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 眼前の色褪せた金属を両手で掴み、身を引き摺り進んだ。行く手には、ぼんやりとくすんだ灯りがあるのみで、その先までは見通せない。そこは狭い、道とも呼べない道、いや通気孔か。ともあれ最短の抜け道はここしかないから、仕方がない。ちょっとくらい苦労しても、自分の体型を恨んでも、進むことをやめようとはとうてい思えなかった。
 ぐう、と腹が鳴った。狭苦しい通路ではどんな音も耳元で響いてくる。誰も聞いてやいないのだがつい赤面して、そそくさと進みを早める。
 そう、昼飯時なのだ。あと数分で配膳が始まり、もう数分で終わる。遅れれば飯抜きなんてあたりまえ。この時世に、生きる気のない者へ無駄に物資を与えることなどできないからだ。

(遅れたら船長から大目玉だ……!)

 ようやく通路の終わりが見えてきた。それは下側からくる光だった。そこだけ四角く金網がかかっている。その位置から無防備に落ちれば下手をすると骨折なのだが、ためらいなくがちゃりと網を外してそこに飛び込んだ。
 重力がわたしをぐわんと包む。空気のたわみが耳に触れて上方へ流れる。わたしは腰を下側に、重心を安定させて、自由落下に身を委ねた。

「ま〜たお前はっ!」

 下方斜め右から声と足音が迫った。
 直後、どすんと衝撃。わたしは床に叩きつけられ――たりなどしない。人間の腕にがっちりと受け止められていた。見上げると、見慣れた人の焦った顔がすぐ近くにある。わたしは彼に親指を立てて言う。

「ナイスキャッチ、リオ!」

 リオ。
 まだまだ未来有望な逞しき働き手であり、わたしの恋人だった。
 恋人と言っても、旧式の世界で言う、気の迷いで好きになった相手とたまたまくっつく運試しのような、不確かで危うげな代物ではない。そもそも人口の少ないこの船では、男女が近い年代で生まれた時点でふたりは恋人と決まっているのだ。つまり、彼しかいないので裏切りとかいうことはまったくない。だから、絶対の信頼がある。
 落ちてきても受け止めてくれるっていう信頼が、ね。

「ナイスキャッチ! じゃねえよ! いきなり落ちてくんなって言ってんじゃん! せめてなんか言ってから落ちろっ!」
「言わなくても受け止めてくれるでしょう?」
「心臓に悪いんだって! つーか落ちてくんな! ふつうに歩いてこい!」
「それじゃあ間に合わないからさ」
「間に合うように動けって言ってんだっ」
「間に合ってるじゃない〜」

 ――なんて。
 賑やかに言い合いながら、速やかに配膳。食事をとって、船員みんなで皿を洗っておしまい。
 10分くらいであっけなく終わる質素な昼食のために、わたしは毎日こうして秘密の近道を匍匐前進していた。




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