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断章――自我

 わたしは銃を握っていた。
 今回は、出逢うに時間をかけることもない。はじめから目の前に空色の少年達がいる。ふたりの顔は普段見るよりとても幼く、何よりそっくりだった。瓜二つで区別がつかないほどに。では、目の前で両手を縛られ眠る彼らはどちらがどちらだろう? 考え、銃口をぴたりと向けたまま、彼らが目を覚ますのを待つ。
 そうだ。配給に来た彼らに毒を盛り、近くの支部まで連れてきて拘束したのだった。身体にある記憶を呼び起こし、わたしはひとり納得する。確かに彼らにはこの頃、そんなこともあった。そこまで遥かに遡ってきたことは驚くに値する。今のわたしは警戒を続けているから驚く素振りはとれそうにないけれども。
 なぜ――。
 なぜこうも嫌な役を演じることになってしまったのだろう。わたしは決して彼らを嫌ってはいないのだが。
 哀しみと緊張の狭間に立ち、ふらついていると、まず一人が目を覚ましたのか髪と同じ色の目を開いた。どこまでも澄んだ空色が、わたしを、彼らに向けられた銃口を捉える。見つめあった。それだけで、すぐにわかる。彼がどちらか。騒ぎ出さない性格から言って、弟の方だろう。
「……どうして、ですか」
 彼には教えていないはずの敬語だ。
 自然と笑みがこぼれた。
「どうしてだと思う」
「フィロロのちからのこと」
「当たらずとも遠からずだな」
「え、っと、ことばのいみがわからないです」
「正解でも外れでもあるってことだ」
 少年は押し黙る。どう答えるべきか、どう対応すべきか、迷っているように見えた。少年は死の危機に瀕することが初めてではなかった。だからか、こんなに落ち着いているのは。しかし、わたしの知る彼はこれほど聡明ではないはずだ。心配性ですぐ泣く。人見知りで引っ込み思案。それが彼のはずだ。ならば何が彼をそうも強くさせているのか。
「ぼく、おじさんのこと、さいしょからしんじてなかったです」
「そうか。勘がいいんだな」
「ちがいます。ぼくじゃなくて、フィロロが。あのおじさんはぼくらをみくだしてるっていってたです」
「へえ。そんなことを言うのか、こいつが。考えられないな」
「フィロロはどくもつきます。みぬけないあなたがばかなんだ」
 子供の挑発には乗らない。銃口を動かしもしない。
 すると、隣で話す弟の気配にあてられたのか、ようやく兄がそろそろと起き上がり、まず弟の顔を見た。弟は、一気に気が抜けたように怯えきった表情を晒したが、すぐさままた強い目をして、あまつさえ兄に微笑みかけた。おはよう、だいじょうぶ? そう言った。不思議げに首を傾いだ彼と、ぱちり、目があう。数秒。彼はにこりと笑み、開口一番、「そういうことでしたか」とのたまう。ああ、と思う。彼は本物だ。隠す努力などせずとも、そもそもまったく臆していないのだ。少なくとも、この頃の彼は、銃を怖がらなかった。
「ぼくがめあてですか? もしそうならヴェントはかんけいないんじゃないですか?」
 珍しく敬語を忘れていないのは、多少は緊張しているからなのだろうか。もしくは、わたしに注意されるのが楽しくて、わざと間違えていたのかもしれない。もし、そうなのだとしたら、わたしは彼らを裏切り、さらに踏みにじったことになる。正しく言えばわたしではないのかもしれない。しかし、彼らと過ごした記憶は今、わたしの経験としてあざやかに思い出された。
「いや。ふたりが目当てなんだ」
「りゆうはきいてもいいですか?」
「君達には言ってもわからないさ」
「じゃあわからなくていいので。おしえてください」
 言うようになったじゃないか、餓鬼が。
 銃鉄を叩き上げると、さすがの彼の顔にも緊張が走る。普通の人間なら当然だが、彼にとっても銃は驚異だ。瞬殺されてしまえば、もう巻き戻ることもかなわない。
「君を調べていて判明したんだ。君達の部族は適性をもちやすいそうだな」
「ぶぞく?」
「郷だよ」
「さと……?」
「君達にはわからない概念だな」
 無駄口を叩きすぎている自覚はある。だって、どうせ撃たなければならないのだ。それまで時間を引き伸ばすくらいは許してほしい。
「君達のようなモノにおれたちが滅ぼされる前に、滅ぼすんだ」
 無理だ。無理だよ。
 思考と言動があきらかに剥離していた。絶対に無理だと思いながらも宣言をした。内心では嫌だ嫌だと唱えながらも引き金を引いた。喉元まで泣き叫びかけながらも冷然と空薬莢を排出した。わたしはこの身体の持ち主を演じきれているのだろうか。こんなに心が重いのに、この身体は軽すぎるように思える。
 轟音。衝撃波。弟の腹に風穴が空く。瞬時、兄の余裕は完全になくなる。黒い血がぼとりと落ちて床に染みる。
「ヴェント!」
「……っ」
「しゃべらないでね、まっててね!」
 呼び掛けると、兄は急に冷めたような表情で、わたしをキッと睨み付ける。仕事はこれで終わりだとばかりに、わたしはその視線を受け流し、立て続けに銃鉄を起こす。睨む視線は依然強い。
「ありがとう適性者。貴重なサンプルが取れた」
 呆気なく、頭を狙って引き金に手をかける。再び同じ轟音がとどろき、耳鳴りが頭の中にぐるりと響く。壁に弾痕が刻まれる。そして、そこに誰もいないことに気づく。わたしは心底安心して銃を下げる。
 結果を知ってはいたのだが、それでもこの役を演じるには気苦労が多かった。下手をすれば殺していたのだ。いや、それでもよい手筈にはなっていた。身寄りのない少年たちをわざわざ使ったのは、間違って殺しても面倒ごとが生じないためだった。
 適性者の力は心理状態に応じて変化する。死に追い込まれるかなにかで極度な危機感を抱けば、普段はとうてい使えないような最高位の力を発揮することがある。すべては、それを引き出すための演出にすぎない。
 結果的に、実験は成功し、彼らは飛んだ。世界に流れる時間に干渉し、そのうえで二人ぶんの肉体と意識を飛ばした。時間の往き来があの力の本質だった。過去から未来まで、いつどこへ飛んだのか。それは調べてみなければわかるまい。
 わたしは床に落ちた血の塊をしばらく眺め、息をつく。
 次はどこへ流れ着くやら。




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