アポリアと孤独



「其処を退きなさい。」
眉間にぐっと皺を寄せ、眉を吊り上げて此方を睨むアポロ。普段ならその表情や気迫に恐怖を感じ大抵の人間は男の言葉に従うのだろうが、今俺の目前にいる男からは何の威厳も感じられなかった。
「そんな真っ赤な顔して睨んでも何も怖くねーよ。」
今日最初に顔を合わせた目の前の男の顔を見た時はそりゃ大層驚いた。顔を真っ赤にし平行感覚も失いふらふらとアジト内を歩く姿は誰がどう見ても異常だと思っただろう。思った通り無理矢理足止めさせアポロの額に手を当てると、通常の人間の平均とは思えない程高い熱を感じた。今は漸く此奴を自室に押し込んだので何とかしてベッドで寝かせようとしている所だった。
「ま、だ仕事が残ってるんです。早く其処を退きなさい…!」
「ほらふらふらじゃねーか、大人しく寝ろよ」
扉の前に立ちドガースを俺の両隣に漂わせる。お前らが睡眠ガスとか出せたら楽なんだけどなあ。
「っ、意地でも、退かないつもりですね……ヘルガー!」
赤い光がアポロの手から放たれ、アポロの一番のパートナーであるヘルガーが姿を現した。
「ヘルガー、ラムダのドガースを……ヘルガー?」
ヘルガーの様子がおかしい。いつもなら歯を剥き出しにして今にも敵に飛び掛かりそうな恐ろしい顔をしているというのに、今のヘルガーは目尻を悲しそうに下げアポロのズボンを控え目にくいと引っ張っていた。
「ヘルガー、何を……」
「心配してるんだよな、なあヘルガー。」
しゃがみ込みヘルガーの頭をゆっくり撫でてやる。可哀想にマスターの体調が心配なんだろう。
「……っ解りましたよ!眠ればいいんでしょう眠れば!」
顔を更に真っ赤にし耳まで赤くしたアポロがくるりと俺達に背を向けた。そのまま近くにあった高級そうなソファーにごろりと丸まって横になった。
「1時間程仮眠を取ります。その後直ぐ仕事に……」
「こらこらこらこら!!」
ぐいと腕を引っ張りアポロの身体を起こした。ヘルガーもズボンを引っ張りアポロをベッドに連れて行こうとしている。
「お前の今日の仕事は取り敢えずゆっくり寝て熱下げる事!ほらベッド行くぞ!」
「しかし……」
「お前の分の仕事なら俺達である程度何とかする。それとも俺達はそんなに信用ねぇか?」
少し眉を下げハの字にしてアポロの目を見つめる。するとアポロはぐっと息を詰まらせ、そんな事は、と小さく呟いた。
「じゃあ今は大人しく寝てろ。お前はちょいと頑張り過ぎなんだよ」
渋々ベッドに横になったアポロがそっと手を伸ばし、ベッドの隣で背筋をきりっと伸ばし座っているヘルガーの頭を優しく撫でた。いつアポロに声を掛けられても反応出来るようにぴんと張り詰めていたヘルガーのオーラが少し柔らかくなった。
「…忠誠心があり過ぎるのも困ったものですね。」
「誰かさんと一緒だな」
ぐしゃぐしゃと右手で短い髪を乱してやると、ばつが悪そうに眉間に皺を寄せ、赤い顔を更に赤くして俺の手を払い除けた。それがとてもロケット団最高幹部の男の行動だとは思えなくて、思わず吹き出してしまった。まるで、
「子供みたいだ、とでも思ってるんでしょう」
「なんだ、お見通しか」
「顔がにやけてますからね。どうせそんな事だろうと……っ!」
急にアポロの呼吸がおかしくなったと思うと、胸をぎゅっと抑えて何度か大きな咳をした。ヘルガーがばっと立ち上がり心配そうに狼狽えている。
「アポロ、大丈夫か?待ってろ、咳止め……」
慌てて薬を取りに行こうとその場を後にしようとすると、ぐいと服の裾を引っ張られた。
「アポロ?」
「だ、いじょうぶです、から、」
行かないで、という言葉がアポロの声で俺の耳に届いた。何だ、今のは幻聴だろうか。
「昔から、体調が優れないと、いつも嫌な夢を視るんです。身体が怠いから眠ってしまおうと思うのに、夢の所為で眠るのも嫌になって……どうすればいいんですか、ラムダ、ラムダ…」
途中から独り言の様にアポロは唇を小さく動かしぽろぽろ言葉を零していた。何度も俺の名前を呼んでいるが、その目は空中をぼんやりと見つめている。思ったより重症だ。よくこんなに酷くなるまで周りの人間に隠せ通せたものだ。
ベルトの一番端に付けられていたモンスターボールを手に取り、中のポケモンをボールから出してやった。標準の大きさよりもかなり小さめのドガースが姿を現す。
「……?」
「そいつ、まだ生まれたばかりで人間が大好きなんだよ。なかなか俺様の傍を離れようとしなくてボールに戻すのも一苦労だったんだぜ。」
良かったら俺様が薬とか色々と取ってくる間、そいつの面倒見ててくれよ。出来るだけ優しい笑みを浮かべながらそう言うと、暫く俺とドガースを見比べていたアポロが俺の服を掴んでいた手をゆっくりと離し、そっとドガースの方に差し出した。ドガースはその差し出された手の中に飛び込んで行き、自ら嬉しそうに身体全体をアポロの左手に擦り合わせた。そのドガースの嬉しそうな表情に、アポロも汗だくな顔で少しだけ微笑んだ。
「…いいこ、ですね。おいで」
小さな声でそう言うと、そのままドガースを引き寄せ自分の胸の上辺りで優しく両手で撫でたり擽ったりしている。きゃっきゃと楽しそうに丸い身体を捩らせているドガースを見て、アポロは優しく目を細めていた。
「じゃあそいつのこと頼んだぜ。あー…」
薬と、薬を飲む為にも簡単な食事。体温計と、寝かせるのに必死でアポロの恰好が仕事着のままだった事に今更気付いたので、着替えも必要だ。用意するものを一つずつ考えながら寝室を後にしようとドアノブに手を掛けると、ラムダ、と不安そうな声に引き止められた。今度は何だと思い溜め息を吐きながら振り向き、どうした、と答えてやる。今は相当体温の高いであろうアポロの手の中で、幼いドガースはすやすやと寝息をたてていた。
「私、ずっと思ってました」
アポロの右手は優しくドガースの身体を撫でていて、その視線は眠るドガースに向けられている。
「サカキ様は、何故私達を置いて行かれたのだろうかと。何かお考えや志があったのだろうと解ってはいたのですが、それでも、どうしても私は辛かった。……けれど、」
そのまま口を紡いでしまったアポロが言い掛けた言葉の続きが気になって、けれど、と最後に疑問符を付けて繰り返すと、ドガースを見つめるアポロの眉間にきゅっと皺が寄せられた。
「置いて行くのと置いて行かれるのとでは、一体どちらの方が辛いのでしょうね。」
吐き捨てられた言葉。
「ねえラムダ、どちらが辛いですか」
「…さあな。生憎、俺は誰かを置いて行った記憶が無いからなあ」
「今、お前は私を置いて行こうとしているじゃないですか。」
何だそれは。思わず無意識の内に気持ち良さそうに寝息をたてるドガースに向けていた視線をアポロの方に向けると、深いスカイブルーの瞳がじっと俺を見つめていた。その目は至って真剣で、俺を責めるかの様な色まで含んでいた。
「…人間高熱があると駄目だな。消極的な癖に変に強気だから困る。いいからお前は大人しく寝て待ってろ」
片眉を下げ困ったようにへらりと笑いながらそう言うと、アポロは仕方無さそうに顔の向きを変えて壁を向いた。
「もし私があの方と同じように、お前達に何も告げられずにいきなり姿を消さなければならなくなったらと考えたら、私、私は…」
また文章の続きが途切れたが、今度こそ部屋を後にしようと足を踏み出した。部屋から出て扉を閉めようとした瞬間、寂しそうな、心細そうなアポロの声が聴こえた気がした。
(いたかった、)

















アポリアと孤独








20100828
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