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■side B――1

「なんだあの女」

 沸き上がったさまざまな感情のうち、俺は迷わず疑心を選択し表した。
 赤い髪の彼女。切り立った崖の端でぼんやり立っていたと思ったら急に飛んだものだから、最初は自殺を疑った。自殺ならば無知な外野が手を出すべきではない――そんな倫理観より先に身体が動いていた。助けられる人間を見殺しにした後味の悪さを味わいたくなかったから、なんてしょうもない理由だった。助けなくてよかった、そう言われたときは思わず納得したが、だとしたら自分の行動をどうすればいいのか、そんな思考のもとに閉口した――俺はひとりよがりな人間だ。
 それにしても、躊躇なく飛んだ彼女の様子はあまりにも不可解だった。彼女のはきはきとした口調からは、これから死ぬなんて覚悟はまったく感じられなかったのに、事実、他人の目を振り切ってまで飛んだ。はっきり言って不気味だ。関わりたくない。だから、平常時はそれで片付けて、記憶の隅へ押しやる程度の出来事だが。
 暗い谷底を見下ろした。彼女の自殺行為が不可解であることには変わりないが、わざわざここで飛んだ理由、そのひとつの可能性が、この闇の向こうにはなきにしもあらずだ。だって、俺も、そこを目指してこんな険しい山をえっちらおっちら登ってきたわけで。
 くそお、と悪態ひとつ。俺だって少し前ならこんな谷くらいためらいなく飛べたのだが。
 そう考えたところで――気づく。考えうる可能性は二つに増えた。彼女が『谷底』を目指していた可能性、そして、彼女が――いや、無理のある説だろうか。だが、可能性が少しでもあれば、あたるしかない。
 鞄を持ち直し、歩き出した。かすかにでも手懸かりは掴めたのだから、俺にはもうここにいる理由がなかった。


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