筋を辿った。
拒まなければと警報が鳴るのに、どこかで歯止めがきいていた。
「……そんな顔、しないでくれ」
自分は今、どんな顔をしている?
ハクは長い睫毛を震わせた。
一通りまんべんなく塗り終えたあと、助がハクの手を握ってくる。手袋越しなどでなく、直に。
視線が交差し、見つめ合い。
胸が疼く。息が、つまってしまうそうで。
この気持ちは何なのだろう。
前、買い物に行った後も感じた。
捉えどころのない甘美な疼きが全身に広がり。
どんどんどんどん、引きずりこまれていく。
外から戻って来たばかりの助の手は、ハクよりも冷えていた。
「昨日よりは調子いいか?」
「…うん」
「良かった」
もっと。
もっと、触れていたい。
触れている。体温が伝わってくる。
なのに、苦しい。
そんなふうに微笑まれると、どうしていいか分からない。
「……つらい」
「!? どこか痛むか? 気持ち悪い?」
言えばすぐ身を乗り出してきた助に、ハクはふるふると力なく首を左右する。
「わかんない。なんで、なんで……」
こんな気持ちに。
「なんで、あなたといると……」
握られた手に力を込めて、反対の手で、自分も相手の手を握った。
こんな汚れた自分の手でも、何かが出来るのなら。
彼の冷えた手に、体温を移したかった。
『もし、傍にいたい、共に生きていきたいと思う人が現れたのなら』
契約中、夢の中で、何度も何度も繰り返されてきた誰かの声。
『強く強く、望みなさい。けれど、許されるのは二人まで』
一人目は、もう自分のことを覚えていない。
『あなたが望む、契約者が望む。そうすればいつかあなたのところにも、幸は来る』
コトハが現れたとき、声の意味が分かった。
それに続く自分の思いは、コトハとの契約を終えてからずっと同じ。
有り得ない。
こんな自分を本気で愛してくれる人など、いるわけがない。
絶対に、皆忘れる。彼も忘れた。
そして、きっと。
彼も、忘れる。
助の手を、柔らかに振り解いた。
「あなたは、忘れるよ」
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