この夜が死ぬまで



目の前で微かに揺れる金に手を伸ばす。糸のような金は指からさらりと零れ、一定のリズムを刻んでいる小さな吐息が耳に届いた。
「……マツバ、」
思わず口から金糸の様に零れたのは、目の前で心地好さそうに吐息を立てて眠っている人物ではなく、恋い焦がれる男の名だった。
「……すまない、」
聞こえる筈の無い謝罪が口から漏れた。自分は何て最低な事をしたのか。自分は、この男を利用したのだ。
幼い頃から夢見、追い続けていた北風の化身は、自分を選んでくれなかった。心の底から愛しいと思う人も、自分だけを見てはくれない。
(どうしたんですか、ミナキさん)
そして、自分はこの子を利用したのだった。
昔から、この子が自分を見ていた事には気付いていた。その目が、自分が彼を見つめる時の目にとても似ていたという事にも。この子の想いを知っていながら、気付いていながら、私はこの子を抱いたのだ。愛しい人の弟である、この子を。
少年と呼ぶには年を取り過ぎた。青年と呼ぶにはまだ若過ぎる。自分は、そんな彼の純粋な想いを利用したのだ。しかしこの子を一番傷付けたのは、この扱いなのかもしれない。彼を子供扱いして、彼の想いを踏みにじって。彼が彼なりに、一生懸命自分の事を想っていたのは解っていたのに。解っていた筈なのに、だ。
「げん、げんが、」
後ろから、楽しそうな笑い声が聴こえた。ゆっくり振り向くと、愛しい彼のパートナーが此方を見て笑っていた。コイツが居るという事は、きっと。
「居るんだろう、マツバ。」
きぃ、と音をたててゆっくりと扉が開いた。一筋の光と共に暗い部屋にもう一つ金が現れる。
「何だ、バレちゃってたんだ。」
「何時から其処に?」
「今来た所だよ。」
彼が扉を閉めると、また室内が薄暗くなった。
「ゲンガー、先に戻ってていいよ。」
「げんが、」
す、とゲンガーの姿が薄れ、気配が消えた。
ゆっくりと、私の隣に人一人分空けて腰を下ろす。私達の後ろには、産まれたままの姿で吐息をたてて眠っている彼の弟がいる。下半身だけ服を纏いベッドに腰を下ろす自分と、服装に一切の乱れも無い彼。異様な空間だった。
「……可哀想なミナキくん。」
「……可哀想?私が?」
静寂を破ったのはマツバの言葉だった。だが私はその言葉を上手く理解出来ない。可哀想なのは大切な想いを踏みにじられたお前の弟か大切な弟を汚されたお前だろう。
「そうだよ。僕達も可哀想だけど、一番可哀想なのはミナキくんだ。」
そう言うマツバの顔は、言葉とは裏腹に至極楽しそうだった。
「ずっと夢見て追い続けていたスイクンも子供なんかに捕らえられて。僕の事が大好きなのに僕にはちっとも自分の事を見てもらえなくて。代わりに僕の弟を抱いて自分を尊敬し好いてくれていた人を失ってまでして君が手に入れたものなんて、虚無感と罪悪感くらいじゃないか。」
流暢に吐き出された彼の言葉に、何も返事をする事は出来なかった。
「……気付いていたのか……」
「勿論。」
ふふ、と彼が楽しそうに笑った。この男は気付いていたのだ。ずっと私が見ていた事を。ずっと私が想っていた事を。知っていて知らない顔をしていたのだ。顔に熱が集まるのが解った。怒り、羞恥、沢山の感情が溢れてくる。
「知ってたよ。ミナキくんが僕の事を好きだって。知ってて知らないふりをしていたんだ。」
「何故……」
「だって、僕が欲しいものも、僕にとって大切なものも、もう決まってるんだもの。ミナキくんからの想いは僕にとって必要なものでは無いんだ。」
そう言ってマツバは優しくナマエの頬を撫でた。その顔はとても優しく慈愛に満ちている。不本意ながらもその表情に胸が高鳴ってしまった。
「でもそれがこんな事になるなんて……」
整った眉が悲しそうにハの字に下げられた。
「……可哀想なミナキくん。」
哀れむ様な目で見つめられ、さっきのマツバの言葉が脳内に蘇った。
そうだ、自分はなんて哀れな男なんだ。夢を子供に奪われ、愛しい人に見てもらえる事もなく、自分を慕ってくれる人まで失ってしまった。しかし、だからと言って私がした事は許される事ではない。夢が叶わなかったのは私の力不足で、慕ってくれていた子を失ったのも私が傷付けたからだ。そうだ、全て私の所為だった。そもそもこんな穢れた私が、
「スイクンに選ばれる筈が無かったんだよ。」
彼の千里眼は人の心を読む事も出来るのだろうか。紫苑の瞳に捕らえられて視線を逸らす事が出来ない。
「可哀想なミナキくん。……でも、」
ナマエの頬を撫でていたマツバの左手がいつの間にか私の右頬に触れていた。優しく頬を撫でられ、ぞくりと鳥肌が立つ。
「そんな可哀想だけど頑張ったミナキくんに、何かご褒美をあげるよ。」
「ご褒美……?」
「うん。」
ゆっくりと頬を撫でる指先は驚く程滑らかで美しい。
「僕に触れていいよ。好きなだけ、好きなように。夜が明けるまでならね。」
甘い声で囁かれたその言葉は、じわじわと私の脳を侵していった。
夢の様な言葉だった。私は今ずっと焦がれていた人に触れる事を許されたのだ。呼吸が荒くなり、心臓が脈打つ速度がぐっと速くなる。ゆっくりと私の右手が無意識の内に上がって行く。脳が上手く回転しない。此処は何処だ。私は何をしようとしている。私の目の前で微笑んでいるのは、私の後ろで寝息を立てているのは誰だ。
「……ミナキくん?」
私の右手は無意識の内にマツバの左頬に触れていた。その手は意識しても吸い付いてしまったかの様に彼の頬から離れようとしない。
不意に世界が滲み始めた。ぼやけた視界の向こうで紫苑と金が揺れる。
「……ミナキくん、泣いてるの?」
マツバのその言葉で初めて自分が泣いている事に気付いた。改めて自分がした行為の愚かさに気付き涙が出たのだった。
自分は、何という人に好意を抱いていたのだろうか。烏滸(おこ)がましい話だ。彼はこんなにも美しく、まるで宝石の様だった。肌は白蝶貝の内面、瞳は紫水晶。髪は金箔を絹糸の周囲に縒りつけて作った金糸だ。こんな美しい存在の彼に自分の事を見てもらおうだなんて、身の程知らずも甚だしい。
私の後ろで眠るこの子も、いずれ彼の様に輝く筈だったのだ。肌は白蝶貝の中で生み出される真珠となり、紫石英の瞳もいつか水晶の様に輝いて。金の髪も今よりもずっと美しく輝くのだろう。
私が、居なければ。
嗚呼、私がこの子に触れさえしなければ、この子だって彼の様に輝く存在になれただろうに。
「……すまない、」
原石に傷を付けた罪が、こんな謝罪一つで償えるとは思っていない。それでも言わずにはいられなかった。こうして謝罪している今も、私の右手は彼の頬から離れない。
そうしてどれだけの時間が経ったのだろうか。窓を覆うカーテンの隙間から、眩しい光が挿し込み始めた。右手から彼の肌の感覚が消える。
「……夜が明けちゃったね。もうこれから先、僕にもナマエにも、指一本触れないでね。」
優しく微笑む彼の笑顔が朝日に照らされ、恐ろしい程美しく輝いていた。
「大丈夫だよミナキくん、僕達はずっと友達だから。」













この夜がぬまで







主→ミナキ→マツバ→主の無限ループ。
これだけ主人公が空気な夢小説は知りません。向いてないのでしょうか。笑
今更何の説得力もありませんが25はミナマツが大好きです。



20100316
25

title:joy


















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