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 世界は長い「冬」を迎えたのだと言う。
 初老の船長が言うにはそうだ。若者のわたしは、この船で生まれ育ったから、そうした深刻な実感はない。船とは幾何学的な多重構造をした広大な空間であり、わたしたちの生きる世界そのものだ。以前の世界を知る船長は、ここをとても狭いと言うが、人口約五十人が暮らしていくだけなのに、これ以上広くてどうするんだとわたしは思う。
 仄かに青く発光する金属に囲まれたこの船では、住民すべてにきっちりと割り振られた仕事がある。
 わたしはというと、子供の世話だ。よく減ってしまうのを埋めるように、ごくごくまれに増える人口。その大切な命を預かり導く仕事。いちばん重要で、大変な役だとみんなは言う。
 しかし、告白してしまおう。
 わたしは暇すぎる日々を持て余している。
 その要因は至極単純、世話すべき子供がおとなしいからだ――

「ミヤ、起きてる〜?」

 早朝。
 わたしの仕事場、つまり子供部屋に顔を出すと、さっそく部屋の隅のデスクにかじりついている小さな背中を見つけた。近寄ってみるも反応がなく、ただすーっと呼吸だけが聞こえる。眠っているらしかった。また夜更けまで勉強でもしていたか。それならそっと寝かせてやったほうがいいのかもしれないが、朝食を抜かせるわけにはいかないから、起こそうと決める。ガクガクと容赦なく揺さぶると、小さな背中はびくっと痙攣してくるりとわたしの手から離れてゆく。寝ぼけ顔の少年がわたしをじっとり睨んでいる。臆しもしない、わたしはとりあえずにこやかに言った。

「おはよう、ミヤ!」

 彼はミヤ。今のところこの船で唯一の十歳未満、とはいえ今年で十になる、まだまだ身体の小さな少年だった。

「……おれる」
「ん?」
「痛いよ。朝から死ぬかと思ったよ……」
「あら〜ごめん。じゃあ次からベッドで寝てね?」

 ミヤは神妙に頷いて立ち上がった。部屋脇の洗面台で手早く顔と口を洗って、びしっと姿勢を正してわたしに向き直って言う。

「おはよう、カナ」

 わたしたちは食堂へ向かって歩き出した。時間はあるので秘密の近道は使わない。今日は騒がしくはならないなあ、と残念がるわたしに、ミヤが呆れたような息をついた。彼のため息にはかすかな疲労がにじんでいる。

「きのうも遅くまでお勉強?」
「そんなんじゃない」
「えーっ。机に教科書見えたけど?」
「気のせいでしょ」
「そんな馬鹿な」
「カナは馬鹿だから」
「なんだとっ! そりゃあ、ミヤよりは物知りじゃないかもしれないけどさあ」

 ミヤは勉強をするのが好きだ。そんな暇もなくとにかく働かなければならないから、わたしやリオだって勉強する機会なんて全然なかったのに、彼といえばあろうことか船長を口でねじ伏せてしまった。働きはするけど、半分にしてくれ。そのぶん勉強して、将来、もっと役に立ってやるから。五歳を過ぎ、働く年齢になってすぐに彼はそう言ったのだ。彼の両親が栄養失調で亡くなった直後の話。
 船内の物資は枯渇しかかっている。旧世界から移植された生態系を機械でぎりぎり保たせての農業生活は、船が稼働して数十年も過ぎた今、限界を迎えつつある。機械に不調があれば飢饉がおきる。飢饉が起きれば、誰かが犠牲になる。
 もっとみんな生き残れるようにするんだ、と邁進するミヤが、彼のお目付けとその他の役で駆け回ったりしかできないわたしにはちょっとまぶしい。そのうえわたしは要領が悪いから、ミスや遅刻を連発して毎日怒られる。むしろ、わたしにはちゃんとした仕事を任せられないから適当な役当てをされているのではないかとさえ思う。
 まあ、勉強をしているからといってミヤがそんなにしっかり者かと言えばあやしいところが多い。わたしが遅刻回避のために利用する近道はみんなミヤに教わった道だ。あんなの、いたずら心を持って探検してみなければ絶対に見つからない。
 だから、わたしたちはわるがき仲間。
 ふわふわとした劣等感と充足感にほほえみながら、ブルーグレーの光で描かれた路を抜け、食堂へ。わたしたちが最後だったらしく、見知った住民みなが揃っていた。そこまではいつも通りで、しかしわたしの足はそこでぴたりと止まる。次いでミヤも。みなが一様に口を閉ざしてわたしたちを見ているのだ。その視線から意図を汲み取るのは難しい。悲しげな者もあり、微笑む者もあった。
 呼吸さえもひそめられた静寂が、きんと両耳を貫いた。
 なんだ、この空気。
 やけに胸がざわついて、最奥に座る船長の顔を覗き込む。五十過ぎの最年長者のくせしてきっちりと伸びた背筋に、精悍さを損なわない目をして、多くの観客をよそに彼はわたしと対峙していた。敵意とは違うけれど、明らかに何らかの快くない感情がこちらに向けられていて、わたしは自然と気を引き締める。不安からか、ミヤがわたしの背に隠れる。

「どうなさいましたか、船長?」

 問えば、凍った空気をぐるりと揺るがすわたしの声。あまりの静寂に、反響までもがしかと耳につく。船長は、なおも静かに席を立ち、住民ひとりひとりの顔を一瞥した。
 それは唐突で、あっけなく、重大な――人の死に似た宣告。

「春が来た」




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