[携帯モード] [URL送信]

 
■side A――8

 町で拾い集めた食料はぎりぎり長い山越えにも耐えた。山越えとは言っても、もうあの谷には近寄りたくないから、登らずに大きく迂回することになる。乾ききった山岳地帯を抜けて再び町が見えてきたのはあれから一週間もあとのことで、わたしたちはその間、単調に歩き、食べ、眠る生活を強いられた。旅人としてはこれが本分なのだから文句も言ってはいられまいが。
 結局のところ、わたしたちの予定は一ミリも変わっていない。向かう場所はひとつだ。――リューの故郷。
 この時世に未だに旧い価値観を重んじる、保守的で、隔離された村なのだと言う。山脈に沿ってバスと徒歩を交え二十日ほど行くと、まばらな針葉樹の森のなかにそれはある。どの他の町に出るにも十日は歩かねばならず、どんな交通機関もそこまでは通っていない。その村で育った人間は、その村で働き、その村で生涯を終える。リューほどの特別な事情がない限り、村民が外へ出ていくことは極めて稀だ。
 歩かなければ進めないのは、ゴーストタウンが蔓延する昨今珍しくないが、むしろ珍しいのは、他地域との交流を徹底的に避けながらも自立して安定した暮らしを営める場所がまだあるということだ。

「そもそも、能力者が出てきはじめたのはかなり最近なんだよ。発電も、農耕も、機械さえあれば誰でもどうにでもできるようになってからだ。そういう時に俺たちは社会から追い出された。だから、機械だけを頼りにして山中に引きこもった」
「知っていますよ。異能者狩り、ですよね」
「……そうか」

 彼はなにも問わない。彼に直接影響しないからか、わたしというものに関しては、なにも。そのうえ、わたしが力を持っている以上、どこまで行ってもリューはわたしに逆らえない。言いたい文句は数々ありそうなのに、彼はずっと口をつぐんでわたしの後ろを歩いた。暗い奴だ、笑顔を見せない、言動のガードが異常に固く、怒らせるまでは本音を言わない。鬱屈の中で育った彼には、その振る舞い方が普通なのか。物語の中の彼はもっと感情的で、無鉄砲で、がむしゃらだったのだが。あれはいわゆる自暴自棄というやつだったのか。わたしにはわかりっこないが、おかげで二十日がやっと過ぎる頃にも関係の変化は訪れなかった。わたしたち以外の他人とほぼ関わらなかったから、という理由が大きいかもしれないが。
 そうしてわたしたちは――針葉樹の森を歩き出した。
 乾いた地域からはもうだいぶ遠ざかっているから、以前よりも食料の保存状態に気を使う。傷んでしまったら終わりだと考えていい。残り十日の旅。生き延びるために、わたしたちはいくらでも盗みに勤しんだ。最初の頃は多少なりとも抵抗があったものだが、今やすっかり感覚が鈍っている。
 わたしは不安になる。いつか、また、『帰る』ときが来たら、わたしは少しだけ社会からずれた存在になりかねないな、と。――そこまで考えて、ひとり、苦笑をこぼした。いまさら社会がなんだ。もとから、私に居場所なんかなかったのに。

「どうかしたのか」

 珍しくリューから声がかかった、休憩中の森の中。同系色が多い中でも、彼のペールグリーンはやけに目立って見える。

「いえ、ちょっと、旅に出たいなと思いまして」
「今やってんのは違うのかよ」
「いいえ……」

 森は景色が変わらず、やたらに足元が険しく、なにより暗く寒い。森を行って数日、早くもわたしは精神的な疲弊を自覚していた。どうかしている。いまさら私に何の用があると言うのだろう。
 わたしが息をつこうとした横で、先にリューが細く息をついた。

「なあ、シア。本当に行くのか」
「なんですか今更。行くからこんなところで歩いてるんですよ」
「村によそ者が来たの、見たことねえよ。どうなるかわからない。しかも俺とじゃ、百パーセント信頼はされないぞ……最悪を考えろ」
「悪いぶんには構いませんよ、慣れています」
「お前なあ……」
「……ただ、」

 こんな会話、したことがなかった。お互いの顔に疲労が滲む。森はまだ深くわたしたちを誘う。村につく頃には、どんな酷い精神状態で、敵と相対することになるだろうか。そう考えると、なるほど行く気も削がれてくる。だが、わたしの目的を果たすにしても、彼の目的を果たすにしても、あの村は通る道だ。

「……記憶が戻ってから、どうしてわたしがあなたの力を奪ってしまったのか、考えていました。あなたを死なせないためだ、とは、今も思っています」
「あぁ」
「でも、物語に不満はなかったんです。変える必要はなくて。それなのに。願ったわけでもないのに、どうしてわたしはこんなことになってるんだろうって……すごく不思議で」
「……それで?」

 木の根に腰を下ろして二人、同様に膝を抱えうつむいたまま、言葉を交わした。

「あの、村につく前に。許可を、くれませんか」
「……許可?」
「わたしがこの世界に存在してもいい、許可を」

 わたしは不安なのだ。
 所詮ひとりの卑屈屋でしかない私が、長年焦がれた本の主人公と肩を並べる。そんな奇跡があっけなく許されている今が、あまりにも、不安なのだ。
 自分を十数年にも渡って苦しめた故郷に帰ろうという彼だって、心に余裕はなかったはずだ。そこまで考えの至らない浅はかな私の要望に、しかし真面目な彼はしばらく黙りこんだ。そして短く答える。知らねえよ、と。



▲  ▼