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Fictional forest
「孔」

 きみたちに、すこしだけぼくのことを知っていただきたい。

 なぜって、まず、ぼくのことを知っているひとはとても少ないからだ。
 ……いや、誰しも知っているはずだ。
 いつでも、誰しものとなりにぼくはいるのだから。
 けれど、誰しもぼくを思い出すことができない。
 なぜかというと、どうでもいいからだ。
 ひとはどうでもいいものを優先的に忘れる。
 それだけのこと。
 それが寂しいという気持ちが、ぼくにもあったりなかったりするのだ。

 さあ、前置きはこのくらいにして、身の上話のお時間だ。
 聞いてくれたら、うれしい。
 でもまあ、聞いてくれないあなたを恨んだりはしない。
 とてもふつうのことだからね。

 ぼくはじぶんのことがわからない。
 うん、一文目から出落ちだ。
 わからないくせに何を話せって言うんだろう?
 ぼくはいったい何をきみたちに知ってほしいのだろう?
 わからないなりに、出てくる言葉を並べるだけはやってみようか。
 ぼくは世界にとっていったいなにものなのか。
 そういうことを確かめてみたくて、いままでいろいろな処へ行ってみた。
 灰色の国や、桜の咲く村、針葉樹林に拓かれた銀色の畑、
 まっしろな街、最果ての丘、もちろんきみの処へも。
 きみを含め、たくさんのひとと話をして、仲良くもなり、恨まれもした。
 だれとも話す気が失せて、ぼんやりしている時期もあった。
 まあ、いろいろだ。
 いろいろある。いつまでもある。
 だってぼくは暇人なのだ。
 だからなんにだってつきあう。
 きみたちを、きみたちのとなりでじっとみている。
 ほとんど無視されるけれどね!
 最初のうちは寂しかったが、いまとなっては気楽なばかりだ。
 どうでもいい存在のぼくは、なんにだってなれるし、どこへだって行ける。
 そう信じていないとやっていられないじゃないか!
 孤独な旅だ、なんて思い始めたらきりがない。

 ところで、そう、つい最近のこと。
 最近? ぼくに時間という概念があるかはあやしい、
 ともかく、一時期、きみたちに手の届くことがすごく増えたのだ。
 ここで言うきみたちというのは、ふつうのひとたちのこと。
 ぼくとどれだけ話をしてもその瞬間にぼくを忘れてしまうひとたちのこと。
 ところが、その時期、その場所にいたきみたちは、ぼくを認識したのだ!
 認識した、それを一瞬でも覚えていられたのだ!
 これはとてもすごいことだ。
 そうそうあり得ないことだ。
 ぼくはもちろんびっくりしてしまった!
 これはあの子の計らいだという。

 ああ、あの子って言うのは特別なひとたちのこと。
 ぼくと話をしても忘れることができない、つまり、どうでもいいはずの事柄を忘れるまたは無視する機能が弱いかまたは無い、そういう欠陥をもった人間のことだ。
 もちろん相手は人間だから、ぼくもいろんな態度をとられる。
 素性を探られたり、
 恨んで逃げられたり、
 利用したがられたり、
 仲良くなりたがられたり――
 とりたててこのひとつめのひとたちが、この件では立役者だ。
 本人たちは、探求者、と名乗る。

 急にぼくを認知できるひとが増えた怪現象。
 あれは探求者たちがほどこしたひとつの実験、らしい。
 あの子たちにかぎらない、できるかぎり多数のひとの目を借りることで、多角的に、客観的に、ぼくのかたちを見出だそうとする。
 なるほど、この実験はぼくからしても興味深いものだった。
 だからぼくは被験者として積極的に協力してみた。
 ふつうのひとびとと、たくさんの会話をする。
 それでぼくのかたちがすこしでもわかるかな。
 わからないかもしれないけれど、どうせ暇潰しだ、なんでもいい。
 それで――、いま。
 ぼくの意識はきみのとなりにあるわけだ。

「ぜんっぜんダメ」

 きみは疲れた顔をしてディスプレイから顔をあげた。
 ほの蒼い画面の真ん中に、ことばがいっぱいいっぱい並んでいる。
 ましかくにお行儀よく収まるように懲り固められた文字が、列ひとつ乱さずぎっしり窮屈そうにしているのを見ると、ちょっとかわいそうな気がして心が痛むなあ!

「心が痛んでる場合じゃないの! あのねえ君、もうちょっと一貫したテーマで、論理的に、寄り道せずに話せないわけ? 実年齢いくつ? 学校ちゃんと行った?」

 きみはキーボードをぱしぱし叩いてぶうたれる。
 ええと、ぼくに年齢とか教養とかいう概念はあるだろうか。
 そこもわからないから、いまの質問にはちょっと答えようがない。

「ああもう」きみは書きかけのテキストファイルを保存して閉じ去った。
 表れた背景画像には大きく時計が表示されている。
 1996年11月――
 時刻は深夜零時を回っていた。
 いまどきまだまだ値の高い最新機器は、ぶおんぶおんと駆動してその身を焼く。
 しばらく冷却しないともうそろそろ動かなくなってしまうところだ。
 休憩にはちょうどいい。
 というか、そろそろ寝たら。
 身体は労らなきゃ。

「いや寝ないし、原稿あしたまでだし、ていうかなんなの、君の身の上話、面白くない」

 そうかあ。
 ところで、ねえ、寝不足でイライラしているよね?
 せめて仮眠くらいはとったら。30分でも。
 どんな世界でだって妊婦が無理をするのはよくない。
 よくないよ、断じて。

「うるさいなあ君は私のおかんか。いや、だからね、私ははやく原稿を片付けるために君とこうして話し込んでさっさと情報を聞き出そうとね」

 情報を聞き出そうと、ねえ。
 いたずらに不穏な言い方をするじゃないか。
 ちなみに、念のため言うが、答えられるからといって人類の知り得ないことをぼくに聞くのは、やめてくれよ。

「え。別に聞かないけど、なんでよ」

 知識は毒だから。
 とくにふつうのひとには、知識は凶器であり死に至る病だ。
 比喩ではない。
 脳の許容量を越えた知識を無理に入れたら拒絶反応は避けられない。
 ぼくときみでは次元が違うのだ。

「へー、なんか、むかつくね」

 そうかい。
 きみは、会話に区切りがついたと思ったのか、息をついてお茶を淹れ始めた。
 それにしても、ちょっとお茶を淹れるだけなのに、張り切ってエプロンするって。
 ちょっとかわいいよね。
 よっぽどお茶が好きなんだね。

「違う。エプロン、新しく買ったんだよ。だからつけてみたいだけ」

 なるほどそうか。
 これから母になるから張り切っているわけだ。

「いちいち分析するのうざいよ、君。いいから話つづけてよ」

 相手をいちいち分析しているのも話を遮ったのもきみだが。
 それに休憩中なんじゃないのか。

「うるさ。いいから。なにか聞いてないと寝ちゃうから」

 できればいますぐ寝てくれ。

「無理」

 そうか。無理強いはしない。
 じゃあ、話を続けよう。

 探求者たちによる実験、その会場は山奥に拓かれたひとつの町。
 そう、ここひめき市だ。
 山中なのは、世界に穿たれた『孔』を拡げにくくするため。
 孔、はいろんな呼び方があるね。
 さいきんではエラーっていうんだっけ。
 この世の不可思議。システム上の欠陥かあるいはバグか。
 あれは空間的に距離の近いものに伝染しやすいから、隔離したのは賢いことだ。
 隔離された実験場で、ぼくはひとびととの会話をはじめた。
 じぶんを知るために。
 実験は三段階にわかれる。
 まずは、ふつうのひとびとに、あの子たちとおなじ欠陥をもたせる。
 あの子たちの力を用いて、少しずつ、ぼくを認識できるようにする。
 次、欠陥のそなわったひとびととぼくが話をする。
 最後、探求者たちが情報を収集し、ぼくに関するひとびとの認識を分析する。
 いまは二つ目にいるわけだが、第一段階ですでに何人かが犠牲になったよ。
 まあでも、山場を越えれば、空いた穴は、あとは勝手に広がる。
 この町で生まれた子どもにエラーが多いのはそういうことだ。
 そうした危険を経てぼくはやっときみたちと会話ができる。

「犠牲って……なに、なんか、危ないの?」

 当然!
 言っておくが、あの子たちのほとんどがぼくに怯えるか嫌っている。
 なぜって、ぼくと会話をすること自体がじぶんに孔を穿つ行為だからだ。
 ふつうでない。世界の決められたシステムから逸脱した行為なのだ。
 エラーが呼ぶのはなんにしたって悲劇だけだよ。
 ようするにぼくは疫病神ってわけだ。

「ふーん、ずいぶん開き直ってるね」

 だってしょうがない。ぼくはぼくをどうしても知りたい。
 きみたちはぼくの被害者だが、復讐する術をひとつも持っていない。
 ぼくに被害がない以上、やめる理由もぼくにはない。

「わあ、クズ」

 ごめんよ。 

「うーんでも、実験をはじめたのはその探求者っていう人間なんだよね、君はたんにふわふわ気楽に暇人をやっていたわけで、彼らに巻き込まれた被害者、と考えられなくはないよ」

 そう、だ。
 そう言っても間違いではない。
 が、あの子たちへの協力はぼくの意思だ。
 それに実際上、ひとびとの害になっているのはぼく。
 ほんとうは、ぼくは黙っていた方がいいのだ。
 わかっていてそうしないことは、つまりぼくの悪意で、
 ぼくがきみたちに恨まれたって文句はないさ。

「変なの。君、クズのくせに優しい振りができるんだね。それに嘘をつく」

 嘘?

「君はじぶんを知りたいんじゃない。ただ寂しいからひとと話をしたいんだ」

 なるほど、それはそうだ。
 しかしそれを認めるのはよくないことだよ。
 ぼくの精神衛生上、それからあの子たちの想いの関係でね。
 寂しいとは、ぼくが公然と言うべきではない。
 だって、ふざけるなよ、とは思わないか。
 勝手に寂しがって勝手に話に来てひとを害する。
 そんなのはまるで化け物みたいで、ぼくは嫌だ。
 もしも事実だとしてもだ。

「へえ、面倒くさいね」

 人間みたい、と、きみが呟いてお茶をすすった。
 ぼくはすこし笑った。
 いや、笑うという機能がぼくにはない。
 笑いたいような気持ちになることしかできない。
 なあ、しがないふつうのひとであり、勇敢な探求者のきみ、これだけは言っておく。

「なに、あらたまって」

 ぼくは人間だよ。
 人間だ。
 信じてくれ。

「そう? そうなんだ。別に、信じるけどさ」

 お茶を一気にあおいで、きみは再びディスプレイに向かう。

「じゃあさ、約束してよ。人間なら、約束することはできるはずだよね」

 ――なにを?

「私の子どもにはひとことも声をかけないで」

 かたかた、キーボードを打つ音が部屋を満たした。
 ディスプレイの真ん中で、窮屈そうな文字列がみるみる増えていく。
 きみは残しているのだ。
 悠久をただようぼくの、ここでの一瞬のことばを。
 本にして、市内でだけ流通させるのだという。
 この、ぼくというものに呪われた町のことを書き記して。

 うん、わかった。
 きみの子がいつか世界の孔を覗き込んだそのとき、ぼくがまだきみを覚えていられたなら、きっと。


2019年3月12日

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