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10日で愛を、育もう
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 ハク自身も分かってなかったが、それは、前に助が怒ったのが未だハクの頭に残っていたからであった。

 与えるなと言ったところで聞き入れてくれる相手でない。
 むしろ、そんなふうに言うハクを叱る。

 それを、ハクもこの二日間でよく分かっていた。

 分かろうとしたというよりは、助の行動一つ一つが嘘でないと語りかけてきて、疑うことを許さなかったのだ。

「そ、そうだよな……。悪い。配慮が足りなかった。今度からお粥とか作るな。あ、だったら今作るか?」

 お腹空いているだろうと尋ねられたが、空腹の感覚はハクと常に時を共にし、それはハクにとって既に苦痛の意味を持っていない。

 それに、何かを入れられるようなスペースはもうないような気がした。

「今はいいよ」
「なら、買い物に行こう」

 は、と思わず聞き返してしまいそうになった。
 台所で背を向けていた助が戻る。
 同時にそれまで緩んでいたハクの表情も険しいものに戻った。

「……イヤだって、昨日言ったんだけど」
「ダメだ。一緒に行こう」
「ウザいって言ったよね」
「ウザくても」




 助はハクへ手を伸ばしてくる。
 背筋を伸ばして座るハクは助を見上げた。

「ウザくても、いいから。一緒に行こう。一緒にいよう、行くんだ」

 昨日では、結局夜まで話題を持ち出してきたものの、強情に拒むハクに苦々しく諦めたそぶりだったのに。
 今、助は意地なほど強い口調でハクをいざなう。

 直線に伸ばされた腕から、昨晩とは違う、助の頑なな意思が伝ってきた。

(拒めない……)



 外に出るのはイヤだ。


 出たら、次なる「相手」が待っているから。

 一日で何十人をも相手にする可能性も、特定の誰かに契約者の代わりとして扱われる可能性も。
 さまざまな暗闇が、そこには待ち構えているから。

 それでも、ここで逆らってはいけないという本能がハクに働いた。

「……了解しました」

 敢えていつも契約者に了承するように言ってみると、その返事は彼に噛み合わぬものだと分かってしまった。


 助の腕を取らずに自ら立ちあがった。
 
「敬語はやめてくれ。何だか、よそよそしい感じがする」

 ゆるやかに微笑む契約者へどう接すればいいのか、ハクにはだんだん分からなくなっていた。



 ジーンズは窮屈だったが、白のタートルネックはいつもの来ている服とそう変わらない。
 助が用意した服にハクは寸分たがわす収まった。
 
 着替え中、助はハクへ目をよこさなかった。恐らく、わざと見ないようにしていたのだろう。

 助は箪笥から真っ赤なマフラーを取り出し、ハクの足元へ置いてくる。
 長い布を巻きつける人間を目にしたことはある。自分で巻いたことも、一度だけ。

 ハクは赤い斑点が落ちる首を、同じく赤いウールで隠した。

「……むずむずする」
「それで完全に首元が隠れるから、少し我慢してくれ。 あ、あった。手袋、少し大きいかもしれないけど」

 言われて渡されたそれは、はめてみると確かに大きかった。骨の筋が見える手首には袖口が緩く、空気が入ってくる。

「いいな、じゃあ、行こう」

(ほんとに、一緒に連れていく気なんだ)

 こんな面倒なことまでして、一体助はどういう気持ちで今ハクの手を握っているのだろうか。




 握られた手は手袋越しで、直接の体温は伝ってこない。

 振りはらうことはしなかった。
 振りはらえ危険だと、平生そう主張するハクの心が、鳴りを潜める。

 慣れ慣れしくする必要はない。
 所詮パソコンドールと契約者の関係など、玩具と使用者、消耗される側とする側。
 解り合うことも立場がイーブンになることもない。反対で、そして常に一方的な関係。

 しかしハクは、今の自分と助との関係は何なのか確言出来ないでいた。
 パソコンドールと契約者に変わりはない。
 だが玩具と使用者でもない。

 生活を共にするのは、同居人。
 ただの、共存者同士だ。


(感触が──)

 手にある重み。助の掌が自分の五本の指を丸ごと包み込み、身体をひっぱっていく。

(ぬるい……)

 人間の手は、こんなにも優しいものだったかと、思わず錯覚してしまいそうだった。

 人間の手が優しいのでない。
 助の手が、優しいのだ。

 けれど少し考えれば分かるその事実に、ハク自身は辿り着いていなかった。

 踏み入って考えるのを、避けている。
 それにすら、目を背けていた。


 二人が玄関に至るところで、ハクの足取りは次第に重くなっていく。
 助が靴を履く前に、一度立ち止まる。

 繋がれていた手が解かれ、相手の手はそのままハクの頭に乗った。
 そうして軽く、本当に軽く、頂点を二回跳ねる。

「大丈夫。ただの買い物だから」

 ハクを振り返りはせず、背中で言った。
 
(……! この人、気付いてる)

 かつての契約者が自分を回したこと、それで自分が警戒していること、直接的な表現はしないにしてもそれら何もかもを知っていなければ、今みたいな言葉は出てこない。
 何も分かっていないと思っていたのに、そこまで自分を感知されていたなんてと、ハクは意表を突かれた。

 そこで助が振り向き、先程と変わらぬ笑みで「この靴、履いて」と若干薄汚れたスニーカーを指差す。

 言われた通りにハクは足を通し。

 助によって開かれた扉をくぐり、外へ一歩踏み出した。





 階段を下り、表に出ると年季の入った軽自動車が二人を待っていた。

「助手席に乗った方がいいな」

 何が良いのかはよく分からないが、ハクはまた助に開かれたドアから助手席へ乗り込み、シートベルトを付ける。

「そういう知識はあるんだ」
「馬鹿にしないで」
「してないよ」

 言うこと一つ一つが癪に障るように、ハクは鋭い目つきを作る。
 助はそのハクが言うこと一つ一つへ、実に実直に応答する。

「あんまり遠くじゃない。いろいろ梯子はするけど」

 助はアクセルをふみ、二人の乗る車を発進させた。
 周囲の景色が窓の外に流れていく。

「この車、あなたの?」
「いや、人からの借り物だけど、どうして?」
「……あなたの匂いがしない」

 常に契約者の機嫌を伺ってきたハクは、相手の微妙な表情や、その場の空気にきわめて敏感であった。
 この車へ頭を入れたより、すぐに別の雰囲気を感じた。

「そ、そうか……」

 何故かつっかえる助の声をハクは不思議に思ったが、そのわけは推し量れなかった。

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