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Fictional forest
「そしてぼくらの終わりのこと」

 白い。
 どれほど歩いても足音すら響かないのは、障害物がないせいだ。
 ただ白い。
 脳はこうしたあまりにも情報量の少ない場所ではまともに機能しないという。
 だったら、いまだにここに居座っている俺もそうなんだろうか。
 セイは考える。
 持参した時計は途中で壊れたから、どのくらいここにいるのかが、わからない。
 いまはいつだろう?
 まあ、知ろうと思えばいつでも町へは帰れる。
 けれど、もう、セイには帰る理由がないのだ。

 彼女が消えた。
 たぶん、シヅキの力で。
 たぶん、彼自身も消えた。
 この世界から、ふたりに纏わる記憶がまるごと消された。
 ぜんぶ推測だが、いちいち確認するまでもない。
 経緯なんてのを考えるのも面倒だ。
 森のかたちをしていた神域は白に還った。
 それだけが真実だ。
 あとはどうでもいい。
 どうせセイに必要な情報などなにも無い。

 だって唯一だった。
 透明人間だったセイを彼女が見つけ出して拾った。
 それがうれしかった。
 それだけだ。ずっと。
 じゃあ、彼女が消えたら?
 セイは、もとの姿に、透明人間に戻るのだ。
 いなくていい存在だ。
 あの町にはとうに色とりどりの誰かがいるのだから。

 白に融ける真理の波を歩き続けた。
 どこも目指してはいないが。
 動くことまでやめたら、いよいよ人になり損ねてしまう気がしたから。
 別に歌っても踊ってもいいが、とりあえずは、歩く。
 意識は朦朧としていた。
 心が動かない。
 この失恋を悲しむことさえ、セイにはできない。
 ただ、もう、誰も俺を見つけてくれるな、と思った。
 彼女がセイの唯一で。
 セイはいま、彼女を憶えている唯一だ。
 特別になりたかった。その願いはたしかに叶った。
 だから。

 歩くうちに、走馬灯みたいなものが次々と見えてくる。
 彼女と出逢った夏の夜の公園。
 街灯ではばたく虫のかたち。
 笑い声。光に透ける長い髪。
 首に巻いたロープの感触。
 燃えるように染まって暗転した視界。
 作り物めいた夜色の森。
 清らかに流れる小川と背の低い草。
 石に腰かけた彼女の細い背中。
 みどり色の目。
 揺らぐ純白の花。
 脳を駆けめぐった膨大なゆめ。
 路傍の金蓮花に吹いた秋風。
 ボールペンの紙を擦る音。
 雨の日の雑木林。
 絵のなかの遠い海。
 セイを見つけたいくつかの目。
 また、みどり色の目。
 それから、突き放した蒼。
 すべて憶えている。
 たぶん、あの花のせいだ。
 彼女の言葉を思い出した。
 デバイス。
 かれらが血眼で探したというデバイスは、あの花だったんじゃないか。
 いまとなってはどうでもいいことだけれど。

 そうして歩くうち、ふとセイは虚白のさなかに温度を感じた。
 温度、とは言うが、低い方のだ。
 はじめは痛みに近かったそれは、じわじわと寒さになって全身を蝕む。
 ああ。
 いつの間にだろう。
 セイは気づけば町に出ていた。
 雪が降っていた。
 季節が変わるほどの間、白にただよっていたようだった。

「さむい」

 秋服のままだから、たちまち四肢の感覚が消え失せる。
 うずくまって速い息をすると、なおさら視界が白く曇る。
 動けない。
 豪雪だからか、町には人が誰も歩いていない。
 それが怖くなった。誰か見つけてくれと願った。
 ひとり、たちまち身体に雪を積もらせる。
 払いのけようにも手が震えるばかりでうまくいかない。
 繰り返すうちに頭の芯まで冷えてきて、やがて暴力的な眠気にさいなまれる。
 ――そうか。
 終わるんだな、と悟った。
 やっと。
 数時間も発見されなければそれで終わり。
 簡単な。短絡的な。滑稽なばかりでなんら悲しくもない、終わりだ。
 目を閉じる。白が暗転する。現実が遠ざかってゆく。
 色も温度もなく、ただ声を出す。

「まつり」

 そうだ、一度くらい名前で呼んでみたかったなあ。
 それだけ思って、意識が途切れた。


2019年5月2日

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