近付いてくる
 それから見たこともないくらいバランスの取れている食事とか規則正しいらしい消灯とかを経験した僕は、翌日の朝を迎えた。白く無機質な照明に起こされる気分はどうにも不思議で、空が白んでいく様子も昇ってくる朝日も、もう決して見ることはないのだと実感した。太陽も、空も、土の大地も、海や川も……もう何も見ることはないのだろうと、その照明の白さに教えられた。
 だって、僕は多分明日死ぬんだろうから。明日じゃなくてもその次があるだろうし、成功し続けたところで僕の人生はもう終わっている。フィルニールに来てしまった時点で、少なくとも確定しているのは心の死だ。
 死の時が近付いてくる……朝からそんなことを考えた僕は、ζと1426と共に朝食を取った。61は、あれからまだ帰ってきていなかった。
 朝食後すぐにリミエが乗り込んできて1426を質問攻めにし、病院をひとつ壊滅させて来たのだと言った1426に悲しげにため息をついたりもした。あんたまで手を汚してどうすんのさ、と呟いたリミエこと92612も、それ以降は1426に何も言わなかった。どうやらこの二人は何やら親密らしい。
 その後、僕は92612に昨日気になっていたことを尋ねた。
「この手錠は、殺人衝動を感知してブザーをならすんだ。ミラちゃんのもおんなじ」
 92612は自らの手錠をそう説く。
「いるっしょ? 万引きが癖になっちゃってやらないと気がすまないとか。や、食べる前は手を洗うとかそういう日常的なのの方が近いかね。とにかく、そうやって殺人が習慣で日常で悪癖の人達は、これをつけさせられるんさ」
 殺人が習慣で日常で悪癖というと、確かにそういう人はいそうなものだった。当たり前で日常のものが、いつしかそれをしなければ気が済まなくなるほどに染み付いてしまうなんて、腐るほどあることだろう。それが殺人だったということだ。
「それじゃ、61番と92612番はそうなんだ?」
「そうなるね。あたしは、物心ついた時にはいつの間にか殺してたんさ。そんでそれがずっと抜けなくってここに来ちゃったってわけだよ」
「へぇ。61番はどうなんだ?」
「んー、ミラちゃんはさぁ……。本当に死も殺しも当たり前のとこから来たみたいでね、ぜんっぜん殺人を悪事だと思ってないんだよ。前に家族以外は誰でも見たら殺してたって笑いながら言ってたから、多分そっから殺しが癖になってつい家族もやっちゃったんじゃないかな。んでストリートかなにかになってまぁ、フィルニール行きっしょ。あたしよりひどいよ」
 真面目な顔して軽い口調で彼女はそう話した。殺しが癖になる気持ちは僕でも解らなくはない。なんせ僕も、楽しいと思いながら人を殺めた記憶がある。あれは麻薬だ。自らおぞましいと思いながらやるならまだしも、一度「良い」と思ってしまえば止まるものじゃないだろう。
 ああ、僕もそんな風に殺された方がまだ気が楽だったかもしれない。ロンとか言うあんな胡散臭いおっさんに看取られて、無機質な部屋で意味なく死ぬより、よっぽど幸せな死に方に思えてしまう。
「ふふ、一番くん、今殺してほしいとか思ったっしょ」
「は? え、いや、なんで」
「わかるに決まってるっしょ。あたしは死ぬ前の人の心情を見るベテランだよベテラン」
 嫌なベテランだな……。そう思ったのは口には出さない。92612はこれまた軽い口調で続ける。
「つまりつまりー? 一番くんは近いうちに実験ってことっしょ」
「そうだよ」
「だと思った。死んだら冥福を祈ったげるね」
 いたって軽く、どことなく不真面目そうに宣う92612。……こんな調子じゃなければ、僕達はここフィルニールではやっていけないのかもしれなかった。死という事象を、軽く受け止めることができれば……。そう、たとえば61みたいに殺人衝動が日常的に起こるくらい。
「あ、なぁ。いきなり話戻して悪いんだけど、その手錠ってブザー鳴ったらどうなるんだ……?」
 昨日61が連れ去られたことをふいに思い出して、僕は92612にそう尋ねる。すると、92612はいきなり苦い顔をして首をふった。
「最近の技術の進歩は凄まじいよ……聞かない方が良いと思う」
 その言葉に、61が少し心配に思えた。


「ただいまぁ、みんなー……」
 61が帰ってきたのは昼を過ぎて夕方が近づく頃である。相変わらずの可愛らしい顔つきに少々の疲労を滲ませてそう告いだ彼を最初に労ったのは、ζだ。
「大丈夫かい」
「うーんと、ねぇ……大丈夫だよー♪」
 疲労は隠しきれないまま明るく言うと、慣れてるもんと口ずさみ、61は自分のベッドに深く腰を沈ませる。おもむろに両手でふわりと耳をふさいで、「でも、ちょっと寝るね」と呟いてすぐボフッと音をたてて倒れ込んだ。
 心配そうに61を見やったζじゃなくてもわかる。これは相当、ひどい目に逢ったのだろうと。
 そんなことを平然とやってのけるような施設に……僕は、多分死ぬためにやって来たんだろう。
        2015/2/7執筆

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