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10日で愛を、育もう
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 だけれど。

 ハクは契約者の横顔を仰ぎ見る。
 もう分かっている。この助が初日に言ったことは恐らく本当だ。
本当に、自分を抱く気がない。どんな契約者とも、彼は違う。

 だったら、この10日間で、抱こうとしない契約者に果たして自分は何が出来るのだろうか?
 記憶に残らない10日を、この契約者と一体どう過ごせばいいのか。
 
(何もない…)

 飽くだけ抱かれて、満足させるだけだった。



「終わりだ。車に戻ろう」

 会計を終え、助は両手を服と食料品とで塞いでいた。
 彼が握るビニール袋の一片を、ハクが掴んだ。
 
「? どうした」
「……」
「──あ、持って、くれるのか?」
「……」

 助が尋ねてきてもハクは反応しない。
 何を言ったらいいか、よく分からなかった。ほとんど衝動的に、掴んでいた。

「…うん、じゃ、一緒に持とうか」

 助は頷いて、持ち手の半分をハクに託してきた。重さを分け合って、その重さを噛み締めながら、ハクは駐車場まで歩いた。




「あっ、…っと、忘れてた」

 車に二人が乗り込み、車体が進み始めた後で助が声をあげた。
 何事かとハクが横を見ると、頭を掻く助と目が合った。

「えっと、あそこでいいかな…。ごめん、もう一件、行くところがある」

 二人の買い物の時間が少し伸びることになった。

 車は大通りを途中で左折し、狭い通りへ入って行く。
 暗くなった一本道の先、景観が晴れた場所に小さな店が佇んでいた。

 出入口周辺では赤やピンク、いろとりどりの植物が日の光を浴びていて、それらの列は狭い店の奥までずっと続く。
 冬の花屋は寒さに負けず、花の鮮やかな色で賑わっていた。
 といっても、助とハクの他に客はない。
 エプロンをつけた店主は奥で本を両手に顔を垂れ下げていた。

「こんにちは」

 初老に近い彼がまるで置物のように見えたから、助の声掛けに店主がのそりと立ち上がったとき、ハクは思わず後ずさりしそうになった。

「…何か用かい」

 深い塩辛声にハクは目をぱちくりさせる。

「今の時期長持ちするものを」

「胡蝶蘭があるね」

「時期じゃないだろう」

「根気良く育てれば冬越えもするさね。お気に召さなければ、サイネリアかねえ、夏には枯れてしまうけど」

「じゃあその鉢植えを」

 店主の言葉に助はてきぱきと決めていく。

「何色がいいかね。いろいろあるよ」

「白がいいな」

「おや、めずらしいねえ、いつももっと明るい色を選ぶのに。白といえばどうだい、まだ咲いていないが、スノードロップがあるよ」

「スノードロップ?」

 そのような花は知らないのか、助の声色があがった。

「小さい花で下をうつむいて咲くけどね、雪が似合う花だ。今年はなかなか上手く咲きそうだから、商品にしようかと思ったけど、いいよ、オマケだ。日当たりのいい場所に置いてやってくれ」

 店主は奥からまだ蕾もなっていない茎のある植木鉢を持ってきた。

「いつ頃咲くんだ?」

「冬の終わりだよ。冬の終わりに春の始まりを告げるんさ。寒さにじっくり耐える。中々根性のある花だ。ああ、贈り物には駄目だが」

「何故?」

 店主は立派な髭を上下させた。

「“あなたの死を望む”──そういう意味に変わってしまうからさ。それさえしなければ、いい花だよ」









 “大事に育ててやってくれ”──そう言い残され、植木鉢を一つずつ持って、助とハクは車に乗り込んだ。

「今度こそ終わりだ。家に帰ろう」

 もう終わりかとも、ようやく終わったとも。
 どっちもそうであるようで、そうでない。そんな曖昧な感じがハクを包みこんでいた。
 とても眠たくなっていた。車のシートは心地好いとは言えないが緩く体を揺られる感覚に瞼は重くなる。
 花の香りが後ろの座席から流れて鼻孔をくすぐった。


 車が進む内、まどろみの中、ハクはまた無意識に声を出し沈黙を破っていた。

「……なにを、すればいい」
「……ハク?」
「なにを、すれば、あなたは満足するの」

 契約者の、望む通りに。
 それが、パソコンドールの役目。しかし助は抱かない。

 買い物に付き合わされ、いろいろ歩かせられて、変だ変だとは思っても、不快感は薄かった。嫌ではなかった。

(……この感じは、なんだろう……)

 疲労とも眠気とも違う、柔らかくて小さなものが、ハクの心に膜を張っていた。


「……痛くなくなって、くれるか」
「痛く……?」
「今、傷がまだ残っていて、痛いだろ」

 助が言葉を返すうちに、車は止まった。
 マンションに戻ってきたのだ。ハクは促されるままに車を降りる。頭が鉛のように重たかった。

「それをなくしてほしいいんだ。健康になって、それで──」

 助は車の後部から荷物の一部を取り出し、とりあえずそれだけを持って。
 それからハクの方を見て、まっすぐ告げた。

「俺の作ったチャーハンとか、完食してほしいな」
「なに、それ……」

 力が抜けてしまった。
 自分の五体満足、それがこの契約者の望むことだと分かると、やはりこの契約者は底抜けの変人だと思った。

(変なの、変なの……)

 心に張り付いたものが剥がれていく。
 この契約者は──変人。
 変人だけど、自分を玩具にしたりはしない。

 ハクの、心にあった重みがスッと取れていくような気がした。ついでに頭も足も、何もかもが軽くなる。




 次の瞬間。
 今までにない動きを、表情が作り出した。
 固くなって動かなかった筋肉が、微弱に動いていく。

 もうずっと成していなかった表情を、でもやはりそれはまだ、ぎこちなくて。

ハク自身は、自分が今何をしているのかいまいち自覚がなかった。


(…………この、気持ちは……)


 眠気のようなものが、押し寄せてくる。
 そう、半日歩いて、知らない世界を見て、疲れてしまっていた。
 前に進もうと、契約者の隣に行こうとするのに、足は持ち上がらない。


 契約者の顔は、だんだん霧がかっていき。

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