10日で愛を、育もう
8
助は夕飯を一人で作り一人で食べ終える。
出来たてで温かいはずの料理はどうしてか味気なかった。
少年がいつ目を覚ますか、もしかしたらこのまま永遠に目を覚まさないのではなかろうか。
考えると、つくづく今日の自分の行動の軽率さに頭が痛くなる。
結局、その日ハクが青色の瞳を助に見せることはなかった。
(ダメか……)
このまま待っていたところで明日身体を動かせなかったら本末転倒だ。
日付が変わったところで、助も不安を腹に据えたまま眠りに就くことにした。
(これくらいは……)
棒きれのような手首から続くハクの手だけ、握って。
ベッド上のハクの様子をうかがう体勢のまま、助は意識を闇へ落とさせた。
* * *
夢を見ていた。
夢でなく現実で、現在でなく過去で。
夢を見ていた。
彼は6番目の、10日間契約者だった。
契約者の名前はコトハと言った。
コトハは闇組織の棟梁をしている長身の男だった。
コトハは初日からドールを抱いた。
コトハは料理が趣味だった。
コトハはドールを自分だけのドールにし。
コトハはドールをドールとして扱い切り。
コトハは、ドールを愛でていた。
「ドール、お前は本当に10日で去ってしまうんだな?」
「はい、コトハさん」
毎日毎日繰り返される問い掛け。
応答は肯定。変わりはない。
「お前の髪の毛は柔らかい。まるで人間でない」
「ありがとうございます」
頭を撫でられ。
コトハの低い声は、いつも耳に響いた。
コトハは大概酷かった。
コトハの素性は謎に満ちていた。
何が本当で、何が嘘なのか。
それがドールには分からなかったが。
コトハはそれまでのどんな契約者より荒々しくドールを抱き。
それまでのどんな契約者よりドールに会話を求め。
それまでのどんな契約者より、ドールの心に入ってきた。
だから、ドールは求めた。
けれど、コトハは求めなかった。
6番目の、契約者だった。
暗闇から暗闇に引き戻される。
ハクが目を覚ませば、横には助の顔があった。それがまだ脳裏に鮮やかな夢の中の人物と重なり、二重になってハクに見えた。
「……!?」
ボヤけた世界がだんだんと一本の線にまとまっていく。助の顔も、はっきりとして。
ようやく、ハクは自分が助のベッドの上にいると把握した。
助は布団には寝ておらず、正坐してベッドへ突っ伏していた。
全体に錘を詰め込まれたかのように身体は重たく、動かない。出来て緩慢に首を左右できるくらいだった。
そんな身体の一部で、特別な熱を感じるところがあった。右手だ。
耳の横に折り曲げられている右手は、助の左手で握られていた。
何か動こうという意思もなかったが、それを認めた途端、ハクは思いっきりの力で助の手を振り解く。
すると、その衝動で助は。
「……ん、……──あ、ハクッ!? 起きたのか…!」
耳元で大きな音を出されハクは眉にしわを寄せる。
「良かった…! 良かった……!」
布団の上から、胸部に顔を埋める契約者の声は、くぐもっていたが微熱を帯びたように震えていた。
「は、離れて……!」
そんな助に言うハクの声も、震えていた。
「ハク……?」
寝起きで意識も半分まどろみなのだろう。助の瞳が揺れた。
「…………さわらないで」
助の背後にかつての契約者の姿が投影される。
(僕は、何を……)
意識が突然途切れて、次にはコトハの姿があった。
それまでの記憶はしっかりとある。車で買い物へ行き、帰ってきて。
あのときの自分は、幻に惑わされていた。
軽くなったと思った身体は、今は全然そうでない。重たいままだ。
「ハク、とりあえず、体は大丈夫なんだな?」
助は上半身を起こしハクの顔を覗きこもうとする。ハクは顔を壁に背けた。
(……まやかしだ……)
契約者の優しさなど、存在しない。
この二日間で助に絆されそうになっていた自分がいて、それが酷く気に入らなかった。
契約者のために何かをするのは当たり前だが、契約者に情を抱くことは、絶対、あってはならない。
悪夢が再生されてしまう。
所詮、この契約者も10日後には忘れてしまうのだ。
それが、夢の真実だ。
「……具合悪いなら言ってくれ。起き上がれそうか。まだムリだよな。そうだ、お粥作ったから、温めるな」
言うだけ言って、助は台所へ消えていく。
ハクは顔を上に戻した。
やがて台所から匂いが流れてきて、湯気の上がる器を助が持ってきた。
「そのままでいいから」
ベットの横に座り、スプーンで白濁の塊をすくって息を吹きかけてからハクの口元へ運んでくる。
「口、開けてくれ」
そのままだと頬にぬりつけられそうな勢いだったから、ハクはほんの小さく空間を作った。
流し込まれる固体と液体の中間の物体。
熱さを我慢して飲み込むと、熱がそのまま体内を下っていくのを感じた。今までのようにむせ返りそうにはならない。
「……ごめん、ごめんな」
二口目を入れられ、塩味と熱がぐちゃぐちゃになって口内で混ざっている。
そのうちに水も飲まされて、今度はひんやりと冷たい。若干胸苦しさが消えた。
「無神経だった。ほんとは休ませておくべきだったのに…。もう、無茶はさせないから。ハクも辛かったら、俺に言いたいこと言っていいから」
こんな自分に、何をそんなに顔を歪ませ謝り気負う必要があるのだろう。
この契約者はつくづく解し難い。
助は壁掛け時計をちらりと見上げて、器の中をスプーンでかき混ぜた。
「今日はこれから仕事なんだ。一緒にいてやれないけど……」
「……僕なんかに、気を取られてないで、行って来なよ」
「なるべく早目に戻ってくるな」
言葉の意味が分かっているのだろうか。
「だから、いいよ、気にしなくて」
気にしても、ほしくなかった。
正直なところ、怖かった。
自分がまた、自分を見失ってしまうそうで。
やはりハクは途中で根を上げてしまった。
助の用意した分を食べ切るには程遠いところで「もういい」と胃が限界を告げていた。
それでも食べることには食べた。助は素直に器を取り下げ自分も朝食を腹に詰めていた。
「じゃ、行ってくるな」
出勤の準備をし、起き上がらないハクをいつまでも心配そうに見ながら出て行った。
ドアが閉まりきったところでハクは気抜けする。
助が自分のことで辛そうな表情をするほど、揺らいでしまう。この契約者は、もしかしたらと。
(…ダメ、違う、勘違い)
だから、あんな夢を見たのだろう。
夢なんか見なくてもコトハのことはしっかり焼き付けられていたはずなのに。
パソコンドール、だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
それを忘れるな。
忘れるな、忘れるな、忘れるな。
甘い幻想は、もう抱かない。
そう、あの契約者に忘れられたときに、決めた。
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