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断章――遡行

「ちょっとフィロロ! 危ないって!」
 咎めるような青年の声が石造りの街に木霊した。遅れて、呼び掛けを受けた少年の声もそれに続く。
「でも、困るもの! 行かなきゃだよ!」
 そんな声の応酬を遠く耳に納めて路地裏を必死に駆け抜ける人影がわたしだ。今度のわたしは彼らの荷を盗もうと目論んでいるらしい。今度も埋もれる前だったことに安堵を覚えながらも焦燥が脳裏に警笛を鳴らす。彼ら、速いのだ。育ちを鑑みれば当然なのやもしれない。
 わたしは抱えた荷をひとまずと路に隠し、立ち向かうべく反対側に走り出した。目立つ空色はすぐに見つかる。武装もせずに、まっすぐに駆け寄ってくる。
「返してください!」
 返答は銃声。走る的には当たらない。けれどもぴくりと肩を震わせた少年は、とたんに勢いをなくして足を止める。白い顔がさらに青ざめ、碧の目だけが強くこちらを睨む。そこに背後から青年も追い付こうとするのを見計らい、わたしはさらに発砲する。再び少年が身を震わせる。遠く、青年が険しい顔をする。彼らが沈黙したのを確認し、じっくりと脅しながら後ずさった。
 青年が一目散に駆け出す。
 即座に、立ち尽くしたままの少年へ向けて発砲した。二発、被弾。白い服に、弾痕と、広がる染みが生々しく刻まれる。
 しかし青年は表情こそ歪めども止まりはしない。
 距離を詰められた方が不味いかと、わたしは逃げ出すことにして踵を返す。鞄を隠した場所とはかけ離れた方角に飛び込み、彼らがそれを取り戻すことのないよう努める。
「ヴェント、行ってくれる? 僕は動けないから」
「……気が気じゃないんだからな?」
「あはは、どうせ平気なのに。ほら、見失う前にゴーだよゴー」
「ちゃんと治せよ!」
「わかってるって。もー心配性なんだからー」
 どことなくのんびりとした少年の声が遠く後方に聞こえた。
 駆け回り、しばらく行って息を潜める。彼らの気配はとうになく、撒いたかと思われた。警戒しつつもせっかく奪った鞄を回収するため、もと来た道を行く。端正な石造りの町並みは呼吸をしない。無機質に聳えるビルの合間を縫い、ぐるぐると張り巡らされた路地は現代のジャングルのよう。とはいえ、歩きにくい道というものに、わたしは根から慣れている。ためらいなく進み、今日のこの身体の命を繋ぐために必要悪を惜しまない。
 息を切らし、整え、戻った先に隠していたはずの荷物はなかった。
 どうして?
 わたしは知っていた。彼らが何をしたのかをわたしだけが知っていた。だが、この身体の主の知らないことをわたしが知っていようと、意味はなさないのだ。呆然と立ち尽くし、しばらくしてから自然と舌打ちをした。
 また意識は掠れ、浮かび、遠くへ。



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