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■side B――4

 シアは数十分後に目を覚ました。
 先ほどの現場からそう遠くない一軒家。そこに残っていたベッドに布をかけて横たえたのだが、やはりまだ埃っぽかったか、咳き込みが目覚めの合図になった。食料品を集めながら待っていた俺は、彼女がひとまず動けそうなことに安堵の息をつく。

「無事でよかった。体調悪いなら無理に動くなよ。一泊くらいは休んでも構わないから」
「……リュー」
「なんだ」

 彼女が身体を起こし、夕陽色の目で俺を睨んだ。しかしすぐに視線は迷い、最後にはうつむいてしまう。やはり調子がよくないのだろう。力の代償には抗えない。が、続いた言葉は俺の予想に反して感情的だった。

「子供を傷つけるような人ではないと思っていました」

 言われて直後に浮かんだ感情は、確かに自分が先ほど子供に暴力を振るったことへの罪悪感、次に急に踏み込んだことを言われたことへの驚き、さらにこういう奴には絡まれたくないという辟易。ああ、あれか。彼女は必要悪を認められないタイプか、と。俺はみたび溜め息を吐き出す。

「ま、俺は正義感の強い人じゃねーからな」
「……そう。そうなんですね。じゃあ、構いませんよね」
「ん、何がだ?」

 やはり彼女の様子はおかしい。言動も意味がわからないし、能面のように感情の抜けた顔でこちらを見つめている。自分の背筋が冷えるのがわかる。彼女には最初から得体が知れないところが多すぎる。埃を払いながら立ち上がった彼女が歩み寄ってくると、悪寒に思わず身を引いてしまう。情けないが、俺はたしかに彼女に怯えていた。いま、俺に力があれば、脱兎のごとくこの場を逃げ出したい。
 彼女はたっぷり俺を睨むと、堂々とした口振りでのたまう。

「わたし、決めました。やっぱりあなたにはついていきません。力も返しません」
「……は?」
「二度も助けてくださってありがとうございました」

 淡々と頭を下げ部屋を出ようとする彼女の背を目線が追う。
 え、ちょっと待て。それはない。
 反射的に駆け足で先回りし、扉の前に立つ。

「どいてください」
「いやいきなりそりゃねーだろ。説明しろ。いや説明がなくてもいいが、力がなきゃ俺は困る」
「じゃあ、どうしますか。私は暴力では捕まらないと思いますが」
「いやいや、だから……なんでそうなった!」
「答えたら納得するんですか?」
「それはっ……」

 普通に考えて、いまの俺が彼女の意思に逆らうことはできそうにない。扉をふさぐように広げていた手をだらりと下ろした。同時に頭も下げる。今は下手に出るのも仕方がないだろう。

「頼む……俺には力がいるんだ。条件があるなら、出来る限り従うから……」
「力がなくても、人間、生きていけますよ。そうまでして、やりたいことがあると?」
「そうだ」
「ならそれは私がやります。それなら問題ないですね?」

 今度こそ脳内が疑問符で埋め尽くされた。顔を上げると、先ほどまでと変わらない顔の彼女が静かに俺を見下ろしている。

「……何、言ってんだ……?」
「あなたに力がなくて、私にある。それなら私を使えば話は早い、と言っています」
「は……? お前にそこまでする義理まったくないだろ」
「いま助けていただいたじゃないですか。それとも、あなたのやりたいことはわたしの身の安全と不釣り合いなほど大きいとか?」

 追い詰められている。無性にそう感じて、底知れない彼女の目を覗き込む。なぜだ。今までの適切な他人行儀はどこへ消えた。なぜ急に踏み込んでくる。焦りが雫になって背中を伝う。

「そう……っ、そういう問題じゃないっ!」

 俺は冷静でなかった。彼女の両肩を掴み、叫んでいた。

「お前わかってんのか、今だって死にかけてんだろうがっ。これ以上力使って無事でいられると思うか!? 俺は俺の力で他人を殺すつもりはないんだよ!」

 叫び終えてから、あらゆる意味でしまった、と思った。手を離し、声を潜めて一言謝罪する。ふわふわ舞う埃の影に視線を落とす。いたたまれない時間。
 彼女の呆れたような吐息が耳をつく。足音が遠ざかる。数秒して、俺ははっと慌てて彼女を引き留める。

「待ってくれ、わかった! わかったよ。力を返せとは言わない、言わないから一人で行くな。行って死ぬだけだぞ!」



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