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10日で愛を、育もう
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  * * *



 ドラマや映画のワンシーンのようだった。
 ずっと笑わなかったヒロインが、最後の最後で自分の前で頬を綻ばせ。
 そうしてラストシーンへと突入していく。
 一切の曇りなきハッピーエンド。

 自分たちも、そのようだったら、良かった。

 ハクの、笑い顔とも無表情ともつかない、だけど今までのどんなものよりも柔らかみを帯びた表情は、助からすぐに去ってしまう。
 スローモーションで、一コマ一コマを刻みつけられる。

 ハクが、頭から地面へ倒れ込んでいった。

「──…ハ、ハクッ!?」

 僅か一瞬の沈黙の後、助はハクに駆け寄り、力の抜けた身体を抱え上げる。だがドールの反応はない。

 呼吸をしていることだけ分かると、身の芯が解れ溶けていく感じを直に掴んだ。

「っ……!!」

 落とした荷物のことなど歯牙にかけれなかった。
 助はハクをおぶって一心不乱に階段を上り、自室へとなだれ込む。
 そのままベッドへ彼を優しく横たわせた。

 ハクの額に、前髪で隠れていたバーコードが姿を現した。

(……大丈夫だ、ちゃんと息はしている……)




 助は顔をなるべくに近づけ、幾度もハクの息を確認した。

「ハク……」

 ただ疲労によって意識を失っているだけだと信じたかった。
 保険証もなければ正確な名前さえない。
 この少年には、存在の証を形として示せるものが、何一つとしてないのだ。

「…………ぁあ」

 うめき声ともつかぬものが漏洩した。
 ハクからマフラーを、刺激を多く与えぬよう解いていくと、細い首筋と赤い痕が助の目に入った。
 予測出来たはずだ。まだ傷も完全に癒えてなくて、食べ物もロクに食べられないハクを連れ回せばどうなるか。
 刺激も多かったろう。

「馬鹿か俺は……」

 10日間、出来るだけ近くにいたいと思った。
 多くものものを与えて、多くのものを感じさせて、こんな世界もあるんだと知ってほしかった。そして何より助自身が一緒にいたいと感じた。
 たとえ、忘れてしまっても。
 ハクが忘れるわけじゃない。ハクには、助の記憶がいつまでも残っている。

 パスワードを入力したときから、自分はこの少年に囚われてしまったのだ。

 ハクの髪の毛を指に絡ませる。
 素直なそれはすぐに助の指から滑っていく。

 ハクが目を覚ます様子は一向にない。深い眠りに落ちているのだろう。呼吸は規則正しい。

 助はハクに毛布を丁寧に被せてやり、ハクの頭を撫でてから寝床より離れた。

 今ハクを一人にするのは芳しくないが、やることは山積している。後回しにするほどよくない。


 助は部屋の暖房を入れてから外に出て、落とした荷物を回収し、全ての荷物を部屋へ運び終えたら、車を借りた友人の家へ返しにいこうとした。
 しかしいざ出発しようというときに着信が入る。

 イトウからだった。

『やあ、もしもし今大丈夫かい』
「なるべく手短に頼む」
『君今車持ってるかい。持ってるだろう。その車、明後日に使うことになるかも。うん、多分。だからね、まだ持っていた方がイイかも』
「……詳しい話を頼む」
『手短に、でしょ? とりあえず明後日だね、明後日なら大丈夫。明後日、その車で家に来なよ』
「仕事だ」
『次の日でもいいよ。とにかく暇が出来たらね、来た方がね、いいよ。この前の君の質問にも答えられるか』

 そこまでのイトウの声で通話をブチ切りされた。助の耳には無機質な音が残るだけだった。



 助は諦めて携帯を閉じた。

「……あの癖、なんとかならないものかな」

 イトウはいつも自分が喋る最中に通話を切ってしまう。気分屋どころの話じゃない。
 助は最初何の冗談かと疑ってしまったが、付き合いの長い今では溜息も出てこない。

 明後日は仕事だが、その翌日はフリーだ。
 そのときにイトウのところへ行こうと助は予定を組み立てる。

(車使うって……遠出でもさせられるのか。でも、この車は今日返すって伝えたしな)

 助はとりあえず本日のところは車を返しに、マンションからそう離れない、大学の同期だった友人の元へ向かった。



 結果として、助の組み立てた予想はすぐに壊れてしまうことになった。

「明々後日はダメだなあ。車使いたいんだ」

 明々後日も貸してほしい旨を伝えると、友人は申し訳なさそうに答える。そう上手くいかないものだ。

「いつなら大丈夫かな」

 玄関で男二人が立ち話。もう大分日が暮れてきている。何よりハクのことが気になって、助は落胆の色も見せず簡潔に切りだした。

「とりあえず明後日以降なんだろ? なら明後日だな。その日は多分車なくても困らない」
「…んー、じゃあ明後日の朝、また取りに来てもいいか」
「オーケー、待ってるよ」
「悪いな、ありがとう」
「助からの頼みなんて珍しいからな。いーよいーよ」

 大学では同学年だが、友人は助より二歳年上だった。年若くしながら結婚し、子供もいる。
 自分とはえらい違いの友人の快い返事に感謝しながら、助はマンションへ徒歩で戻った。
 予定は崩れたが、仕方がないと割り切った。明後日仕事帰りに行くしかないだろう。

「どうでもいいことだったら承知しないぞ…」

 手短にと言ったら本当に手短に呼びだしたイトウへ、届くわけもない声を吐き出し、助は部屋の扉を開ける。
 ハクは変わらず眠ったままだった。出ていく前と寸分も位置を動いていない。

 助はハクの様子を気にしながら、今日買ったばかりのパソコンのセッティングを始めた。
 ハクの前で真新しいパソコンを弄るのは、何だか妙な気分だった。



 ネット回線を繋げ終えたら、もう大分夜が更けていた。

 そろそろ夕飯の支度をしなければならない。

(一応、お粥も作っておくか)

 ハクは昼も食べていない。最もそれは助も一緒だが、ハクのことを思えば自分の空腹など何でもないようだった。

 台所に立つ前に、目に入った植木鉢を窓際へ移動させる。
 サイネリアは室内に、スノードロップの茎はベランダへ。

 何もない部屋だが、こうして花を置いておくと少しは色が添えられて見える。
 最近はご無沙汰だったが、ハクが来たからだろうか、急にそれがほしくなっていた。

 たまたま自分の元へ来たスノードロップを助は見つめる。

 春の訪れを告げる花。

 さきほどネットで調べてみると、店主の言葉通り、真白で小さな写真が出てきた。
 決して主張はしない、けれど眩しく美しい様相だった。

『小さい花で下をうつむいて咲くけどね、雪が似合う花だ』

(ああ、そうだ…)

 何か感じるものがあると思ったら。

(まるで、ハクじゃないか)

 でも自分は、スノードロップが咲いたとき、その花びらを見ても、ハクを思い出すことは出来ないだろう。

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