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prologue
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<side:Koya>

 うすい翠いろの水のなかに世界があった。透きとおった電飾の灯りはもう自然光と区別がつかなくて、ゆらめく水流は空にも海にも似る。永遠を騙るちいさな水槽は内側に立って広げた両腕の手のひらがぴったり端につくくらいの幅だった。円柱形の、等身大の試験管――あなたはずっとそこにいた。水のなかでうずくまって、微笑って百年の時をこえてきた。人びとからは、「神さま」と呼ばれていた。

<scene-shift>
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 ――成功だ! そんな声が上がったけれどなぜだか遠いようで、呆然と立ち尽くしたのが何秒だったかわからない。この瞬間に至るまでには長い戦いがあったのに、今はもう実感も浅い夢に霞んで、呼吸だけが鮮明だった。
 あなたが目を開けた。
 それだけの一瞬が私の悠久だった。

「ああ」

 成功。遠く聴こえた声を胸のうちに反芻してあなたの顔を見る。二百年も日光を浴びていないからまっ白な肌をした、あどけない少女の顔だ。英知の蓄積によって永らく変わらぬよう保存されてきた顔だ。度重なる実験の反動によってよくは見えないらしい眼が少し迷って私に焦点を合わせる。口許がほころんでいってなにかを言うべく息を吸う。そのすべてがゆっくりとして見えた。まるで死の間際のようで、しかしほんとうは造られた永遠のなかばで。

「ドクター、どうした、そんな顔をして?」

 肉声を聴くのははじめてだった。低くも高くもなく、深くやわらかな音色をしていた。

「……うれしいのです。あなたが無事に目覚めたことが」

 自分がどんな顔をしていたかなんてわからない。あなたがおかしそうに笑ったことだけが瞼に残る。

「ああ、喜ばしいな。君達の造った不死は、きっともうすぐ完成するのだろうね……」

 いつだって他人事のように語るあなただけれど、このときばかりはまことにうれしげに頬を染めてくれた。それこそが私の最大の研究成果であると確信して、長く困難な製造と移植を終えたばかりの機器、否、あなたの身体の一部を見る。金属と筋繊維とシルクとの有機的に編み込まれたそれがふるりと震えて、私を含む研究員のみなが息を呑んだ。
 白く。正しい軌道で。
 不死鳥の翼を背にひろげた少女が冷たい実験台の上で身を起こした……力なくふらついたので、私が肩を支えたのだけど。そうして天使のすがたをしたあなたは恭しく胸に手を置き、目を伏して。
 告げる。

「ドクター窪原、ほかラボラトリーの皆々。私を水槽から出してくれたこと、心より感謝しよう」




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