[携帯モード] [URL送信]

Fictional forest
「彼らのことB」

「急いで。きっとあの子はまた殺してしまう」

 10月も半ば――一応は探し続けたが、ふたりはまだ見つからない。
 結局、シヅキの告げた切り札に頼ることになってしまった。

 青ざめた顔でソノが焦りを口にするから、四人で遠い街へ前日入りした。
 四人というのは、ヤクを保護監督者に据えて、ソノ、ウミ、シヅキだ。
 ヤクも仕事を急に他へ預けて来たし、
 シヅキも本来まだ入院が必要なのに緊急に退院させたし、
 ウミも両親へは書き置きだけ残して強引に出てきたので、
 あまり誉められた旅行ではない。
 奇妙な緊迫感が、到着したビジネスホテルの一室に流れている。

「本当にここに来るのか? あいつら」
「はい。かならず」

 訝しげなヤクの問いに、シヅキは力強くうなづいた。
 ヤクにはさんざん説明をする必要があった。
 四年前の湊松理の失踪からの動向を、彼は把握していなかったからだ。
 むしろ、それら情報を探るために市政の動きを監視していたらしい。
 悪夢障害は全智をもたらす災厄だ。彼はそれを知っていた。
 災厄がより広まった先日の事件も、彼には好都合だったらしい。
 子どもたちの頭に植わった全智の種から、
 延びているかもわからないただひとつの芽を探す。
 しかも市政の記録というワンクッションでどれほどの欠落があるだろう。
 途方もない志だった。
 その志の叶った一角が、ソノだったわけだが。 
 ごく一角にすぎないうちに、別ルートから解明が為されてしまった。
 湊松理がいままでどうしていたのか。
 シヅキやセイとのかかわり。
 ツカサに課された命とその末路。
 聞き終えると、ヤクはひとつうなづいてそうかと答えた。それだけだった。
 そして、彼は代わりとばかりに伝える。
 ――二週間ほど前、ひめき市は機能を停止したと。
 というのは、神を識る、という目的においての話だ。
 市政が観察していた悪夢障害を持つひとびと。
 こどもも大人も含めた全員の完治が確認された。
 ツカサたちが行方をくらませたのと、おそらく同じタイミングで。
 理由は、わからない。
 おそらく町の機能を終わらせた湊松理本人に聞かなければ。

 そうして話し込むうちに夜が来る。
 夕食後、ヤクとウミ、ソノとシヅキで二部屋に別れた。
 ウミは、ヤクとは特に話もせず、眠くなるまで本を読んでいた。
 例の、ひめきがまだ活発に機能していたころの報告書とも呼べる本だ。
 世界との対話から神の存在を問う。
 小難しい文を読むには時間がかかる。
 貸されて二週間は経ったというのに、まだ半ばほどだ。
 正直おもしろくない。
 それでも読むのをやめなかった。
 ここに記された事柄を、知らなければならない。
 そう思わせるなにかがあったのだ。
 いっぽう、ソノとシヅキは夜中まで町に出ていた。
 ダメ元だが、探せるだけは探したかったのだ。
 どこにいてもおかしくはないというふたりを、あてどもなく探し歩く。
 が、夜が更けると気温も下がり、雨が降りだしたので、帰って眠った。

 翌朝。
 そろそろふたりもこの街へ着いたのではないかと、朝から捜索がはじまった。
 ソノ、ウミは単身で、ヤクとシヅキが二人組で、各々別れて街を歩く。
 ここからが正念場だ。
 夜祭までに見つからなければ終わりと思っていい、とソノが言った。
 まえも、そうだったから――
 タイムリミットはおよそ十時間。
 代わる代わる駅に見張りを置いて、残りで町中を探す。

 夜祭が雨天中止にならないかと危惧されたが、正午には雨が上がった。
 たちまち引いていった白雲から蒼がのぞくと、四人の間で焦燥感が強まる。
 見つからない――
 もちろん、まだ町に来ていないこともありうる。
 やっかいなのは、電車を使わずバスや徒歩で町に入られる場合だ。
 目星になる場所がなくなってしまうから、 ただ闇雲に歩き回るしかない。
 たった三組で、とうていなしえる作業ではなかった。
 それでも他のだれかには頼めない。
 連絡を取り合いながら各自で昼食をとる。
 特にソノは、焦りで味を感じられなかった。
 見つからず終わる可能性はじゅうぶんにある。
 情報の糸口すら掴めないままひめきに帰る明日が見える。
 
『赤羽さん、駅お願いします』
「はーい」

 呼び出しに応じてソノは駅へ急ぐ。
 午後四時。夜祭が始まるまでは、あと二時間。
 頭がくらくらした。
 最初のうちは低気圧のせいと思っていたこれが、ウミいわく悪夢の余韻らしい。
 夢についてなにか思い出したりするとなおさら強まる、と言っていた。
 まさかな、とソノは今でも思ってしまう。
 どちらかといえば調査対象だった悪夢障害を、自分が発症するなんて。
 しかも思い出してしまったのだ。
 誰もたどり着いてはいなかった秘められた事実。
 マツリと呼ばれるあの子の、罪の履歴。
 事態の渦中で行方をくらませた一人の真相。
 だから。解る。
 あの子はまた殺すのだろう。
 今度はツカサを。あるいは自分を。
 止めなくてはならない。
 それが今のソノに課された執行猶予であり任務だ。
 ツカサが消えた時点で、しつこく、父からは実家に帰るよう言われた。
 断り続けて、探すからと言い張って、
 今度こそ許されるかぎりぎりのところに立っているのだ。

 改札を見渡せる位置のベンチでウミが立ち上がるのが見えた。
 午後四時半。残り一時間半。
 祭に向けて、駅はどんどん混雑してきている。
 もしふたりが通っても見逃してしまわないか、既に冷や汗をかいた。

「赤羽さん。お疲れ様です」
「湖くんも」
「大丈夫ですか、まだ動けますか」
「うん」
「基地のことなんですけど」

 ウミがふいに話し出す。
 視線は改札に向かったままだ。

「今日がだめだったら、俺も、もう行かないので」

 なんで、そんな話をいまするんだろう。
 どっと苦しくなって、俯きそうになる視線を意地で上げておく。
 ウミは、この数週間、誰もいない基地にひとりで通い続けていた。
 彼がやったことといえばおもに掃除だ。
 シヅキの絵の処分を含む。
 本人の意向だった。わたしに見えないならもう価値はないから、と。
 いまの基地は、造られたばかりみたいにまっさらだ。
 死ぬ前の身辺整理みたいだな、とソノは思っていた。

「任されたのは貴方だと思うので。よろしくお願いしますね」
「……だめだと、思うの?」
「可能性の話、ですよ……。だって、団長は、たぶんそこまで考えてたんだろうし。どうなったとしても、団長の意向を無駄にはできませんから」

 ソノはいよいよ堪えきれずにうつむいた。
 冷淡に真実を告げるウミのさらさらとした声を、聞きたくないと思った。
 すみませんこんなときに、とウミが付け足す。
 だったら最初から言うなという話だ。
 けれど必要な覚悟だ、それは。
 それは、わかっている。
 だから無理にでも顔をあげる。

「ううん、大丈夫。……今はとにかく探そう。見つかることを祈ろう」
「……はい」

 ウミが一礼して、もう日の落ちた町へ去っていく。
 ソノはじっと改札をにらみ続けた。
 電車の合間、駅が空いた頃合いにちらりと時計も確認する。
 時が迫るごとに、なぜだろう、肩の力が抜けてゆく。
 もはや諦めがついたのかもしれない。
 タイムリミットは分刻みに迫るばかりだ。

 そして、あっけなく来たる午後六時――
 混雑を越え、しんとした駅でひとり、ソノは涙を落としていた。
 悲しくもなかった。
 ただいろいろなことが無駄に終わる虚無感で泣いていた。
 四年間の調査。
 はじめて外に出たこと。
 友人ができたこと。
 助けられたこと。
 助けたこと。
 託されたこと。
 勝手に託しておいて。
 勝手に生きることをやめる。
 無責任じゃないか。こんな終わりかたは。
 いまになって、やっとツカサの気持ちがわかってくる。
 わかったところで、この憤りは、それでも尊ばなければならない強迫観念は、
 いまやツカサ自身へのものだ。

 遠く花火の音がする。
 絶望のおとだ。

 ――それよりも大きく、手の中の携帯が鳴り出したからソノは肩を跳ねさせた。
 みなが花火のために出払ってひと気のない構内に響く着信音は、じゅうぶんに外からの爆発音をかき消した。
 呼吸を整え、電話に出る。
 ノイズの向こう、いまだに慣れない幼い声が、水面のような静けさで確と告げた。

『みつけました』

 あまりに決然とした口調だったから。
 聞いたとたんにぴしゃりと心が凪いだ。
 いままで目尻を焼いていた思考がすべて嘘のようにリセットされる。
 いや、すべて嘘なのだ。
 見つかったのだから。
 まっさらになった心に、一秒の無音が切り込み。
 そこでまた花が鳴り響いた。
 今度は絶望のおとだとは少しも感じない。
 声が、虚を引き裂いた花に揺らぎもせず、意味だけを孕んで続く。

『直ちに団長をお守りします。――これがわたしの最後の仕事です』

 空に大輪の花が咲く。
 散る光の足元で、ちいさな体躯が駆けた。
 みなが呆けて空を仰ぐ人波の片隅。
 光の落ちた一瞬で、ふたりぶんの隙間が空いたことに、誰も気がつかなかった。
 隙間は、うごめく人波ですぐに埋まった。


2019年5月1日

▲  ▼
[戻る]