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■side A――2

 ――光は失われない。
 長く感じた落下がようやく終わり、ブーツの底を硬い土に擦り付けたわたしは、ひとまず周囲の景色に目を見張った。
 谷は下へ行くほど徐々に広がり、谷底の幅は30mをくだらない。そして足元はほぼ平らに均された土だから、断面にすれば壺のような形になるだろうか。狭い上空から覗く空はボールペンで引いた線のように見えている。あの光は、ここではいたって弱々しい。
 壁際まで歩み、そこにずらりと並んだ照明に視線をくべる。熱のない、味気ない裸電球が、土壁から顔を出して黄色く照っている。LEDランプだ。自然そのものと言ってよかった渇いた山岳地帯が聞いて呆れる、この谷底はあきらかに人の手で整備されているのだった。
 なにかの施設――?
 いままさに電気が点いている。つまり、ここにはいままさに人がいる。
 さあどうだろう、と考えた。わたしは助かったのか、逆にこれは危機なのか。わざわざこんな谷底に、こんな完成された設備が存在するともなれば、あまりいい匂いはしないのが正直なところだ。
 悪い予感は当たるものだ。
 無音に近かったさなか、ふいに突如の轟音が耳をつんざく。高い、破裂音、遅れて火薬の独特な香りが漂ってくる。わたしは両手を持ち上げ振り向く。その向こうに人影がわらわらと立っていた。
 発砲は立て続けにおこなわれた。黒いバレルの穴が複数こちらを向いている。わたしは動かない。動く必要がないからだ。

「……あのー。そろそろ弾が無駄かと思いますが?」

 いつまでも飽きない彼らにしびれを切らして呼び掛けると、轟音はようやく収まる。きん、と耳鳴りがしばらく残りそうだった。
 警戒しながら大きな銃を構えた男性が歩んでくる。

「何者だ。何故ここにいる」
「旅をしている者です。上の、山から落ちてしまって。気づいたらここに」

 言葉尻が相手に届くや否やの発砲。
 確認するかのようなそれの結果も、変わりはしない。放たれた弾丸は軌道を不規則に曲げ、土に突き刺さり止まった。

「ここのことは知りませんし、何も教えていただかなくて結構です。直ちにわたしを外に出してください」
「それはできない」
「なぜです?」
「侵入者は殺さなければならない」
「それは困りましたねえ……」

 わたしは向けられた敵意に苦笑した。面倒なことから逃れたかったはずが、さらに面倒なことになってしまったようだ。
 頭のなかで谷の構造を確認する。うねうねとはしているが、洞窟の類いに気を取られなければ基本的に谷底は一本道で麓に続いているはずだ。問題は、どちらが麓への道なのか。運命を分ける二択だが――ここでちんたらしていても餓死するだけだ。
 周囲の洞窟から沸いて出た人影をざっと確認する。複数の銃口、だが幸い取り囲まれてはいない。
 手を下げる。目前の兵が眉を潜めるより前に、わたしは駆け出した。淀んだ空気、土のにおい、しかしわたしだけが風に身をさらした。逃げるついでにご挨拶を叫んでおく。

「これであなたがたの落ち度になるなら、すみませんねえ! でもこっちも相手してたら死ぬので!」

 散発的に銃弾がわたしを追ったが、ひとつもかすりさえしなかった。風の暴力に頭を垂れる。加速度はやがて自由落下のそれを越える。風に従い谷を走り続けると、先に大きな門と複数の人影を見る。門番に構ってもいられないから減速はしない。重厚な鉄扉の高さを見ると、わたしの身長を三倍したほどはある。――このくらいなら、まあ、行けるかな。
 加速度に任せて地を蹴り壁を蹴った。門番からは何がどう見えていたのだろう。数秒して、私はこの謎の谷底基地を抜け出すことに成功していた。自然に戻った谷底からは灯りが消える。暗闇に身を投げ出し、おっと、勢いのまま岩に身体をぶつけて静止した。
 ようやく面倒事から解放され安堵する。もともとこうやって谷を抜けるつもりだったのだ。少し変な場所に立ち寄ったかもしれないが、そっくり見なかったことにして先に進むこととしようか。



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