断章――故郷
街。
街だったのだろう、ここは。
瓦礫の隙間から人々の掠れた声が響く。その傍らで、右往左往、何もできずに泣いている人も多くいた。彼らも総じて何らかの怪我を負っている。そして、わたしも。足の感覚はもうまったくなかった。
……ああ。今回は、当時か。
自らの呼吸からは色濃く血の臭いがした。
わたしは動かない下半身を引き摺り、這って瓦礫の山を登った。何度か崩れ、腕に擦り傷が増える。構いはせず、ひたすら登る。そしてある程度の高さに達すると、それが見えた。
青く、美しい街だった。建物が青いというわけではなかった。住民の持つ色素が青く、そしてそれはとても珍しいから、周辺の地域からもこの街は神聖視されていた。栄えていた。だから建物は高く、ビルだって多く築かれていた。それが今回は仇となったわけだ。高い建物は軒並みぺしゃんこになって人々を押し潰していた。見渡す限りの、白い、コンクリートの欠片。よくよく見れば人もいる。けれども、皆がもう永くはなさそうだった。
理由は未だにわかっていない。
大陸だ。このあたりの建設技術は、地震なんて想定していない。ましてやこんな、地震ですら爆発ですらない現象などは、どの地域であれども想定外だったろう。
ぼんやりと……死にゆく彼らの髪と同じ色をした空を見上げる。
弱いものから徐々に、命が消える。それがこの現象を説明するもっとも端的な言い方だろう。
命とはなにか。その基準はあいまいだ。だが、少なくともわたしは、街の死、人の死、歴史の死、摂理の死。さまざまな死を見たことがある。それらから推測するに、命とは、意義を持つことであると解釈している。この現象を境にして、ものごとの意義は崩壊するのだ。人の生きる意義も、街の栄える意義も、時の流れる意義さえも。
だからこの理不尽な現象を目の当たりにしたとき、多くの人間は死に絶えた。瓦礫に巻き込まれて? それならまだいいじゃないか。なんの理由もなく、前兆もなく、この現象に呑まれて死んだ者がどれほどいたことだろう。理屈などない。ふと気がつけば生命活動を取り止めて、たんなる肉の塊と成り果てる。しまいには死体が土に還り世界に炭素を巡らせるといった意義も失って、そこにあったはずの肉塊は唐突に消失したりもする。程度はばらばらだ。死体は、残ることもあった。
世界は世界というシステムを維持しなくなる。
人の歴史は、滅びに埋もれてしまう。
「……みんなと一緒に、死ぬのかなぁ」
この身体の持ち主の人格をなぞって、しかしわたしの思考と連動して、ぼやいた。視界に広がる青が眩しく、変わらぬ光を放ってわたしたちを見下ろした。
さて、このわたしは死ぬか、生きるか。
この現象で死なない人間というのが、一握りだけいる。意義を持たない者だ。こちらの基準はさらにあいまいで、家族がおらず職のない人に多い、ということだけが言える。あいにくか、幸いか、このわたしはそれらに当てはまる経歴を持っていた。こんなまともに動かない身体で生きたところで、数日もすれば皆の後を追うのだろうが。
のんびりと考えた。死は、怖くない。この身体の持ち主がそういう性格なのだろう。
風が吹き、粉塵が巻き上げられ、空が曇る。わたしの長く、青い髪がなびき、顔にかかる。払うのも面倒くさい。
わたしのいる山の反対側から、粉塵を吸い込んだのか咳をする声が聞こえてくる。
「ちょ……フィロロっ」
「へいき。心配しすぎだよ」
その声で、ああ、彼らだ、と察した。
目を閉じる。
「ヴェント?」
「ん?」
「みつけたね。僕らの、郷」
「…………」
ひどく心地がよかった。
彼らはまだ生きる。世界が埋もれてしまえども、彼らは、旅を続ける。それを知っている。
「これからどうしよう?」
「……」
「……ねぇ」
「ごめん。少し黙って」
瓦礫の向こうで言葉に詰まるふたりの未来を思いながら、舞い込む粉塵を吸って吐く。すぐに、肺に痛みが来る。どうだろう、今ごろは、意義のあった人たちは消えてしまったろうか。やけに、静かだ。ずっと辺りを満たしていたはずの悲鳴が、いつのまにやら、どこからも聞こえなくなっている。彼らの声が、息づかいが、それだけがこの無音を晴らしてくれる。
泣いている?
そりゃあ、そうだ。
彼らはずっと探していた。自らについてを何も知らずに遠い埃臭い町で育ち、やがて郷を探そうと立ち上がり、幾重の時を経てようやくここまでたどり着いた。しかし、彼らが探していた情報を得ることはこの先、永久にできない。だってこの街は、この世界は、もう。
ねえ、生きてよ。
もっと、ふたりで、旅をしてよ。
そうしたら、いつか、未来は変わるかもしれないじゃないか。
だからどうか。
「ねえ。――ヴェント」
「なんだよっ」
「探そう。人を。人がいた証を、少しでも」
少年の、強がるような笑顔は、鮮やかに目蓋の裏に浮かんできた。青年の、困ったような怒ったような微妙な表情も。残念ながら、直接この目で見ることはかなわないが、それでもいくぶんか、身体が楽になったように感じられた。
そろそろいこうか。
どちらともなく、わたしも、彼らも、この場を立ち去ることを決める。
空色が遠く、滲む。
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