大切なふたり





「権現とな、付き合ってるらしいんだ」
「……は?」
唐突に幼馴染みから突き付けられた言葉。確か、今日は部活の放課後練習の無い日なので早々に帰宅しようと立ち上がった瞬間、私の一つ前の席に座っていた官兵衛が慌てて私の腕を掴んだのだった。“話があるから聞いて欲しい”と。
「……誰の話だ、」
「小生の話に決まっているだろう」
「…それなら何故“らしい”と他人事なんだ」
「………じ、実感が無いというか……」
そう言って官兵衛は少し俯き頬を赤らめた。思わず身体から力が抜け席に座り込んだ。
「…何故そんな事を一々私に言う」
「……そりゃあ、何となく言っておきたかったんだよ。お前さんは、」
小生の幼馴染みなんだから。その言葉に、ゆっくりと瞼を下ろした。



家が隣同士だった私と官兵衛は、物心付いた時から傍に居た。
幼稚園に通う前からずっと一緒で、小学校も中学も高校も同じ学校だった。友人と言うには軽い。最早家族同然で、傍に居るのが当たり前だと思っていた。
「…私は、貴様を幼馴染みだなどと思った事は無い」
長い前髪に隠れている目をしっかりと見つめてそう言うと、一瞬官兵衛の顔から笑みが消えた。しかしまた直ぐに口端を上げて呟く。
「……手厳しいな、」
貴様の事など貴様以上に知っている。今だって本当は傷付いている癖に無理矢理笑みを浮かべ我慢しているのだろう。官兵衛という女はそういう奴だった。幼い頃から他人に馬鹿にされても揶揄われても決して涙を流すことは無く、じっと耐えるか笑い飛ばしてばかりいた。私はそれが不快で仕方なく、官兵衛を馬鹿にした奴を片っ端から力ずくで黙らせていたのだった。
「…本当の事だ」
左肘を机に付きもう一度ゆっくりと瞼を下ろす。
皆から権現と呼ばれる男、徳川家康は、高校から知り合った男だった。男からも女からも教師からも慕われ、友人も多く成績も運動神経も良い男。欠点といえば女遊びが少々過ぎる事くらいだった。私はこの男がどうしても気に喰わなくて、事ある毎に突っ掛かっていた。
それが、まさか。
「…そうか、」
何故奴だった。何故官兵衛だった。何故。何故、
何故私はこんなにも不快なんだ。
(…嗚呼、そうか)
もっと早く気付けていれば。そうでなければいっそ一生気付かずにいられたならば良かった。まさか、まさか奴に気付かされる羽目になるとは。
「…幼馴染みだなどと、思った事は一度も無い」
先程とほぼ同じ言葉をなぞる。しかし今度はつまらない意地でも嘘でも無い、本心だった。
何時からかは分からない。初めからそうだったのかもしれない。
(好きだ、)
いっそ気付かなければ良かった。今更気付いても全て遅い。
(本当に?)
未だ、未だ間に合うのでは。私の方が、あんな奴よりもずっと此奴の事を知っている。私の方が、あんな男よりもずっと昔から此奴を見ていた。私の方が…………。
その時、校庭から複数の男の笑い声が聞こえてきた。瞼を上げて視線を窓に向けると、数人の男子生徒が制服のまま校庭でサッカーをしていた。その中にあの男の姿を見つけると、無意識の内に眉を顰(ひそ)める自分に気付いた。ちらりと目線を校庭から目の前の奴に移す。
「!」
そして、直ぐにその行動を後悔した。私と同じように校庭に目をやっていた、官兵衛の、その横顔。
(見なければ良かった、)
それで全てを察してしまった。
顔を見れば何を考えているかは大体分かるし、官兵衛の事ならば、官兵衛自身よりも知っている。誕生日、好きな色、好きな食べ物に嫌いな食べ物、得意な教科に苦手な教科、好きな芸能人、今まで好きになった男の名前。
それでも、
「官兵衛!」

(それでも、あの男の方が良いのか)

「ど、どうした権現、」
官兵衛の名を呼ぶ声が聞こえたと同時に教室の扉が勢いよく開いたと思い振り向くと、教室の出入口にあの男が立っていた。人懐っこい犬のようなだらしのない笑みを浮かべ、相当急いで走って来たのか息を切らせている。
「官兵衛と三成が居るのが見えたから、一緒に帰ろうと思ってな!」
「態々迎えに来てくれたのか、すまんな。三成はどうする?」
嬉しそうに此方を振り返る官兵衛。そんな官兵衛に目を合わせることなく、再び肘を付き窓の外へと視線を投げた。
「誰が貴様らとなどと帰るか。勝手に帰れ」
「…そうか、じゃあまた明日な。」
荷物を持ち椅子から立ち上がる音が聴こえたと思うと、そのまま官兵衛が歩き始めようとしないので疑問に思い眉間に皺を寄せながら視線を上げた。
「……どうした、」
「…えーっと、」
「何だ、言いたい事があるならさっさと言え。」
「……三成が小生のことをどう思っていても、小生はお前さんのことを大切な幼馴染み、というか、家族だと思ってるよ。」
じゃあな、と微笑みながら別れの言葉を最後に添えると、官兵衛は扉の方へと歩を運んだ。(“あの男の元へ”、など死んでも言ってやるものか)
じゃあな、三成。そう言った男の声がやけに遠くから聴こえた気がした。



「やれやれ、このような所でこのような時間まで、一人で何をしているのやら。」
「……刑部か、」
何をするでもなく自分の机をぼんやりと眺めていると、数少ない、否、唯一と言っても過言ではない友人に声を掛けられた。視線は動かさずにそのまま呼び慣れた名を呼ぶ。
「とっくに日も傾き教室はぬし一人よ。どうした、ぬしがただ座って呆けているなど珍しい」
椅子と床の擦れる音がして、刑部が目の前の席に座ったと分かる。
「…何も無い。」
ただ、頭からさっきの官兵衛の言葉が離れず、どうしても動けないのだった。
大切な幼馴染み。家族。その言葉が私にとってどれほど掛け替えが無く、どれほど絶望を与える言葉であろうか。
「家族同然というのも辛いモノよなァ」
「……見ていたのか聞いていたのか心を読んだのか何れだ」
「最後の選択肢は最早われをヒトと思っておらぬな」
軽く舌打ちをして荷物を掴み立ち上がる。教室は既に私と刑部の二人になっており、窓から射し込む光は赤へと色を変えていた。
「帰るか?」
「ああ。」
「三成、」
名前を呼ばれ振り返ると、刑部はやれやれと溜め息を漏らしながらゆっくりと立ち上がった。
「家族は死ぬまで家族よ。良くも悪くも、な」
「…………そうだな、」
少しだけ口の端を上げ、静かな教室を後にする。
「……万が一あれを泣かせたならば、切り刻んで塵にして校庭に撒いてやる」
「それはそれは、優しいなァ」
「あれを苛めて良いのも泣かせて良いのも、この世で私ただ一人だけだからな」
「ヒッヒ、さようか」
刑部の笑い声だけが耳に届く静かな廊下を歩きながら考えを巡らせる。
結局、この感情を恋と呼ぶのかは解らない。ただあの男にあれを取られるのが酷く面白くなくて、不快で、何と言えば良いのだろう、
「…ああ、そうか、」
ただ、寂しかったのだ。
しかし、帰路に就く今の自分の胸にそんな感情はほとんど残っていなかった。そんな自分が何だかくすぐったく、けれど何処か少しだけ誇らしくも感じて、無意識の内に歩みを速めていた。





















「おはよう三成、今日も良い天気だな!」
「しかしやはり貴様は気に喰わんさっさと別れてしまえ!!」













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あきゅろす。
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