よそ様の二次創作。
──3
 来たる夜。
 地下1階のこの区画は、一般的な家屋と変わりなく、消灯・点灯に時間の決まりなどない。自由である。いや、もはや、ここはフィルニールの敷地とシステムの中にあるというだけで、ただの家屋とほとんど変わりはないと言えるだろう。
 上階被験者生活棟の消灯時間を少し回るころまで、カグヤとヤシャトは読書に勤しんでいた。これは日課であるというよりも、彼等は読書中毒であると言った方が正しいだろうか。
 ふと、ヤシャトがカバーのかかった文庫本から顔を上げた。
「しょ……そういえばさぁ、カグヤ」
 噛んだ。
「なんだよ?」
 スルーしてカグヤは聞き返す。一つ頷き、ヤシャトは口を開こうとする。「ユメと何があったの?」その問いを言い出すか、出していないかのとき、室内にアラームのようなピピピという音が響き渡った。
 カグヤが慣れた様子で本を閉じて棚に突っ込みつつ立ち上がる。
「俺か」
「……僕は?」
「待機だろ。じゃ、行ってくる」
「うん」
 何気ないような、他愛ないような会話。そうしながらカグヤは部屋の脇に先ほど移動した箱に手をかけ開く。ごとり、と重い蓋を持ち上げれば、会話にはあまりに不釣り合いな鋭利な禍々しさを湛えた黒塗りの戦闘用ナイフがいくつか納められている。それと、片耳だけのイヤホンが一つ。
 二振り、昼間にも着ていた青いジャケットの内ポケットにナイフを忍ばせ、イヤホンを右耳に納めてカグヤはフィルニール一階へ赴く。赴いたと同時に、地下に響いていたアラームはひたと停止した。
 一階を通り抜け、正面玄関とはまた違う位置にある裏口へ足早に歩み、扉をくぐる。
 暗がりを帯びた夜風が、あたかも鋭利な黒塗りのナイフのようにカグヤの真っ白な肌を突き刺す。こんな暗い夜だとしてもカグヤの全体的に白い外見はよく目立った。
 イヤホンから、連絡機能の起動を知らせる効果音が小さく聞こえてくる。カグヤはやれやれといったふうに息をついて、問いを口にした。
「それで。今回は誰だよ」
『声が大きいな。最高機密なんだから静かに訊いてくれ。それといい加減敬語は使わないのか? 3つは年上なんだが』
「……で?」
『使わないんだな。……西部8番地204の3……ブックストア西部店の中に今はいる。妙な柄のトレーナーを着た少年だ。見ればわかるだろう』
 カグヤには極めてわかりやすい場所の指定と、そこまで聞いたのはよかった。が、その後の言い分を耳に、カグヤは微かに動揺したらしい気配を見せる。
「少年? ……保護者じゃなく? 目的逆じゃねぇの?」
 問うた先、解答者であるべき人は落ち着いた調子で宣う。
『被験逃亡者なんだよ』
「は」
『被験逃亡者なんだ。気を付けておくといい。おそらくあんたも無傷じゃあいられないだろう』
「……了解」
 話しながら、足を早める。
 ターゲットはなんの巡り合わせか昼間にカグヤが赴いた書店、ではなくそのまったく反対側に位置する支店にいるらしい。もしや先のカグヤと同じように本店に出向き意気消沈などしているやもしれない。そう考えて、様を見ろと内心で呟いた。
 早歩きで15分。書店の姿が見えた。夜間の暗がりをものともしないブックストアの看板が、自動ドアの上で煌々と輝いている。
 そのドアから今まさに袋を抱えて出てきた少年が一人いた。大量に本を買い込んだらしく袋は随分と重たげだが、その表情は重さに比例して満足げである。そんな彼の姿を見留めたカグヤは、なにやら感心したような呆れたようなふうに吐息をつく。
「……なあラド。ありゃ妙な柄なのか?」
『妙ではないのか?』
「さぁ……」
 少年の纏うこの冬には暖かそうな白いトレーナーには、びっしりと、とある文言がプリントで描かれていた。その全てが「I love books!」──本を愛している、である。色や大きさの異なるそれらが、重なったり重ならなかったりフォントを変えたりしながら白地のトレーナーに無数に印字されている。見ていて思わず「もうわかった。しつこい」と言いたくなるような柄だった。あまりにもあからさまな読書中毒患者である。
 微妙に共感しつつ微妙に呆れつつ、カグヤは懐のナイフに手を触れ離す。同時に本を抱えた少年は嬉々として明るい夜道を歩き出す。見るからに、浮かれている。カグヤはとんといくつか踏み出して、口を開いた。
「なぁ」
「ん? なんだよ」
 話しかけると、少年は不思議げにカグヤの頭やら目やらに視線を投げ掛けてくるが、それは無視して問う。
「BookWarsの新刊ってここに売ってるか知らないか? 今日本店行ったら閉まってて」
「本戦? あ……すまん。俺がさっき買った。残り一冊しかなかったんだ」
「……そうか」
 凄まじい勢いで撃沈した。
「いやまあ、明日本店いけばいいだr「バーカバーカ」……名前も知らない初対面で暴言かよ!? なにその度胸もはや尊敬するよ!?」
 鋭い切り返しである。カグヤは切り返しなど聞かなかったふりのまま、本愛の彼を前に恨めしげに悪態をつくのだ。
「今月は今日しか休みなかったからしばらく本買えねぇんだよ」
「ああ……御愁傷様」
「パーカバーカ」
「だから初対面で罵倒しすぎだろ!? つーかそれ本戦ネタだよな!!?」
 あ、ばれた。とカグヤの顔に書いてある。
「その本戦だ。貸せないか」
「最初からそれ目当てだろお前!? いや無理だろ友人じゃないんだし」
「じゃあ友人になるから貸せ」
「ついに命令形!? というよりなんだこのナンパされた感は」
「うわ、気色悪いこと言うなよ……」
「ガチドン引きするなよ微妙に傷つくから」
 非常に会話が弾む二人である。本への愛が為せる技なのか、彼らの持ち前の性格から来ているのかは解せないが。ともかくも、イヤホンの向こうで会話を聞いていたらしい人の苦笑する息遣いがカグヤの耳を掠めた。忘れてはいけない。カグヤは、本愛の彼に本を借りに来たわけではないのだ。
 いや、借りられるならば全力で借りたいのだが。
「カグヤ=コトモリだ。で、貸せ」
「なんなんだお前……ミチナリ=ヨミハ。いつ返せんの。つーか返すの。本当に? 本当に返すんだな? 帯なくしたりページ汚したり傷つけたりしないよな? しないんだよな? ちゃんと返すんだよな? 返さなかったら本五冊おごれよ?」
 本愛の彼ミチナリから全霊で発せられた凄まじい威圧感に、カグヤは内心のみで若干身を引きつつも頷いてみせる。
「ああ……じゃあ明日の夜10時にここでどうだ」
「遅っ。本屋閉まってるし」
「仕方ねぇだろ。俺仕事なんだって」
「……まぁ……それならいいけど。返すんだな?」
「しつけぇよ」


 ミチナリから目当ての本を借り、カグヤはフィルニールへ向け歩いていた。夜風がいよいよ凍えるようで、思わず身を震わせながらに黒々としたアスファルトを踏みしめてゆく。そんなカグヤに、イヤホンから訝しげな声が届く。
『お前、本借りたいだけじゃないだろうな』
「パーカバーカ」
『だから年上には敬意を払えよ。念のため訊いただけだ。……私もあれを一度で仕留められるとは思っていないさ』
「強いのか」
『馬鹿みたいにな』
「やっぱり馬鹿か」
『ああ。いずれあのミチナリというの、お前ができないようならユメを駆り出そうと思っている。ヤシャトで歯が立つ相手ではないだろうし』
「……へえ」
『覚悟しておけ、カグヤ。あれは人間じゃない。化け物だから』


2015年8月24日〜9月28日執筆

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