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■side A――4

 そういうわけで場面は翌日に移る。
 さすがの疲労で遅くまで爆睡してしまったわたしは、申し訳なさを感じながらも軽い食事をいただいて畑に出た。奥様は朝方から働いていたのにと恐縮するわたしに、女性はまた笑って言った。「疲れている人に無理はさせたくないの」。つくづく、暖かい人だと思う。
 葉っぱの機嫌を窺いながら午前を終え、人生の彩りたるところの昼食を済ませた午後。いよいよ村の住民が女性の小さな家屋に押し寄せてきた。
 住民はみなが中年よりも世代が上だ。聞けば、ここは衛生状態のよくない田舎だから子供は健康に育ちにくいし、育っても山向こうの都会へ行ってしまうのだと言う。
 山向こうの都会。その言い方にわたしは違和感をおぼえた。山向こうの様子はどうだった。そう問われたとき、やっと事情を理解して言葉を失った。なるほど、この村の情報はたしかに旧いのだ。山向こうの街がもう生きていないことを、彼らは知らない。わたしは、そんな彼らに――真実は言えない。

「山向こうの街ですか。工業地域なのに川の水がきれいで助かりましたよ。みなさんあれを飲んで暮らすみたいですね」
「へえ、水か! いいなあ。こっちは乾いてるからなあ」

 何を言ってもいちいち感心される。ちくちくと、胸の奥が痛むような感触があって、わたしは笑顔を作り物に切り替えた。

 わたしが『わたし』として目覚めたのは、たった数ヵ月前の出来事だ。そのころは本当に何もわからなかった。自分がなぜ旅荷物に身を預けて野宿をしていたのか、そこがどこだったか――端的に言って記憶が欠落していた。わかっていたのは、わたしがどうやら旅人らしいということくらいだ。
 それからは持っていた地図に沿って町に向かってみたが、生きている人のいる町はごく稀で、いたとしても危険な人間ばかり。したがって、人目を避けながら空き家から食料を盗んでは移動、というのを淡々と続ける羽目になった。奇妙に無人の町、そこに残された飢えた子供に追い回されたり、孤独に活動を続ける信号機を灯台代わりに夜道を歩いたり。
 その生活のなかで発覚したことがひとつ。
 わたしは、『魔法使い』だ。未だにわたし自身も信じてはいないが、ただ、できると思ったことはだいたいできてしまう。数十メートルの谷底にこともなげに着地したり、三メートル越えの門を跳躍で越えたり、といったようなことでも。その代わり、身体的なダメージも尋常ではないから、緊急性のないときには絶対に使いたくない魔法なのだった。

 ――なんてことが軽々しく言えるわけもなく、わたしは極力当たり障りのないことや明るい嘘を村人に伝えて聞かせた。村人たちは安堵や感心をめいめいに抱きながら、夕食の前には散り散りに帰っていった。
 数ヵ月もこんな好意的な人間と言葉を交わしていないわたしは、どっと疲れを感じて思わず息をつく。目敏く気づいた女性が、夕食まではゆっくり休むようにと言ってキッチンに立つ。暖かい食材の香しさを胸に溜めながら与えられた客間に戻ると、ようやく一人になった油断がそのまま体調に出た。
 閉まったばかりの扉を背に、明かりもまだ点かない部屋のフローリングに掌をつく。――胸が痛い。声も出ないまま、一瞬だけ気を失って、床に頭を打ち付け目覚める。呼吸の乱れを手で押さえ、調理中の女性には悟られぬように徹する。
 苦しむことは多い。不調はかなりの頻度で出てきては去っていく。魔法を使って数日はいつもこんなものだった。

(まあ、別に、わたしが死んでも誰も困らない)

 食事までには収まってくれよ、と願いながら、痛みに任せて床の上に転がった。



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