[携帯モード] [URL送信]

 
engelmake
<scene-shift>
<time:begin-angelmake>
<side:Koya>

 昔むかしペンというものは文字の筆記に用いられたそうだが、現代ではマニアックな画材の一角として専門店でしか手に入らない代物となっていた。そんなものを手に白紙をガリガリとやっていたから気の良い同僚が珍しげに覗き込んでくる。広びろとした窓から淡い日光が落ちる、施設に隣接したカフェテリアの片隅だった。神を造らんと企てるほの白いラボラトリーは今日も平穏なり。

「コーヤは絵もうまいのな。天才は美術に秀でるものかねえ。ほら、ダヴィンチとかさ」
「巨匠と比べられるとさすがに肩身が狭い」
「謙遜が好きだな、お前」

 同僚はサンドイッチをかじりながら行儀悪く私の手元へ身を乗り出し、じっくりと黒いインクの線を観察している。咥えているそれ、頼むからこぼすなよ、と思う。

「これ何の絵なんだ? ガヴリエルか?」

 とりあえず咀嚼を終えてから喋ってくれないだろうかと思いながらペンを置いた。ひとまず画が完成したのだ。紙を摘まんで、窓に透かし見る。描いたのは絵画ではなく設計図のつもりだった。

「そんなものかな……」

 ヒトのシルエットと、その背に伸びる翼と、羽根の拡大図だ。
 鳥やコウモリの翼のように風をとらえるためのかたちをしてはいない。見た目の美しさだけを追求したから付け根は細く、跳ぶにはいかにも弱々しい。天使の翼と呼ぶにふさわしいだろうはかなげなかたちをした。

「翔べないよな、それ」

 いましがたサンドイッチの咀嚼を終えた同僚が不思議そうに問うた。私はうなづいて、

「翔ぶ必要はないんだ。そうだな、でも、もっと美しさが必要かな」
「ふうん? わかったぞコーヤ。それ、パーツの設計だろう」
「察しが良い」
「相談してくれたら良いのに」
「じゃあ今、そうしよう」

 紙とペンを差し出すと、同僚は慣れない手付きでそれを受け取った。彼は機械工学系の専門だから私よりかこの手の設計に通ずる面があるはずだった。なにせこれは無機物であって有機物でもある。
 アディショナルパーツ、あるいはたんにパーツと呼ばれていた。人体に施術によって後づけすることで機能を付加するモノ。ペースメーカーや人工間接に近い概念だが、そうした本来の身体機能の補助とはまた別の『何か』を担わせるときに用いる名称だ。現代の上流層であれば多くの人がさまざまな形でカメラや通信機能のあるパーツを付けている。私はというと左手首にちんまりと球体のそれが植えてあった。素材はイルカの筋繊維であったり培養した人骨であったり、むろん金属も使われる。

「それで機能は?」
「水槽のすべてだ」
「言うと思ったが、途方もないよ。なぜできると思った?」

 追加の注文をしながら眉根を寄せる同僚の顔を見た。明らかに無理だ、と言いたげなわりに理論は聞きたがるあたり信頼のおける奴だった。
 ラボラトリー配属から幾年。私はあの幼く長寿な神さまを祀る水槽の管理人をしていた。とはいえ管理は当番制で、複数人が受け持つうちの一人にすぎないからそう出世をしたわけでもない。みなで彼女の不老不死の維持をしながら、神の実現のために頭を抱えているのだ。たとえば知能や思考力の増強などが当面の課題であるが、状態の保存された脳では限界があり、パーツにAIを設けるにも自我のありかに問題が出てくるといったぐあいだ。そんななか、私は、『彼女を狭苦しい水槽から解放したい』と、それだけを考えて過ごしてきた――あの笑顔は、四角い神殿に収まるにはもったいない。
 水槽の機能はかんたんに言えば老化防止と生命維持である。それらを内包させたパーツを造り彼女に植えることで解放が望めないか、そしてどうせパーツにするのならより美しく神聖なかたちにできないか、といった相談だ。信仰には美しさが必要だから。

「機能設計はおいおい、かな。形から入った方がやりやすいと思って」
「はーあ、天才なんて云われるのは突飛なヤツばかりだ。……接合部が不安だな。これだと肩に負担がかかりすぎる。とりあえず先に向かって軽量化する前提で……」

 互いのスケジューリングの許すまでは語らって、カフェインレスのコーヒーを何杯か空けた。ちいさなカフェテリアの片隅、大きく明るい窓の向こうに、遠く巨大な城壁が見えていた。
 神を造らんと企てるほの白いラボラトリーは、今日も平穏なり。



▲  ▼