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「もし二人が生き残ったら。」


 目覚めは最悪だった。
 辺りにいるのだろうたくさんの人間の発する雑音が、いやに頭に響き渡って不快感をもよおす。頭痛と吐き気と全身の怠さ、そして背中の激痛に同時に襲われて、俺は若干むせこみながらはっと目を開いた。眼前には黒い空が、現状を写しとったような煤けた風情で横たわっている。目にするなり、急に苦しくなった。
「うっ……!」
 やばい。吐き気が。
 思うと、すぐ無言で差し出されたビニール袋。夢中で受け取って、全て戻した。咳き込むたびに背中に走る痛みに奥歯をこれでもかと噛み締めるも、ますます息苦しさが増していくだけで。頭ががんがんした。
 と、不意に、そっと添えられる誰かの手があった。見やれば、体育座りで蹲っている青空の姿が捉えられる。俺は目を見開いて、回らない口を何回か動かそうとした。が、たいして動かず、何秒かの沈黙を余儀なくされる。彼女の目は未だ伏せられたままで、しかし今までは見たこともなかった、‘’‘人間らしい‘’‘表情が確かにそこにあったのだ。
「……無事だったんだ。高瀬」
「うん」
「怪我は?」
「少し火傷しただけ」
「そうか……よかった」
「でも……」
「ん?」
「海間は無事じゃない」
 青空は、また泣きそうな顔をしていた。
 俺の背中のことを言ってるんだと思う。確かに、火傷や打撲やなにやらかにやらで大変なことになっているだろうことはわかる。だが……
「死ぬと思ってたからさ。生きてるんだったら、こんなんどってことないよ」
「嘘」
 青空の手が、俺の頬に伸びた。そして、その指先が一筋の水滴を掬い上げて。
「……あ」
「泣くほど痛いんでしょう」
「いや……違うよ。俺はお前が無事だったから泣いてんだ」
 言うと、青空は心底不思議そうに問うてくる。
「……何でそんなことで?」
「嬉しいから」
「わかんない……そんなに仲良かった? 私達」
「馬っ鹿……俺がなんで命捨ててもお前逃がしたかわかんないの?」
「全然」
「マジかよ……」
 背中に気を使いながら頭を抱えてみせた。こりゃあどうやらそのまま言うしかないみたいだ。避難成功した奴らは皆が皆集まっているこのグラウンドのど真ん中じゃあ、こっ恥ずかしくてできやしないだろうが。
「ねぇ、教えてほしい」
「ぅえっ!?」
「……何で私を助けたか」
「えっ……待て待て、ち、ちょいタンマな……っ」
 沈黙してしまう。言えるわけがない。こんなことをこんな時にこんな所で口に出せるような度胸は俺にはない。ないのだが、青空があまりに不安げな目で土を睨んでいるものだから、何か言わなければならない雰囲気が俺を揺さぶってくる。うわあ……どうしよう。今まで話しかけてなんてきたこともなかった青空が何故いまそんなことをそこまで知りたがるのか、見当がつかずに戸惑う。
 鮮やかな花色の瞳はこちらを向かないまま、少し揺れて、やがて青空が沈黙を破る。
「……もし海間がこのまま死んじゃったら、どうしようかと思った……」
 膝をぎゅっと抱え、俯いて。せきを切ったように言葉を溢れさせる。
「また私のせいで、人が死んだら……もうどうやっても償えない……。あの火、たぶん、また私が大きくしたやつだった……海間の火傷だって、私が、ちゃんとしてれば……だから……」
 青空の手が、大きく震えるほど握られていた。俺は、何かしようと考えて、すぐに何もできないと気づいてしまって、ただ黙った。彼女が何をもってそこまで苦しんでいるのか、もっと知らなければ、何を言ってもきっと無駄なのだ。
「海間、ごめんなさい……あの火事、私が起こしたから……」
「どういうことだ?」
「……手、だして」
「?」
 よくわからないが、とりあえず従おうと右手を差し出した。すると、なんだか唐突に辺りの空気がやけに乾燥したように感じて、ほぼ同時に俺の手から水が滴っていた。そうしてまた見るうちに、水はじゅわじゅわと気泡を発するようになる。真水から炭酸水に変わったようだった。
「えっ……」
「海間は科学、わかる?」
「え、まあ、小学生レベルなら」
「物質……いじれるみたいなんだ。私。それで、たまに、暴走しちゃうみたいで……」
 …………ああ……
 ……ああ。
 そうか……。
 納得の波紋が思考を満たして、俺は彼女の言うことの全容をあらかた察した。信じられないようでいてすんなり信じられてしまうそんな滑稽な現実を俺は間違いなく既に知っていた。深く落ちながら広がる理解と共に出でくる多種多様な感情の一つ一つが、やがては彼女への慈しみに収束していく。青空はその名の通りの色をした瞳を終始どこでもない下方へ向けて俯くばかりだ。そのことが、なんだかとても悲しく思えてきた。
 青空の目は青い。俺の目は朱い。遺伝子には明らかに組み込まれていない色をしているのだ、お互いに。きっとそういうことなんだと思う。
「よっくわかった。お前もなんだな」
「え?」
「ちょっと運命的かも。悲しいもんだけど、俺ぁちょい嬉しいよ。同じ奴、初めて見た」
「どういうこと」
「高瀬さ、朱いの苦手だろ」
「……うん」
「前にもあったのか? 火事」
「…………」
 真っ白になって握りしめれた手に、ゆっくりと、ゆっくりと俺は自らの手を当てた。青空は驚いたのかぴくりと肩を跳ねさせ、咄嗟に顔をあげ……やっと俺を見てくれた。そう、そうだよ。その目がずっと見たかったんだ。ひんやりとした握りこぶしを包み込むようにして、力を少し強める。それから笑う。今だけは背中の痛みがまったく気にならない。たぶん結構穏やかに笑ってみせることができたんじゃないかな。
 唐突に、今なら言える、と思った。
「さっきの質問の答えな」
「……‘’なんで私を助けたか’‘?」
「好きだから」
 かなり小声で、青空にしか聞こえないように宣った。
 我ながら最悪のシチュエーションだと、内心で苦笑をこぼす。朝方に死にかけてからまだ1日も経っていない真夜中、お互いにぼろぼろの有り様で佇む、避難所とも言えないひび割れた校庭の一角である。辺りにはうめき声と泣き声がいくつかと、呆然自失の人間たちの群れ。助けなど、おそらくあと数日は来ない。状況は非常に危険で、たぶん俺のそれ以上の大怪我をした奴らにも応急処置さえ行き届いていないだろう。大きな地震がもう一度あったなら、いまここにいる俺達はおそらく死ぬ。
 それは別にいい。ただ……
 理由なんて知らない。ただ無性に、彼女にだけは生きていてもらいたい。
 だから言った。こんな最悪の状況下で言ってやった。そのことが、青空にとってはよっぽど驚くべきことだったらしい。青空は動揺しすぎたのか呆然として、ぱちぱちとまばたきを繰り返しながら俺を見ていて、しばらくは言葉もなかった。
「……海間、」
「うん」
「前から思ってたけど、趣味おかしいでしょう?」
「えっなんで」
「だって、中一男子が欅茜の本読むって」
「高瀬も読んでたじゃん」
「普通じゃないよ。少なくとも」
 そんな本筋から大きく逸れたやり取りでも、青空が何を言いたいかは解った。俺が青空に惹かれていることに対して、青空は単純に……わかりやすくぶっちゃけるとドン引きしているのだ。自分に惚れるなんておまえ正気か? といった面持ちなのである。え、なにこの空気。むなしいんですけど?
「高瀬さ、自分が結構可愛いってわかってないのか?」
「どこが。としか」
「………………やっべぇ、なんか挙げようと思ったけどキリないわ」
 そろそろ顔が熱くなってきた。とりあえず、目を背ける。
「本当に頭大丈夫? 背中よりそっちのが酷かったりして」
「ひでぇな! 高瀬、わりとそういう奴なのか」
「大人しい子だと思ってた?」
「多少は」
「全然違うよ。……失望?」
「いや……なんか嬉しい。やっとイキイキしてきたし、高瀬」
「やっぱり海間、ちょっと変だと思う」
 あ……。
 そのとき、微かだったが、高瀬は微笑んだような気がした。初めて目にする穏やかな表情に、俺の頭の芯の位置はぶれる。なんだかふわふわして、心が受かれていた。一つ鼓動するごとに、目に映る世界が鮮やかになるような気分。その笑顔一つだけで、俺は何回だって命捨てても戦える気がした。青空はまぶしい。俺の内にある広大な黒闇の中心の一点。そこだけが、まぶしいのだ。変だと言われたってドン引かれたって、やっぱ好きなもんは好きなんだろう。仕方がない。どうにもならないことだった。
 ドキドキする。恋って、たぶんこういうものだ。
「海間に、返事はできないよ。私は、…………好きな人、殺しちゃったばかりだから……」
 そう言って、青空はまた表情を強張らせ、俯いた。
 俺にとってはあまりのことで……しかし予測できていたことで……言葉に詰まった。事前にあらかたわかっていても、俺自身がその同類だったとしても、青空の呟きの重さは比較にならない。一度だってそんなことを、誰かに伝えたことなどなかったろう、青空は。その重みは一人で抱えるにはあまりに膨大で、しかし一人で抱える以外に道もないものなのだ。
 どうしようもない。俺にできることはここまでだ、という諦めの影が微かに過る。俺にだってある。誰がどうしてくれたって絶対に揺るがない歪な何かがある。そういうものは、たんなる好意じゃ届かないんだ。そうだよ……いっそ、殺意くらいじゃなきゃ、届かない。
 ふいに、俺の頭に浮かび上がった印象があった。映像でも文字でも音でもない、何かの印象。その何かはこう言っていた。彼女が望むのは、どこにいたって死なのだ……と、呆れにも近いニュアンスを含んでいた。そいつはおそらく俺だった。今のじゃない。どこかの。
「……高瀬、さぁ」
「なに」
「死にたいか?」
 ふと気付けば、俺はとんでもないことを口走ってしまっていた。自分でもなぜそんなことを尋ねてしまったのかさっぱりだったが、それでも尋ねてしまったことは取り消せはしない。押し黙って、ただ青空の反応を見た。
 青空は、驚いたように目を見開き、それから少しずつまたもとのような表情となって地面を眺める。青い目に揺らぎがないのは、もう、諦めてしまったからだろうか?
「…………そうだなあ……」
 考え込む素振りを見せた青空に、俺は妙な反感をおぼえた。駄目だ、それだけは、といった強い拒絶が、どこともしれない深淵から沸き上がってくるのを感じる。理由はよくわからない。ただ、その先の青空の言動がもし肯定的だったらと思うや否や、俺の意識は暴力的なほどの焦燥感の渦にさらし上げられる。これは警笛だ。脳髄が赤く点滅する。
 そのままで数十秒待たされた。耐えがたいほどの永い永い沈黙に思えて、俺は気が気ではなくなって冷や汗をかいた。ゆっくりと、とてもゆっくりと青空が視線を持ち上げる。俺を、捉えた。
「償うには死んで楽になるなんてできないと思う。でも、“やらなきゃ”じゃなくて“そうしたい”の話なんだったら……うん。そう思うこともあるよ」
「……っ!」
 殴られたときの衝撃に近いものが、俺の意識を穿った。そして生じた痛みに近いものを言葉にして吐き出そうとするも、どんな言葉を綴っていいか判断がつかずに喉だけがひゅうと鳴る。どうしよう。なんか苦しい。
 青空は目に見えて困惑していた。俺は相当苦虫を噛み潰したような顔でいるのだろうと思う。むしろ泣き出しそうにさえ見えるかもしれない。実際に、俺はそのくらいの心地でいるのだから。
「なんて顔するの……」
「嫌だ」
「え?」
「なんかすっげぇ嫌だ」
「……嫌なら聞かなきゃいいのに」
「それも嫌だ」
「面倒くさい奴」
 青空はまた俯こうとする。なぜか俺はその仕草に、また強い反感をおぼえて目を細めた。どくん、と鳴る鼓動が俺の意思の中に司令を響かせ、訴えてくるのだ。彼女を――俯かせてはならないと!
 気づけば、口が勝手に動いていた。
「青空って呼んでいいか?」
「……いきなり何?」
「駄目か?」
「…………」
「俺の名前知らないんだろ。俺は日暮っていう」
「……日暮」
「ん。じゃ青空ね」
 青空はまた顔を上げてくれた。よかった、とひとまずは安堵に身を任せて笑ってみせる。ああ、なんだろう、俺はどうやら許せないらしい。彼女が不幸であることを許せない。どうしても、彼女に降る災は叩き潰したくなる。そういうことのようだ。
「馬鹿だよね」
「なんで?」
「こんな時に、自分の体調より私なんか気にする。少しは背中気にかけたらどうなの。……顔、蒼いよ」
「心配してくれるんだ?」
「私がするのなんて、自分のための心配だけだよ」
「それでも嬉しい」
「……どうにかならないの? その残念な頭。自分の心配しろって言ってるのに……」
「ひっでぇな」
 青空のが心配だろ。どう考えたってさ。


 to be continue!

コメント
未完でごめんなさい。でも書きたかったんです。
日暮の一人称は書きやすいです。

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